6−26 置いていけ

 数千年の間、火山の熱に抱かれてきた乾いた赤土。その一帯が今、はじめて温度を失っていた。


「なる……ほど……」


 白く染まった地表の中心でうめき声を上げたのは、異形の腕を持つ細身の青年。顔部分を残して彼の身体はすべて水晶のように輝く氷によって覆われ、地面に縫い止められていた。


「串刺し、ですか……。趣味が、良いことで」


 氷の発生地点は彼の腹部。使用人がまとう上等な制服ごとその腹を貫いて地面に刺さっているのは、ヒトの背丈よりも大きな氷槍だった。魔法によって生み出された槍はいまだパキパキと小さな音を上げ、生成した氷を敵の身体へと這わせている。


「はぁっ……はっ……」


 槍の柄から手を離し、この氷を創り出した魔法使い――竜人フィールーンは片膝をついた。身体を巡る魔力に勢いがない。四肢は重く、気を抜けば今にも倒れてしまいそうなほどの疲労感がのしかかった。


「まさか……最初からそのように、全力で仕掛けて、くるとは……」

「ふん、そうだろうとも。それを狙ったんだ、あたしは」


 鱗に覆われていない頬を伝う汗をぐいと手の甲で拭き、フィールーンは敵の顔を見下ろした。少し後方地点に音もなくアーガントリウスが降下してくるのに気づくも、振り向かずに続ける。


「あのまま魔法戦を続けても、あたしが不利だった。魔力の配分も戦闘経験も、悔しいがお前の方が上だ。だから最初から全力で勝負を決めにいった。慎重なお前だ……これだけは予想できなかっただろう?」

「恐るべき、考えです……。一歩間違えば、無謀と変わらないと、いうのに」


 憎たらしい言葉を紡ぐ敵の口元から、白い呼気が立ちのぼる。こんな外道にもやはり命があるのだと実感した竜人王女だったが、氷についた手から追加の魔力を送ることは忘れなかった。


「いいんだ。その無謀さでこうして、お前を捕らえられたんだからな」

「ええ……仰る、通り。過程がどうあれ、結果こそが未来そのもの……お見事です」


 凍結した空気の一部がコツリと落下し、真珠のように赤土の上を転がっていく。フィールーンは白と黒の前髪の間から静かに敵を見つめた。


「お前の身体機能はすべて氷に封じられた。竜人とはいえ、隅々まで凍りついた身体では何もできない。そしてお前が絶命すれば必然、リンの意識支配も解ける」

「ええ、そうなるでしょうね……。しかし、竜人化まで解けるわけでは、ありませんよ……。意識のみを取り戻すことが、あの騎士にとって幸せなことかは」

「セイルがいる」


 みずからも呼気を落とし、フィールーンはそう言い切った。思うよりも早く、その名が唇から転がり落ちた気がする。


「テオさまもいる。ふたりも――そしてあたしたちも、絶対に諦めない」

「うふふ……。その自信が絶望に染まる瞬間を、見てみたかった、ものです……」

「あと数分でお前は動けなくなるんだぞ。もっとマシな話はないのか」

「さて……」


 金の光を薄めた灰色の瞳がゆるりと動き、考えるように曇天を見上げる。その目尻のすぐそばまで氷結が迫っているというのに、恐怖心のひとつも浮かんではこないらしい。


「そう、ですね……。とくに、お話できることはないと、存じますが」

「そんなワケないだろう!? 人生の最後なんだぞ」

「ええ、承知していますよ……。私は今から、貴女に殺されるんです」

「……」


 一瞬、送り込んでいた魔力が乱れる。しかしフィールーンは唇を結び、ふたたび相手の命を静かに刈り取るための力を流し始めた。


「痛くはないだろう」

「ええ、そう感じる器官さえ、凍りついていますからね……。しかしどうしてもっと、酷たらしいやり方を……選ばないのです? 私が憎くないの、ですか」

「憎いとも」


 上空で仲間と戦い続ける橙色の竜人を見、フィールーンは迷わず言った。


「お前が憎い。あたしの臣下をあんな姿にしたことはもちろん、ほかにも多くの命を弄んできた」

「うふふ、結構ですよ……当然の、感情です。誰しもが、そうやって――」

「だけど、お前はあたしを憎んではいない」

「!」


 ヒトの色を取り戻した瞳が丸くなり、フィールーンを見つめ返す。王女は敵が初めて見せたその驚愕の表情にうなずき、淀みなく続けた。


「お前は主のためを思ってやったことだ。だからその死を弄んだりしない」

「……。貴女は、甘いですね……。国の頂点に立つ者に、温かな血など、要らないのですよ」

「それでも血は温かい。お前でさえな」


 そう言い返して指差した先で、オルヴァが弱々しく白い息を漏らした。元使用人は、その現象を静かに見上げている。


「そのよう、ですね……。自分がまだヒトであったとは、驚きました……。“あの御方”にこの身を捧げた日から、ずっと……忘れていたような、気がします」

「話してくれないか、オルヴァ。お前の主の、目的とやらを」

「絶妙なタイミングですが、うふふ……。絶対に話して、さしあげません」

「ッ、やっぱりイヤな奴だお前は!」


 末期の場ならもしやと抱いていたわずかな望みが散り、フィールーンは思い切り顔をしかめた。しかし意外なことに、敵はぽつりと言葉をこぼす。


「そもそも私なぞに、計り知れるわけもないの、ですよ……」

「何だと?」

「“あの御方”がその気になれば、この世界を更地にすることなど、容易い……。しかしこうして手間をかけ、私のような手駒を、各地に用意なさる……。それがもう、何百年と繰り返されて、いる」

「つまり、それほど時間をかけて成したい目的があるというのか?」


 珍しく敵が沈黙する。それを肯定だと受け取って良いものかと判断に迷っているフィールーンを見上げ、敵は言った。


「私がたおれたと知れば、次に、来るのは……あの御方の、“爪”でしょう」

「爪? なんだそれは、組織とやらにおける呼び名か」

「知る必要は……ないでしょう、ね。そうなれば、貴女たちに、先は……ないの、ですし」

「余計なことは言うな。必要な情報を流せ」


 フィールーンの促しを、敵はいつもの能面のような微笑をもって跳ね除ける。これ以上の手がかりを与える気はないらしい。それでも王女はそれらの情報をしっかりと頭にしまった。


「聞け。オルヴァード・ケーラ」

「……」


 とうに消え去ったはずの名で呼ばれたのが不思議だったのだろう。魔術大国の最後の元首は、目を瞬かせてフィールーンを見た。


「あたしは……あたしが王となった未来に、お前の国があれば良かったと思う」

「!」


 いつもの皮肉も嘲りも返ってはこない。まるでこちらが急に未知の言語で話し出したかのような驚きの表情で見つめられ、フィールーンは頬を掻いた。


「そんなに妙なことを言ったか? あたしは」

「……。“外道畜生の集まり”、“濁りきった血の流れる一族”……。そう揶揄された我が国の民を、まだヒトとして、扱おうとは……。貴女もずいぶん、変わった王族なのですね」

「生き様もその信念も様々だし、あたしは外道共の肩を持つ気はない。だがな」


 ヒトと異形の者の光を宿した色違いの瞳で、王女は国を失った男を見た。


「それでも全員が……民のひとりひとりが、その日を生きていたはずだ」

「……」

「魔術も魔法も、使い方だ。民たちの野心が向かう先が変わる可能性だってあったかもしれない。それでも、死ねば――そこですべてが潰える」


 かつてのケーラ国には、今では夢物語としか言いようのないほどの技術が山と存在したらしい。ヒトの接近を感知して勝手に開閉する扉や、朽ちぬ命をもった鋼鉄の生き物――それにヒトの命を遥かに引き伸ばせるという、高度な医療の技。


「ケーラの技術を取り込もうとする近隣諸国の謀略に辟易とし、お前よりずっと昔の元首が国の門扉を閉ざした」

「……どこの歴史書が、そのような戯言を」

「本じゃない。これはあたしの“白き友”が立てた推測だ。教えてもらうまでに何日も食い下がったんだからな」


 竜の賢者夫妻の研究室に通い詰めていた懐かしい日々を思い出しつつ、フィールーンは腕組みをする。敵を“地ノ国”へと連れ去る氷の毛布は完成した――あとは時が訪れるのを待つだけだ。


 自分には、その“時”を自在に操ることのできる力がある。しかし王女は今、手を下すよりも口を開くことを選んだ。


「そしてここからは、あたしの推測だ。お前は“あの御方”とやらに頭を垂れて自分が生き延びることで、祖国の尊厳と財産ちしきを守ったんじゃないか?」

「……」


 太刀打ちする策を考える暇もなく破壊された自国を見、この男は当時何を思ったのだろう。すべては自身の想像でしかないと理解しつつも、フィールーンは黒く強大な力によって栄えた都の姿を思い描いた。


「夢の詰まった本の読みすぎ、ですよ……王女様」

「そうかもな。ついでだからこの際、お前の“夢”も聞いてやる」

「私、の……?」

「さっきみたいに、無いなんて言うなよ。何の理想もない者に、ひとつの国を率いることはできない」


 すうとひとつ息を吸い込み、フィールーンは決意を込めた眼差しで相手を見た。


「お前の夢も死も、あたしが貰い受ける。だから、何もかも置いていけ」


 かつて誰かにも同じことを言われた。この言葉のおかげで今、自分はこの広い世界へと歩き出すことができている。


 たとえ今から向けられる言葉が怨嗟や後悔といった呪いの言葉だとしても、その想いの全てを引き継ぐ必要がある――それが、今からひとつの命を奪う者の覚悟だと思った。


 瞬きひとつ落とさずにじっと待っていると、やがて尖った耳にかすれた声が届く。それは王女の予想をすべて裏切る内容だった。


「でしたら私は……貴女が“この世界”という夢から醒めることを、願いますよ」

「何?」

「ヒトも竜も、その他の命のすべてが……愚かな夢のような、もの……。はやく真実を、見つけて……そして、その瞳から光が消え去ると、いい」


 濁りはじめた敵の瞳には、遠い雲の姿しか映ってはいない。朦朧としてきた意識が最後に作り出した虚言である可能性もあった。しかしフィールーンは、その言葉のひとつひとつを心に記録する。この言葉たちがいつかきっと、自分たちに大きな運命をもたらす――その確信があったからだ。


 敵の薄い唇が言葉を続ける気がないことを確認し、王女は白い息を落とした。


「最後にもう一度言っておく。あたしは、ケーラの都を訪れてみたかったぞ」

「……」

「高い魔術の技を別の分野に活かす選択が、必ずあったはずだ。それを元首であるお前と……話し合ってみたかったものだ」

「……馬鹿、ですね。ならば、私は一体……何百歳まで元首でいなければ、ならないんです?」


 いつも欺瞞の言葉によって彩られていた唇からこぼれたその一言。しかしそれはフィールーンの両目を見開かせるに十分なほどに、ヒトらしさがこもった声音だった。


「オルヴァード――」

「いいえ。もう、そのような男は……死んだのです。そして、“オルヴァ”もまた、ここで消え去り……祖国と同じように、忘れ去られる」

「忘れない」


 彼の棺となるだろう氷の膜に手を添え、フィールーンは身を乗り出した。陶器のように整った顔、その中で灰色の瞳だけが動いてこちらを見つめ返す。


「あたしは、お前を忘れない」

「……お優しい、ことで」

「勘違いするなよ。こう見えて結構、恨み深いんだ。時々その澄まし顔を思い出しては、ムカムカすることになるだろうというだけだ」

「それは大変、光栄ですね……」


 ぱき、と冷たい音を立て、氷が男の頬を這い上がる。それらは閉じゆく棺の蓋から落ちる影のように、最後の熱がくすぶる顔を覆った。


「貴女のような、優しき王がいる、未来……。そんなものが訪れることのないよう、“地の国”の底より……お祈りしております」



 わずかに動いた唇が最後に紡いだのはやはり、憎らしい言葉だった。

 

 

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