5−12 賛成してくれるか

「ガアアアッ!」


 さきほどまでの躊躇いを捨て、ウサギの獣人はセイルへと突進してくる。


「……っ!」

(油断は禁物だよ、セイル。どうも薬には、身体強化の効果もあるようだ)


 テオギスの分析通り、細腕であるはずの獣人から繰り出される一撃は重い。獣人の中では力がない部類だとはいえ、元々はヒトよりも優れた身体を持っているのだ。


「リルサ、ナルルザ……ああ、すぐに会いにいくよ……! またみんなで、森へでかけよう」


 ヒトの子供相手だと制限していた力の枷。それが薬物によって取り払われた今、彼の血走った目が映すのは恋い焦がれる故郷の風景のみなのだろう。


 しかしこちらとて易々と斬り伏せられるわけにもいかない。セイルはがむしゃらに振るわれる斧を受け流し、あるいは弾き、土埃を上げて広場を駆けていた。


 得物が打ち合い火花を散らすたび、前のめりに身を乗り出した観客たちから興奮の声が飛ぶ。その渦の中にあってもセイルの耳は、あの癪に障る猫なで声を拾い上げた。


「相手の獣人を不憫に思うのなら、勝たせてやるのもひとつの手ですわぁ。けれどその場合、戦士さんのチョーカーが黒く染まりましてよ」

「だ、旦那っ、それだけはいけねえ! そうなりゃもう、“遊戯”に挑戦することすらできなくなっちま――ぐぅっ!」


 視界の隅で黄色いものがよろめくのを見、セイルは思わず戦いの場から目を逸らす。特等観覧席のとなりで首を押さえて膝をついているのは、もっとも小さな仲間の少女だ。


「ぐ、うぁっ……は!」

「ああ、耳が疲れますわぁ。その商人言葉は、“お引き渡し”までに躾けなおす必要がありそうね」


 タルトトが静かになったことを確認し、バネディットは拘束の魔術をかけていた従者に目配せを送る。オルヴァが恭しく腰を折ると、解放されたドレス姿の商人は激しく咳き込んだ。


「木こりッ!! 余所見するな!」

「!」


 騎士の警告と同時に、セイルの腿にするどい痛みが走る。常人ならざる反射神経をもって何とか重傷には至らせなかったものの、身体が大きく傾いた。


(セイル!)

「……ッ、問題ない」

(いや、ある。傷はすぐに塞がるだろうけど、しばらくは足を庇いながら動いてほしい。君の治癒力は夫人のか――)


 温かい血が服に広がる。それらが腿全体を包んでいく不快さに耐えつつ、セイルは呟く。


「――“お気に入り”になるか、か」

「ガゥアァッ!」


 相手の獣人が振るった斧を弾き、セイルは手加減しつつ回し蹴りを放った。攻撃することに執着している獣人は防御の姿勢も取らず、後方へと吹き飛ばされる。


「うぐっ……!」


 そのまま無様に地を転がるかと予想するが、意外にも相手は空中で身体を捻って受け身を取った。四つん這いで着地した男は、よだれが滴る口元を隠さずに唸る。


「グウゥ……!」


 彼の薄汚れた頬には、口元に見える液体とは別のものが光っている。


「帰る、帰る……帰らせ、ろぉ……っ!」

「……。ウサギのくせに、頑丈だ」

(セイル……)


 気遣わしげな親友の声に、セイルは言葉を返さなかった。彼のように雄弁な言葉が自分にあれば、目の前の獣人を救うことができるのだろうか――と、叶わぬ打開策が頭をよぎる。


“こっち”

「!」


 その無意味な考えを払ったのは、聞き覚えのある透き通った声だった。


「聞こえたか。テオ」

(? 何がだい)


 賢者の返事を聞いたセイルは、すぐさま闘技場の暗がりに目を遣った。今度は余所見ではない。獣人の斬りかかりをいなしつつ、声の主の気配がする方角を探すと――


「そこか」


 力を込めて獣人を弾き、一目散にそちら目指して駆け出すセイルに場がどよめく。自分が目指す先にある得物を見つけた観客の数人が、手すりから身を乗り出して叫んだ。


「見ろ! 何かあるぞ」 


 もっとも低い観客席の下、無骨な石造りの壁。そこにそっと立てかけられているのは、見間違うはずもない大戦斧――クレアシオだった。


「――お前か」


 支給された斧を放り出し、セイルは愛用の武器を手に取る。色々と不気味なところもある戦斧だが、この場においてはありがたさが勝った。


(また聞こえたんだね、彼の声が。いや、失礼……“彼女”かな?)

「知らん」


 もちろんこの事態に納得しないだろうバネディット夫人が、芝居がかった調子を取り去って叫んだ。


「誰が彼の武器を運んだの? すぐに再没収を――」


 苛立った女主人の様子に、体格の良い手下たちがすぐに動こうとする。


「あれは斧……なのかしら。なんて大きい」

「いつの間に運び込まれたのだろう、凝った演出だ。気づかなかったよ」

「これでもっと派手な戦いが期待できますな! 今宵もまったく、夫人は粋な計らいをなさる」


 戦いの演出だと勘違いしたらしい観客の様子を見、夫人の顔色が変わった。ふたたび機嫌の良さそうな笑みを浮かべ、豪奢な物見席に腰を降ろす。


「まあ、皆様が喜んでくださるなら一興でしょう……」


 続けろとばかりにひらひらと太い手を振る夫人を確認し、セイルは相手の獣人に向き直る。彼はこちらの新たな武器の大きさにも怯まず、しかしどこか警戒を増したように鼻息を吹き出した。


「フーッ……!」

「来い、ウサギ。この穴ぐらから出してやる」


 その言葉が届いたかは分からない。しかし獣人は筋肉が隆起した足で地を蹴り、セイルへと突進してきた。


「アアアッ!」


 相手の倍以上の面積を持つ大戦斧の刃が煌めくたび、観客から熱狂の声が上がる。その熱をすり抜け、セイルの心中に涼やかな声が響き渡った。

 

(何か考えがあるという声をしているね。友よ)

「ああ」

(もしかして、君は……)


 顔めがけて振り下ろされた相手の斧を受け止め、鍔迫り合いへと持ち込む。ギギギと金属質な音が上がり、焦点の定まらない獣人の顔がセイルの目前で震えていた。


「……賛成してくれるか? 賢者」

(“竜の賢者”としては賛成だ。けれど君の“大親友”としては……反対、かな)


 どこか沈んだテオギスの声に、セイルは微かにうなずく。それだけしか出来なかった。


 そして刃が擦れる音の合間に届いた声は、友のものだけではなかった。


「セイルさんっ!」


 力の拮抗を保ったまま、セイルはその緊迫した声の主へと目を向ける。

 見つけたのは、地下にあってもなお青空を思い出させる瞳。


「だ、ダメです……っ! きっと他に、方法が――わ、私、考えますから」

「……」


 青ざめた顔でこちらに叫ぶフィールーンから、セイルはそっと視線を外した。聡明な王女のことだ、きっと自分の考えを一番に見抜いたに違いない。


「――すまん」


 みずからの口元にある空気を震わすだけの謝罪。同じ存在である彼女の耳にならば、届いたかもしれない――そう願いつつ、セイルは柄を握りしめていた手からふっと力を抜いた。


「ガアアッ!!」


 全体重を乗せて刃を押し込んでいた獣人が吼え、得物へさらなる力が込められる。セイルの大戦斧が手から叩き落とされ、かわりに手首を返した相手の刃が天井へ向けて銀の光を引いた。


「……ッ!!」



 熱さと痛みが雷のように胴体を走り、木こりの視界は紅一色に染まった。


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