6−12 まっすぐにな
「……良い動きだ。日々のたゆまぬ鍛錬を感じる」
「!」
その優しい声に、リクスンはハッと目を見開いた。固くまぶたを降ろしていたことにさえ気づかなかったのだ。
「しかし、覚悟が足りていないな。刃は手甲のすぐ下までしか届いてないぞ。それにことを為すまで、目を開けておくことも大事だ」
自分が突き出した短剣が憎きならず者ではなく、命の恩人である騎士の手に刺さっていることを知って戦慄する。
「な、なぜ――そんなやつを助けるんです!?」
体重を乗せた一撃に貫かれた手甲の下から、じわりと鮮血が迫り上がってくる。短刀の白刃を伝ってこちらへと流れてきたその液体の熱さに、リクスンはびくりと跳ねて手を離した。
「いいや、この男を救ったのではない。私が護ったのは、君の心だ」
腰を抜かしているらしい大男をちらと見下ろし、騎士カイザスは負傷した手を胸元へ引いた。凶器を引き抜く際にはわずかにその端正な顔も歪んだが、動作には何の躊躇もない。
「お、おれの――心?」
「さぞ立派だっただろう父君と母君……その2人が命をかけて守った“宝”に、憎悪がもたらす醜い傷がつくのは忍びない」
「!」
マント下の物入れから取り出した布で傷を圧迫しつつ、騎士は穏やかな笑顔を向けた。リクスンは呆然とする。この青年は自分に、人殺しという重責を負わせることを良しとしなかったのだ。
「君の処遇については、また城で話し合おう。しばし寝ていてくれ」
「ぐあっ!」
カイザスが負傷していない手で見事な手刀を繰り出すと、大男は遊び疲れた子供のように泥水の中に倒れ込んだ。他の山賊たちも誰ひとり立ち上がらない。
こうして蹂躙された小さな村に、ついに真の静寂が訪れた。
*
「……」
何事も知らぬ小さな鳥が、すいと朱色の雲間を飛んでいく。これから訪れるだろう夜に備えて、あの鳥は巣へと戻っていくのだろう――愛する家族が待つ、あたたかい家へと。
「どうして……」
いつもこの時間に鼻を喜ばせるのは、夕餉の支度が進む匂いだった。しかし今は、煤けた家々と物言わぬ塊が放つ異臭だけが少年の鼻を突いている。枯れたと思った涙がまたじわりと滲み、リクスンは震えた声で唯一の生者へと問うた。
「どうしてあなたは……そんなに、強いんですか」
「強くなどないさ」
子供にはわからないことだと一蹴されると思っていたが、意外な答えが返ってくる。悲劇の光景を遮るように近づいてきた騎士隊長は、静かに片膝をついてリクスンと目線を合わした。
「私の故郷も、戦によって滅びた」
「!」
「当時は君同様に、自分の無力を嘆いたものだ。まあ今もまだ、精進の道半ばというところだがな。師である竜には、いまだ幼子扱いされているよ」
「あなたみたいな、騎士が……?」
こんなにも上出来な人間を子供扱いする者がいようとは。それほど武の道というものは果てしないのか、と少年は目を丸くする。街の鍛錬場で師範をしていた父の指導を受けてはきたが、この騎士に追いつくにはきっと、まだ――。
「強くなるしかないのだ。生き残った少年よ」
静かな声だった。まるで己に言い聞かせているかのようでもある。変わり果てたふるさとに降り注ぐ夕陽の中、その美丈夫が持つ蒼い瞳だけが深く輝いた。
「皆が歩めなかった明日を生き、渇望するほどに遠のく未来を手繰り寄せ――ただ、進む。剣のように、まっすぐにな」
「まっすぐ……」
哀しみの底にありながら、その言葉は一条の光のように少年の心に差し込んだ。わずかな空腹さえ感じてくる。カイザスがすっと立ち上がり、村の入り口がある方角を見遣った。
「遅くなってしまったが、病への対策装備を整えた部下たちもじきに到着するだろう。そうしたら、村の皆を弔ってやろう」
「そ、そうだ! あなたは大丈夫なんですか!? 病をもらってしまったのでは」
「はっはっは、大事ない! 私は生まれてこのかた、一度も風邪を引いたことがないのが自慢でな」
「そういう話じゃ……! どうしてご自分のぶんだけでも、薬を持ってこなかったのです」
「たしかに。君の言う通りだ」
大人、それも命の恩人に対しては少々不躾な意見だったかもしれない。それでも青年は大きくうなずき、感心するようにリクスンを見下ろした。
「あの病は数百年前にも大流行したもので、長生きのエルフならば薬の調合法を知っている。しかし聡明な彼らとはいえ、完成までは半日かかるそうだからな。待っていられなかったのだ」
「だからって、おひとりでなんて……そんなの、めちゃくちゃだ」
「うん? そうかな。騎士に主君の命がくだれば、迅速に動くのは当然だと思うが」
「!」
首を傾げる騎士を見上げ、リクスンも勢いよく立ち上がった。つい声が大きくなる。
「だ――だれかの命令で、ここへ?」
「ああ。正確には、主君の御息女にあたるお方の頼みで動いている。君さえよければ少し、我々の事情というものを弁明させてもらってもいいだろうか」
丁寧に聞いてくる青年の顔には、泥だらけになった自分を気遣う色が浮かんでいる。しかしリクスンは疲労も忘れてコクコクとうなずいた。
「まず、先に山賊たちを追っていたという私の部下たちだが。病を見て撤退した彼らの判断を非難する気はない。私も、全員無事に戻るようにと言い渡していたからな」
リクスンは複雑な気持ちで黙っていた。彼らがその場で山賊たちを捕らえていてくれたら、という想いがないわけではない。しかし明らかに病に冒された者たちを前に戦える者はきっと、そう多くはないのだろう。
「彼らが持ち帰った山賊たち、そして病の情報――それらは当然、城で議論の種になったよ」
「いますぐ助けに、とは……ならなかったのですね」
「すまない。とくにエルフたち文官が、兵を出すことに猛反対したのだ。病の封じ込めに失敗し、都に持ち帰ってもらっては困るとな」
リクスンの想像の中に、大きな部屋で長机を囲む城の人々が浮かび上がる。父に連れて行ってもらった何かの式典で、エルフの大臣というのはちらと見かけた。賢そうな広い額に長耳、そして数百年そのままなのではないかと思えるほどに厳しそうなシワを眉間に刻んだ魔術師だ。
「慈悲深いラビエル王は、今すぐに防護対策をした数人だけでも送り込むべきだと主張したものの……やはり場は混迷する一方でな。言っていることがわかるか?」
「……はい。病がうつっては困るし、そもそも誰がいくか決まらなかった、ということですよね」
「そういうことだ、君は賢いな。だがここで事件が起こる」
控えめな微笑みを落とした騎士はしかし、一転して目を輝かせはじめた。まるで物語終盤の大逆転を読み聞かせるかのように、声も弾んでいる。
「その議論飛び交う広間の扉を開け放ち飛び込んできた、ひとりの少女がいた。艶めく漆黒の髪をなびかせた、幼くも堂々たるドレス姿。彼女は大人たちを見上げ、臆せずにこう言ったのだ――」
“国でいちばんはやい馬を、わたしにかしてください”
「……!」
「誰も行かぬというなら自分が行くと――そう言ったのだよ。たった8歳の、その姫君はな」
ぞくり、と少年の肌が震えた。雷に打たれたような驚きが身体を駆ける。想像の中の大広間でも、唖然とした大人たちが彼女を見ていた。
「当然、場の全員が仰天したとも。しかし父君である王が止める前に、姫は走り去ってしまってな」
白い歯をみせてニッと笑んだ少女が、大人たちの制止を振り切って駆け出す。絨毯の敷かれた長い廊下を、ドレスの裾をつかんで疾走する。驚いた侍女が「姫様っ!」と叫ぶ声さえ浮かんできそうだった。
「その足の疾いこと――見張りの兵士たちをするりとかわし、騎士隊の
「それで、姫はまさか!?」
「いや、彼女は本当に頭のよい御方でな。私は王の命を受け、当然彼女を止めに走ったのだが。厩の前で彼女は、落ち着いた顔で私を待っていた」
その後も続く騎士の声は、リクスンの頭の中で可憐な少女の声へと変換された。きっと鈴蘭のように愛らしく、百合のように凛とした声。
“おねがいです、カイ。苦しんでいるひとがいるなら、たすけてきてください。ひとりでも多く”
“シャノとは仲よしです。でもわたしが乗るよりも、やっぱりあなたがそうしたほうがはやい。もっとたくさん、たすかるかもしれません”
“あなたは、おとうさまの騎士です。けれど、いまだけ……わたしのたのみを、きいてくれませんか”
「普段は花のように笑う少女の、無垢で真剣な願い――それをどうして無下にできよう? 私はそばに潜んでいた腹心の部下にあとのことを頼み、その場で愛馬に飛び乗ったというわけだ」
ひらりと鞍にまたがり、馬を駆る騎士。その姿を見送る、小さな姫。リクスンは絵巻物ののようなその話が終焉を迎えたことに気づくと、慌てて目の前の騎士に詰め寄った。
「なんと――なんという名のお方なのですかッ!?」
「フィールーン様だ。フィールーン・シェラハ・ゴブリュード――未来のこの国を率いる女王になるだろう御方にして、君の命を救った方の名だ。覚えておくといい」
「フィールーン姫……さま」
美しい名だと思った。そしておそらく、自分の人生の要となる御方が持つべき名だとも。不思議なその直感に導かれるようにして、少年はまっすぐに騎士を見つめた。
「あなたについていけば、そのお方にお礼を伝えることができますか」
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