2−33 変な意地張らないの
「姫様を……食らう、だと!?」
「キヒッ!」
「ま、待て!」
予想外の恐ろしい宣告に側付が硬直している隙に、半端竜人は素早く駆け出した。前方にいた竜人たちがさっと左右に分かれ、その男を通す。
「もうガマン、できない。うえで、くうッ!」
彼らの行動にはまるで、自分よりも強い兵への敬意――または畏怖のようなものがあるように見え、セイルはわずかに面食らった。
侍女服のスカートの端が逞しい肉塊たちの向こうへと消える。
「フィールーン様ッ!」
「――“成る”か? テオ」
(待つんだ、セイル!)
友から飛んだ制止の声に、セイルは胸へと集めていた魔力を霧散させる。同時に、突進してきた半端竜人の一体と交戦を開始した。
「……!」
それは先ほど袈裟斬りにしたはずの敵であった。噛み合わなくなった身体だとは思えぬほど力強い。セイルに比べれば治癒の速度も微々たるものだというのに、まるで痛みなど感じていないかのような虚ろな目をしている。
(ここで君が“竜人”に成っても、リンの混乱を招く。それにこの城はとても古い……竜人の君が大暴れすれば、上階にある城壁塔が崩落する危険もある)
「……ボロ城が! ッ!」
幸いなことに、歴史ある城への悪態は戦斧と鱗がぶつかる音に掻き消された。
通路の反対側には、同じように半端竜人の相手をしているリクスンの姿が見える。
死角を減らすため2人は通路中央へと後退し、自然と背中合わせの姿勢となった。
「く、こやつら……! 愚鈍な割に、力だけはある……ッ!」
「もっと炎を出せないのか、騎士。
「貴様こそ、なにか策はないのか!? これでは数で押し切られるぞ!」
額に汗を浮かべつつ奮戦する騎士を肩越しに見、セイルは小さく息を吐いた。
本当はリクスンを残して竜人化し、窓から王女のいる城壁塔へと飛び立ちたいところだ。しかしこの男は王女にとって、家族同然に大事な臣下なのだという――。
「……まずお前を、殴ってから……」
「な、何を物騒なことを呟いているのだ! 錯乱したか」
セイルがこぼした作戦にぎょっとした顔で騎士が振り向いた、その瞬間。
「遅くなったな、若者たち!」
爽やかな声と共に、銀の一閃が煌く。
いつの間に自分たちの間を通り抜けたのか、声の主はセイルたちと交戦している半端竜人2体の後ろに立っていた。
「あ……義兄上!」
「哀れなその身に、声が届くかは分からぬが――御免!」
礼儀正しい断りのあと、敵の身体を上下に分断していく剣閃。斬られた者たちは不思議そうに顔を見合わせ、やがて言葉を発さぬ肉塊へと成り果てる。
「ァ……!」
その惨劇を見てさすがに凍りついたらしい残党を眺め、堂々と通路の真ん中に立った人物――騎士隊長カイザス・ライトグレンの姿を見、セイルは片眉を上げて呟いた。
「一度に2体を……? 本当にヒトか、お前」
「貴様、窮地を救ってもらいながら、何という言い草だ!」
「はっはっは! 礼には及ばんぞ」
「義兄上! どう受け取っても礼には聞こえませんが!?」
喚く義弟に大きくうなずき、カイザスは刃に付着した血を振り払う。その長い両刃が眩い金色に発光していることにセイルが気付くと、心中の賢者より補足が届いた。
(代々の騎士隊長のみが持つことを許される、国宝の剣――“フロウディーン”か。引退するヤークから譲り受けたんだろう。いやあ、絵になるねえ)
「……」
セイルは思わず、冴えない色をした自分の斧を見つめた。竜人の魔力を吸い上げる時には見事に紅く輝くこの武具だが、今はただの古びた大戦斧にしか見えない。
「やっぱりここで、“成った”ほうが……」
(変な意地張らないの。さあ、強力な助っ人が現れたんだ。カイとあの剣ならば半端たちの相手を任せることもできるだろうし、好機だよ)
名残惜しさはあったものの、賢者の助言は今夜も的確である。セイルは竜人化を諦め、長身の騎士隊長の隣に並んだ。
呼び掛けようとした木こりだったが、ふと思い至って咳払いを落とす。
「あー……誰だか知らないが、礼を言う」
「なんの、なんの。民と義弟が襲われているのだ、放っておけるはずがあるまい」
うまい答え方だ、とセイルは心の内で小さく感心した。自分との繋がりは伏せつつも、彼は嘘をついていない。
「あんたは、どこから来たんだ? この城は妙に騒がしいが」
さりげなく城内の現況を尋ねると、カイザスは困ったような微笑を浮かべて答えた。
「レイモルド大臣と、“湖の年末大掃除”についての打ち合わせをしていたんだが……今夜するべき話ではないだろうと執務室を追い出されてね」
「それは……そうだろうな」
「うん。すると翼を持つ“もののけ男”が、逃げ回っていたらしいフィールーン姫を捕獲する場面と鉢合わせてな」
「なんと! そのようなお辛い目に……ッ!」
歯軋りをするリクスンに、カイザスも己の無力を悔いるように唇を引き結ぶ。美丈夫はそのまま、主君の娘が連れ去られた階段を見遣った。
「こちらは生身の足で遅れを取ったが……ようやく追いついた」
巨体でもってその道を塞いでいるのは、土色の鱗を持つ半端竜人だ。そしてその後方にもまだ敵が何体か詰めていることに気づき、セイルもリクスンも呻いた。
「くそ、時間がないというのに……! こうしている間にも姫様が」
「落ち着け、リン。こちらも数は揃った。確実に敵を減らし、城壁塔へ向かうぞ」
「はい義兄上! しかし、この者の処遇はどうなさるのです」
義兄に対する素直な態度を引っ込め、敵意を浮かべたリクスンがセイルを睨む。
木こりも眉を寄せたが、それは心中で吹き出した友へと向けたものだった。
(おやおや、すっかり“ピクドワの仲”というわけだ!)
「……意味は言うな」
(そう言わずに。
どうにも竜というものは、如何なる場面でものんびりとしている。セイルは重くなったこめかみを指でさすったが、こちらの事情を知るカイザスが明るい声を挟んだ。
「ふむ。どうやら木こりのようだな。城の森を管理するチャック老のお孫さんが、彼くらいの歳だと聞いたことがあるが……?」
「そ、そうなのですか!? では彼はただ、城へ挨拶をしに――?」
城に尽くす民間人だと思い直したらしいリクスンが青ざめる。
セイルは首を傾げ、斧を肩にトンと置いて断言した。
「? 人違いだ。そんなじいさんは知らん」
「……。ではやはり怪しい侵入者ではないかッ! 義兄上までも
(ああ、君って男は……。まるで“ポヌラフィムの狼”だよ)
「……今度こそ意味は言うな」
そんな若者たちのやりとりにカイザスは苦笑するも、年長者らしくずいと一歩踏み出して剣を構えた。
「ともかくだ、リン。今は戦える者は多い方がいい――そうだろう?」
「ぐ……。い、今だけです! 誓って」
「なんだか知らないが、無理そうなら退がってろ」
「うるさい!」
ふたたび立ち込めた戦いの熱気。
しかしその空気を切り払うように、冷たい声が通路に響いた。
「――ライトグレン殿。歓談よりも先に、為すべき仕事があるのではないですかな」
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