間話:星をひろって

「どうしてアガト師匠せんせいは、ヒトの姿でばかりいるんだ?」


 不思議そうな声に、数えきれないほどの銀星を縫いつけた漆黒の空から目を逸らす。


「なんでそんなコト訊くのよ。ルナ」


 アーガントリウス・シェラハトニアは、焚き火の向こうでゆったりと四肢を休ませている弟子竜を見た。彼女の白い鱗が、闇に慣れた目にまぶしく映る。


「当然だろう? 師匠に弟子入りしてひと月が過ぎたが、竜の姿を見たのは初日の……あー、“ちょっとした試験”の時だけだ」

「はいはい、イキがってたお前らをボコボコにした記念すべき入門試験のことね」


 褐色の頬を軽く持ち上げ、からかいを込めて笑む。弟子――ルナニーナは、繊細な鱗に覆われた顔をむぅと器用に歪め、こちらを睨んだ。ヒトならばその眼光だけで卒倒するかもしれないが、アーガントリウスはローブの肩をすくめるだけにとどめる。


「ま、ルナが気にするのもわかるぜ。師匠」


 次に声を挟んだのは、夕涼みの最後の参加者――もうひとりの弟子である竜、テオギスだ。ハリのある紺碧の鱗に、焚き火の炎がチラチラと反射して踊っている。


「そりゃ、あんたのその“ヒト化術”の出来はすげえよ。けど寝る時でさえ竜に戻らないなんて正直、どうかしてるぜ。戻る方法を忘れちまったのかと思うくらいだ」

「んー? そうかねえ……。もうほとんどこの姿で過ごしてるから、気づかなかったわ」


 褐色の手を口に当て、ふわぁと大きく欠伸してみせる。それで話題を打ち切りたかったのだが、好奇心の塊である若き弟子たちはなおも食い下がった。


「何でだよ? ヒトなんか小せえし足短ぇし飛べねーし、不便じゃねぇか」

「バカにしないの。叡智は身体の大きさに宿るもんじゃないでしょ」


 きょとんとした表情を交わす若者たちを見、知恵竜は苦笑しながら言い加える。


「不便だからヒトは工夫する。力がないからこそたくさん集まって、大きなものを造る。お前らが大好きな遺跡だって、ほとんどヒトが造ったんだからね」

「そりゃ……そうかもしれねえけど」

「空を飛んでいるばかりじゃ、地上を彩る季節の花々を見逃すよ。それにこうやって、彼らが編み出した美味しい飲み物を気軽に楽しめるしね」


 宙に浮かしてあった陶器を手にとり、アーガントリウスは甘い香りのする飲み物で舌を楽しませた。すかさずルナニーナが長い首を伸ばす。


「そ、それ“ここあ”か!? あたしにもくれ!」

「冗談でしょ。お前らの一杯なんて、牛一匹の乳を絞り切ったって足りないんだから。羨ましかったら、ちゃんと小さくなるお勉強をすること」

「むー……」


 無念の表情を浮かべる弟子に献杯し、知恵竜は得意げに笑う。しかししばらく経っても顔を曇らせたままの彼女を見、茶化すように言った。


「どしたのよ、ルナ。今日はなんか、いつもの勢いがないじゃない」

「……心配になるんだ」

「え?」


 予期せぬ回答に、アーガントリウスは紫色の瞳を丸くする。彼女の連れである竜がこちらを睨んでいることには気づかないフリをしつつ、大真面目な様子のルナニーナを見上げた。


「たまに今晩みたいに、ひとりで星を見ていることがあるだろう。そんな時の師匠は決まって――そのまま夜空に溶けてしまいたいような顔をしている」

「……そう見える?」


 普段の迫力が嘘のように呟く弟子に、アーガントリウスは静かな声を返す。内心走った動揺に声が震えなかったのは、まさしく年の功だなと感謝した。


 太い前脚にどっかと顔を乗せ、テオギスが鼻息を吹き出して言う。


「ルナに心配させてんじゃねえよ、じじい。おかげで俺までこうやって原っぱに連れてこられんだ。日中の魔法戦で、鱗も爪もボロボロだってのによ」

「だ、だって! 師匠が帰ってこなかったら、困るじゃないか。お前だって、様子を見にいくのは賛成だと……」


 慌てた声を上げるルナニーナに微笑み、知恵竜は手にしていた陶器をふたたび夜空へと放った。中身を保ったままふわりと回転し、星々の光を受けて縁が輝く。


「昔一緒に旅したドワーフが、よく言ってたのよ。落ちた流れ星を一番に拾うと、願いが叶うってね」

「へえ。落ちたとこなんか、見たことねえけどな」

「俺っちもよ。ま、そのへんにコロコロ転がってちゃ、みんな眠れないでしょ」


 他愛ない冗談に男同士で笑い合っていると、ただひとり真剣な様子を保っているルナニーナがぽつりと声を落とした。


「師匠の願いってもしかして……竜じゃなくなること、か?」

「!」


 知恵竜は小さく息を呑み、笑顔を引っ込めて弟子を見た。真夜中だというのに、まるでこちらを焦がすかのような夕陽色をした瞳と視線がぶつかる。今度こそ声が揺らいだ。


「そう……見える?」

「わからない。あたしの直感はよく当たるが、だれかの心まで視えるわけじゃないからな」


 正直に答えてひとり尊大にうなずく若者に、アーガントリウスは密かに息を吐く。ルナニーナは時折、こうしたするどさを見せることがあるのだった。


「でもあたしは、先生が竜で良かったと思ってるぞ!」

「え」

「あたしもテオも、そんなに頭は良くない。教えを身につけるには、とても長い時間がかかりそうだからな! 同じ竜でなくちゃ、困るんだ」

「……ふ」


 これまた自信たっぷりに言う様子に、今度はおかしさがこみ上げる。もうひとりの弟子も、長い尻尾を涼しげに泳がせて言い添えた。


「そうだぜ師匠、竜で良かったじゃねえか。脆いヒトの身なんかじゃ、ルナの癇癪にゃ耐えきれねぇぜ?」

「なんだと、テオ! あたしはそんなに怒りっぽくないぞッ!」

「ま、そういう顔も可愛いから良いんだけどな。俺は」


 いつものじゃれ合いが収まるまで、ひとりずずずと音を立てて飲み物をすする。しばらくして、やや頬を赤くしたルナニーナが咳払いして言った。


「そ、それにだ! 星なら目の前にあるじゃないか。だってあたしたちはまさに――“期待の星”だろう?」

「!」


 牙を見せてにんまりと笑うルナニーナと、当然だとばかりに小粋にうなずいてみせるテオギス。まだ初級魔法の制御も怪しい若者たちを見遣り、アーガントリウスはついに吹き出した。


「くくっ! なんだ、じゃあ俺っち――すでに2つも“星”を拾っちゃってたわけね。そりゃ贅沢なこと」

「あ、師匠! なんかバカにしてないか!?」

「してない、してない。お前ら可愛すぎ」


 やはりしているじゃないかと癇癪を起こしそうになったルナニーナを手際よく落ち着かせ、テオギスが話題を締めに入る。


「とにかくよかったな、ルナ。これでぐっすり眠れるじゃねえか」

「ああ! でもそこまで師匠が惚れ込んだ“ヒト”に、あたしも興味が湧いてきたぞ。王都に行けばたくさんいるのか?」

「そだけど、行くならヒト化術を頑張らなきゃねえ」


 さりげなく勉学意欲を促してみるが、弟子たちの都合の良い耳には届かなかったらしい。星空を見上げ、テオギスが珍しく青銀の瞳を輝かせる。


「俺も会ってみてぇな。案外、気が合う友達ダチになれるかもしれねーし」

「あたしも行くッ!」

「気が早ぇっての」


 明るい未来への意欲を沸かせて盛り上がる若者たち。その姿を微笑ましく眺めつつ、遥かな時を歩んできた知恵竜はひとり呟いた。



「それに星を拾ったって、俺っちはやっぱり竜でいるよ。この美しい翼がなきゃ、やれない仕事が残ってるからね。そうだろ――リーナ」





「――せい。アガト先生っ!」

「……ん」


 焦ったような声に、うっすらと目を開ける。ぼやけた視界の中で揺れる黒髪と白い肌を見、アーガントリウスは懐かしい主人の名を呼ぼうとした。


「アガト先生! よ、よかった」

「フィル」


 はい、と元気に返事を寄越したのは、新しく弟子となった少女である。涼しい木陰の中でも輝く空色の瞳を見、知恵竜は背を預けている木に深く寄りかかった。同時に、頭上から別の声が落ちてくる。


「ついに召されたのかと思ったぞ。じいさん」


 見上げれば、のびやかな木にそっくりな逞しい若者の姿。彼はかつての弟子の鱗と同じ群青色の髪を風にそよがせ、じっとこちらを見下ろしている。


「せ、セイルさんったら……! でもとても深くお眠りになっていたので、心配しました。どこかお加減がすぐれないんですか、先生?」

「いーんや。ただ懐かしい夢を見てただけ」


 優美なローブの袖を振り上げ、大きく伸びをしてみせる。膝をついて緊張していたフィールーンに片目を瞑ってみせると、彼女はようやく大きな息を落とした。それでもまだ心配をにじませた顔でこちらを見る。


「あ、あの先生。夢というのは、その……昔の」

「夢は夢だろう」


 短く割り込んできたのは、精悍な若い声。アーガントリウスが目を瞬かせると、その視界に広い背が映る。彼が陽光の元へ歩み出ると、背負った古めかしい大戦斧がきらりと輝いた。


「起きたなら、前だけを見てろ。行くぞ」


 振り返らずに他の仲間が待つだろう場所へ歩き始めたセイルを見、フィールーンも慌てて駆けだした。追いついたと同時に転んだ彼女を助け起こす青年を眺め、アーガントリウスはひとり笑みを漏らす。



「お前が選んだ友達ほしは、ずいぶん生意気じゃないの。ねぇ、テオギス?」



 答えてくれる弟子はもういない。それでも知恵竜はローブについた草を払い、若者たちを追ってのんびりと木陰を後にした。




<間話:星をひろって 完>



***


おまけ:近況ノートに4章完結のイラストを置いてあります。よければご覧くださいませ♪

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16816700426012106083

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