2-3 恩人を困らせたくはないからね

 セイルたちが助けた竜の名はやはり、テオギス・ヴァンロードと言うらしい。


 王都ゴブリュードでは“賢者”をして働いていたと教えてくれたが、木こりの少年にはあまりピンとくる話ではない。


 竜との出会いから3日後、セイルはすでに通い慣れた道を歩いていた。

 程なくして見えてきたのは、父と共に苦労して張った雨除けの下に横たわる大きな群青色である。


「やあ、セイル。今日も来てくれたんだね」

「まだうごけないだろ。朝メシだ」


 少年は膨れ上がった布カバンをどさりと地面に降ろす。

 セイルの顔よりも大きな麦パンに、自家製の山羊チーズ。木の筒に注いだ温かいシチュー、そして彼の好物だという“シンジュヤマモモ”のシロップ漬け――。


「ああ、いい匂いだ! 君の妹の食事は、どれも堪らないね」

「たしかに、あいつのメシはうまい」


 食卓がわりの大きな切り株の上に次々とそれらを並べると、竜の賢者は大きな口元を器用にほころばせた。


「死にかけていたところを助けてもらったばかりか、こんなご馳走を振る舞ってもらえるなんて。僕は幸せ者だ。ただ、ほんの少しだけ……病人のわがままだと、呆れて聞いてもらえるなら」

「……シチューのニンジンなら、筒につめるまえにおれがくっといた」

「感謝するよ、小さな恩人君!」


 心から嬉しそうに声を弾ませ、テオギスは立派な尻尾を波打たせた。「あいてて」と小さく呻いたあと、今度は慎重に尻尾を丸めて後ろ足の脇におさめる。


「じゃあ、いってくる。また昼に見にくる」

「う、うん……」

「どうした?」


 きょとんとした顔――竜という生き物は、鱗に覆われた顔をしながらも実に表情豊かだった――をするテオギスを見上げ、セイルは首を傾げた。


「今日も仕事かい? 木こりの」

「そうだ」

「昨日も一日中だったじゃないか」

「いまの森は、家具につかえる木がたくさんとれる。冬になるまえに、もうけとかないと……。外国人がすきな、みやげものにもなるし」


 自分の発言は竜にとって意外なものだったらしく、彼は青銀の瞳をぱちぱちと忙しく瞬かせる。


「熱心だね。ダンも喜ぶだろう」

「……」


 少年は落ち着かない心地になり、無意識に首に提げた母の形見を触った。


「君は立派な男だね、セイル。一族の森や家族を、ちゃんと守っている」

「……それが、おれのしごとだ」

「君は“木こり”の仕事を愛してるかい?」


 唐突なその問いに、少年は当然ながら即答できずにいた。

 竜は先ほどまでの親しげな調子を薄め、どこか毅然とした面持ちでセイルを見下ろしている。これが“けんじゃ”という者の力なのだろうか。


「しごとは……きらいじゃ、ない。けど」


 けど――?

 こぼれ落ちた己の言葉に、セイルは息を呑んだ。


「……」


 そもそもそのような問い自体、思案したこともなかった。


 自分は木こりになるよう育てられてきたのだ。スプーンの次に握ったのは手斧であったし、泥団子を磨いて遊ぶことはなく工芸品としての木彫り技術を学んだ。


 後悔はない――おかげで今、こうして手に職があって食えているのだ。森の奥にある木々は太すぎて、まだセイルの手に余る。それでもいつか父のように斧を振るい、あの立派な木々を倒す日が来るだろう。


 明るさを取り戻したテオギスは、深い声で笑って言った。


「ごめんごめん、忘れておくれ。恩人を困らせたくはないからね」

「……おまえは、どうなんだ」

「ん?」


 知らずと唇を尖らせ、セイルは目だけを竜に向けて訊いた。


「たのしいのか。“けんじゃ”って」

「ああ、もちろん! 楽しかったさ。誰も知らない、太古の歴史への探究――毎日が驚きと発見に満ちていた」

「クビになったのか?」


 さり気なく過去を指す物言いに気づき、セイルは率直に尋ねる。竜の賢者は何かを探すように空を見上げ、鱗の頬を上下させた。


「どうだろうね。せめて、僕たちの研究室を残してくれてたら良いんだけど……。貴重な歴史資料が詰め込まれているからねえ」

「ぼくたち?」

「うん。僕の妻だ。我々は、2人で同じ仕事をしていたんだよ」


 町の八百屋を切り盛りする夫婦みたいなものだろうか。セイルはそんな身近な光景を思い描くも、小さく頭を振った。


 おそらくこの竜が取り掛かっていた仕事はもっと立派で、たくさんの人々の役に立つ大事なものなのだろう。


 みんなから褒められ、ありがとうと口々に感謝される――そんな仕事。


「……なんで、やめたんだよ」


 自分の問いに少しの棘が混じっていたことに少年は気づかない。竜は人間には出せそうにない不思議な音で喉を鳴らし、呟いた。


「恩人の前で悪いが……それは秘密にさせてくれると嬉しい」

「べつに……いいけど」


 おそらく妹であれば、教えてくれるまでこの場に座り込むだろう。しかしセイルは相手の柔らかな拒絶を感じ取ると、すぐに身を引いた。

 賢者は少し困った顔をして言い足す。


「きっと、楽しい話じゃないからね。少しやり残した仕事もあるから、怪我が治ればすぐに出ていくよ」

「……そうか」

「この森は清らかだ。それにエルシーが口添えしてくれたおかげで、精霊たちも僕の滞在を許してくれている。だからもう少しだけ、この素敵な寝床を借りていてもいいかい?」


 最後はやはり悪戯っぽく――セイルが言うのも妙だが、この竜はどこか子供のような無邪気さをもっている――笑い、テオギスは角頭を傾けた。


「……妹がよろこぶ」

「つれないね。これでも歴史研究家として、話のネタはたくさん持っているんだ。よかったら君も、休憩がてらここに寄ってくれ。退屈させないよ」

 

 どう考えても、向こうの退屈しのぎとしか思えない。そんな呆れを心中でこぼしつつも、セイルは己の心がふわりと軽くなったような心地を覚えた。


「……」


 森での仕事と家の用事をこなすだけで日が暮れてしまう毎日。

 その中に今、謎多き“竜”という存在が投げ込まれたのだ。


 自分は心躍らせているのだと気づき、セイルは子供にしては硬い手で斧の柄を撫でた。


「気がむいたら……な」


 はしゃいではいけない。

 すかさず心の奥から飛んできた警句に、少年は身を震わせる。


 考えもなしに好き勝手を働くと、あとで必ず手痛い“代償”を支払わねばならない。

 ほとんどの子供が考えたこともないその摂理を、少年は誰よりも理解していた。


「もちろんだとも。君が訪れたいと思った時でいいさ」

「おれがこれないときは、エルシーがくる。夜には、父さんも」

「みんな一緒でも歓迎だよ。さあ、朝食をいただこう」



 長い舌をのぞかせて行儀悪く口元を舐め、竜は好物に手を伸ばした。


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