5−35 一切の容赦をしやせんぜ

「偽物ですわ! よくもそんな、恥知らずなマネを」


 ぴしゃりと飛んできたその強気な声に、フィールーンは思わず竦みあがった。となりに座っている側付が血の気を失った顔をこちらに向け、小さな声で訊く。


「姫様……」

「だ、大丈夫です。リン、すみませんが今はこんな処置しか」

「いえ、十分です。感謝いたします」


 止血処置が施された肩を押さえ、リクスンはぐっと身を起こした。琥珀の目にはいつもの活気がないものの、真剣な色を浮かべて部屋の中央を見ている。


「それよりも、今は“取引”とやらが気がかりです。あのような歴戦の闇売買人を相手に、タルトトひとりでは……」

「いいえ。ひとりじゃありません」

「?」


 すぐさま否定してみせたフィールーンに、側付は金色の眉を上げる。同時に、当の商人たちが話を再開した。


「さァさ皆様、お立ち会い!」


 パンッと手を打ち鳴らして声を張ったのは、小さな商人タルトトであった。


「こちらにございますは、世にも奇妙な2枚の紙切れ。どうぞどなたも、よぉーく近寄ってご覧あれ!」

「なっ……!」

「なんだァ、タルト? そんな紙っきれが大事なのかよ」

「おれにもよく見せてくれ」


 タルトトの呼びかけに応じ、獣人たちがわんさと部屋へ乗り込んでくる。フィールーンや仲間たちも、その波に押されるようにして紙面を覗き込んだ。


 武器を持った獣人たちに慄きつつも、夫人は大きく鼻息を吹き出して言う。


「ケモノたちに文字が読めるかは疑問ですが、わたくしのものが正当な権利書ですわ。悪あがきはよしなさい」

「ふーむ、なるほど……。筆跡なんかはよく出来ちゃいますが、ちっと詰めが甘いっすねえ」

「!」

「まず、この紙でやんす」


 2枚の書簡の間に立っていたタルトトが、バネディットが持つ紙を指先で撫でた。


「この指のハラに引っかかる、ガザガザしたとした触りごごち――こりゃサガナの樹を原料に作った紙、つまり安モンだ。しかもこの国じゃとっくに廃れて、近年じゃ小さな町でも使われちゃいない」

「!」


 夫人の顔がわずかに引きつったのを、フィールーンは見逃さなかった。次いで目を凝らし、2枚の権利書を見つめる。たしかに夫人の権利書にはツヤがなく、ところどころには捌ききれなかったインクによる醜い染みを発見できた。


「対してアーガントリウスさまがお持ちの権利書。この滑らかな手触りに、年月と共に深まった飴のような色味――まるで革のごとくしっかりとした紙じゃありやせんか?」


 夫人が何か言おうと分厚い唇を開くが、思い切ってフィールーンは口を挟んだ。


「み、ミリドルの木を原料に使った高級紙……ですよね? 独特の繊維片が透けて見えます」

「さっすが我らの王女様でやんす!」


 明るい笑顔と共に寄越された肯定に、フィールーンは頬を赤らめた。ほうほうと獣人たちが興味津々でうなずき、爪のついた手を権利書に伸ばす。それらをサッと避けつつ、夫人は喚いた。


「か、紙質がなんだと――」

「紙だけじゃねえ。さらにはこの、インクの香りだ」


 言ってタルトトは盛大に顔をしかめ、鼻の前で手を振った。


「あんたの権利書からプンプン匂うのは、まるで腐ったイカ墨みてえな臭いだ。よく自室に仕舞えるもんだと感心しちまいましたよ。ねえ、諸兄の皆々様?」

「うえっ、本当だ! こっちの紙からは、変なニオイがしやがる」

「なっ……!?」


 鼻を覆ってあとずさる獣人たちに、夫人のたるんだ顎が震えた。その前を軽やかな足取りで通過し、商人はもう一方の書簡を恭しく手で示す。


「しかしどうです、こちらの権利書は? 深い森を思わせるなんとも澄んだ香りに、夜空よりも濃い漆黒。サカヅキバチが作る貴重なコブに上質なゴムや鉄を加えた、すべてお国産素材による超高級インク――“ゴブルブラック”で間違いねえ」


 またしても絶賛を受けたこちらの権利書に、見物人たちが群がる。長い鼻をスンスンと動かすと、うっとりするように獣人たちの目が細められた。心ゆくまでその様子を見守った後、タルトトは同胞とフィールーンたちを少し下がらせる。


「さてさて、ちょいとあっしに場所を下さいよ」


 知恵竜から受け取った権利書をずいと突き出し、真っ向から敵を睨んだ。


「さあ。これだけの規模の屋敷に相応しい威厳を持つ権利書は、どちらでやんすかねえ?」

「いっ……言いがかりを」

「牛乳配達の小僧の目を騙すくらいなら、充分な出来でやんすがね。あっしら商人の目を謀るにゃ、ちっと頼りない作りだ」


 髪と同じ夕陽の色を浮かべた目が、かつて己を苦しめた暴君を静かに見据える。


「もちろんこれは全部、あっし個人の鑑定でやんす。なんなら今から、王都の鑑定士組合に提出してみやすか? もっとも――」


 大事そうに書簡を畳み、タルトトはふっと窓のほうへ視線を投げる。


「世界一の目利きたちが集結した、もっとも真贋しんがんにうるせえ奴らの集まりでやんすがね」

「!」

「わかっていながら持ち込まれた偽物なんかにゃ、一切の容赦をしやせんぜ。そこんとこ覚悟して、門を叩くといいっすよ」


 可愛らしくもその声に含まれた迫力に、フィールーンでさえ背が寒くなった。


「タルトトさん……!」


 タルトトの言葉にはもちろん刃もついていなければ、魔力が込められているわけでもなかった――それでも少女はこの場で、誰よりも強い武器を掲げているのだと感じる。彼女の小さな頭に蓄積された、たゆまぬ努力の結晶だ。


「ねぇフィル。タルちゃんが持ってる権利書は、どこから……?」


 困惑が入り混じった小声を投げてきたのはエルシーだ。リクスンも同意だとばかりにこちらを見ている。ふたりと一緒にそっと獣人たちの集まりから抜け出し、フィールーンは同じ声量で答えた。


「お庭にあった、生垣の迷路の先――そこに、隠された地下室があったんです」

「そんなところが?」

「はい。そこにあったのは、数々の植物研究の原本……それから、ムクファ様のご遺体でした」

「!」


 両手で口を覆うエルシーのとなりで、側付も顔を曇らせる。フィールーンは地下室から持ち出した一冊の手記を見せた。黒ずんだ血がこびりついた皮表紙を、そっと開く。


「このお屋敷が心ない人々に狙われていることを、シーザー家の皆さんはご存知でした」

「そんな! じゃあどうして、逃げなかったの」

「毎日の世話を必要とする貴重な植物を、置いていけなかったのだそうです。用心棒を頼む日数もなく、悪人たちは屋敷を包囲し――」


 フィールーンは硬い声で言いつつ、暗い部屋を見回した。精霊となったこの屋敷の娘の姿はない。意図的に姿を隠しているのかもしれなかった。


「価値ある研究を踏みにじり、心優しい住人たちを蹂躙しました。ただ事前に、権利書を含めた本当に“大事なもの”は、秘密の部屋に隠しておいたんです」

「次の当主であるムクファ様は、命からがらその部屋に向かったのですね。なんと、なんとご立派な……!」


 口では敬意を示しつつも、リクスンは拳で軽く床を打った。やりきれなさに顔を歪める臣下にうなずき、フィールーンは手記と共に持ち出したもう一枚の紙を手に立ち上がる。


「だから、私はもう……あのお方をひとりにしたくないんです。暗い地下室で3年もの間、待っていて下さったのですから」

「姫様?」


 フィールーンはドレスの胸に息をため、睨み合っている商人たちの前へと一気に進み出た。


「私からもひとつ、よろしいでしょうか」


 上等な紙で出来たもう一枚の書簡を開き、決然とした声で宣言する。



「この“花盛屋敷”は今夜、ゴブリュード王家に譲渡されることが決まりました」


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