2−16 これまでの毎日、全部だ

「いやあああーっ!! お父さん、おとうさぁんッ」

「父さん!」


 泣き叫びながらくずれ落ちた妹の元へ、セイルも駆けつける。


 2人がかりでなんとか仰向けにすると、父はうっすらと目を開いた――まだ生きている。


「よっ……」


 さらに驚くべきことに、父は負傷していない方の手をついて上体を起こしはじめた。当然ながら力が入らないらしく、父は困った声で嘆願する。


「とと……。おい、2人とも。悪いけど肩、貸してくれ」

「あ――うんっ!」

「おれはこっちを」


 セイルと妹は父の両脇へと別れ、それぞれ支えようと屈んだ。すると意外なほど素早く伸びてきた父の腕が、自分たちを正面からがしりと抱き寄せる。


「あ……」

「お、お父さん?」

「……よく聞くんだ。セイル、エルシー」


 そう呟く父の声には、いつもの快活さが――そして身体からは、いつもの力強さが失われていた。


「……っ」


 セイルの直感が訴える――先ほど余裕そうに身体を起こしてみせたのは、父の最後の意地だったのだと。

 現に自分たちにしなだれ掛かる父の呼吸は弱く、視界の端に広がる背中はやはり赤黒く染まっている。


「いやよ、お父さんっ……! きくもんですか」


 父の頭を挟んだ向こう側にいるエルシーが、緑色の頭をふるふると振っているのが見えた。その頭をやさしく撫で、ダーニルは喉を鳴らした。


「はは……。メイシアにそっくりの、くせ毛だ……」

「きにいってるわ! じまんの髪よ」

「ガアアァッ!!」

「!?」


 親子の会話をかき消すような咆哮に、セイルとエルシーはぎょっと顔を動かす。

 見ると、空中にいたサリーンへ向けて紺碧の巨体――テオギスが躍りかかるところであった。


「なッ……ぐあぁッ、この!」

「魔力が尽きかけていても、僕は竜だ……! 忘れたのかい、サリーン・ミネガー!」


 そう叫ぶと竜は長い顎を上下に開き、ワニよろしく並んだ鋭い牙を竜人へと差し向けた。


「く――!」


 細いサリーンの身体にばくりと横ざまに噛みつき、そのまま地面へと叩きつける。賢者が見せた荒々しい光景に兄妹が言葉を失っていると、父の大きな手がぽんと頭を叩いた。


「あまり、見ないでやってくれ……。あいつは、ああいうのが得意な竜じゃない……」


 父は背後で行われている事態を把握しているのか、やや苦笑を滲ませて言う。そこから先は独り言のように続いた。


「ありがと、な……テオ。時間、くれたんだな」

「父さん」

「セイル……」


 目があまり見えなくなってきているのか、父の手はセイルのこめかみ辺りを無造作に撫でていた。森仕事をする男の、ごつごつとした逞しい手だ。


「木こりの仕事、大体、わかるな……? わからなかったら、隣の森の、ジョンソンさんに、きけ……」

「……わかる。いつも……みてたから」

「そうだな」


 満足そうにうなずき、次に父は妹の頭を撫でた。


「エルシー。家計は大変だろうが、しばらくは……心配ないだろう。物置の」

「ものおきの、ふるいブーツのなか。お父さんの、ヘソクリでしょ……しってるわ」

「おお……。くそ、精霊どもめ……」

「あたしがみつけたのよ」

「……はは! そういや母さんにも、隠しきれたことなかったっけ、か……」


 一段と重みを増した父の身体を支えると、セイルの額に汗が滲んだ。


「……っ」


 こんなにも大人は重いのか――そしてその身体が擦り切れるまで、父は戦ったのだ。


 一族の森を。

 長年暮らした家を。

 窮地にある友を――そして自分たち、家族を守るために。


「とにかく、だ……。悪いが2人とも、父さんは……母さんのところへ、行く」

「どうしてもうあきらめちゃうのよ!? ま、まだ」

「ゴホッ、ゴホ! がっ……は!」


 激しい咳込みに混じって聞こえたのは、びしゃと水っぽいものが地面を叩く音。


「!」


 セイルの心臓が大きく跳ねた。水音の正体を確かめるため振り向こうとした少年の後頭部を、ぐいと父の手が制する。


「ごほっ……。見なくてもわかるな。セイル……」

「……っ、母さんと……おなじ、“せき”だ」

「そんな、お父さん! いつから」

「ずっと前からだ。たぶん、オレも……王都にいる間に、かかっていたんだと、思う……。症状が出はじめたのは、最近だが……」


 ざらざらとした呼吸音を響かせ、父はうなだれる。荒い息を整え、続けた。


「子供には、この病はうつらない……。心配、するな」

「そんなことおもってないわ! どうしてお医者さまに」

「まだ……いい薬がないんだ……。金だけが、かかる。いいや、そんなことより……」


 子供たちを弱々しくも全力で抱き寄せ、ダーニルは明るい声で言った。


「――楽しかった! これまでの毎日、全部だ」


 ここで父はようやく2人を解放し、己の正面に見据えた。目の上を深く切っており、流れ落ちる血に片目を閉じている。


 ただその顔には、いつもと変わらぬ笑顔があった。


「メイシアと出会って……お前たちが生まれて。この森に小屋を、建てて……。上等な、暮らしじゃ、なかったが……。オレはいつも幸せで、楽しかった……ッ、ごほ!」

「父さん」

「お父さんっ!」


 顔を背けて咳き込んだ父を、今度はセイルたちが抱きしめた。


「お前らは……どう、だった? 父さん、頼りなかったかも、しれないけど……」

「ぜったいぜったい、そんなことないわ!」


 エルシーは怒ったように泣きながら父の言葉を掻き消した。


「ダーニル・ホワードは、さいこうのお父さんよ! お料理はヘタだし、お掃除も、できないけど……っ! すごい木こりで……かっこいい、“騎士”さま、なんだから……っ!! そうでしょ、お兄ちゃん!?」

「ああ……。そう……そうだ」


 喉がつかえてしまい、セイルはそれ以上の同意を示せなかった。

 ダーニルは妹の勢いにしばし圧倒された後――くしゃりと破顔する。


「はは、お前たちも……最高の子供たちだ! これで母さんに胸張って、良い土産話を持っていける」


 ぽん、ぽんとセイルと妹の頭上に手を置き、父は“木こり”らしく豪快に笑って言った。



「じゃあ2人とも、兄妹仲良く――元気でな! また会おう!」



 およそ別れの言葉とは思えない明瞭さ。


 ここまでの有様は実は冗談だったと暴露してくれるのでは、とセイルが密かな期待をした瞬間。


「……」



 ダーニル・ホワードは抜け殻になった身体を子供達に任せ、“天ノ国”へと旅立って行った。

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