第2章 木こりと竜の物語

2−1 まってろ。死ぬな

 セイル・ホワード少年が“それ”を見つけたのは、隅々まで知り尽くした自分たちの森の奥地だった。


「……竜だ」


 9歳の子供にしては淡白すぎる驚き。けれどそれは、木こりとして変わりない日々を過ごすセイルにとっては最大限の反応でもあった。


「まだ、いきてる……」


 ここまで駆けつけてきた理由は、木が倒れ大量の鳥が飛び立つ音を聞きつけたからだ。他の森の木こりが侵入してきたか、気まぐれな雷でも落ちたか――そう覚悟をして木の幹から顔を出して発見したのが、この巨体を持つ竜である。


「でかいな……」


 まず大きさに着目したことだけが唯一、少年らしいとも言えた。


 明け方の空のような、群青色の鱗。美しいその天然の鎧は、無残な斬り傷や火傷によって血に汚れていた。

 セイルなどひと裂きにできそうな鉤爪はいくつか折れており、翼も落下時に痛めてしまったのか奇妙なねじれ方をしている。


「……わる……い、ね……きみ」

「!」


 長い首の先にある角頭――黒く立派な角で、片方の根元には黄金の輪が輝いている――がわずかに持ち上がり、かすれた声を上げる。セイルは明るい茶色の瞳を丸くした。


「しゃべった」

「これ、でも……おしゃべり、好きで……ね」


 弱り切ってはいるが、深みがある“大人”の声。

 そこに攻撃性を感じなかったセイルは、握りしめていた手斧を腰に吊る。木の根を軽やかに飛び越え、巨躯へと駆け寄った。


「怖く……ないの、かい……?」

「こわい。けど、竜はだいじにしろって父さんが」

「おや……。ふふ、そうか、もしや……君は、セイルくん……かい」


 セイルの言葉と斧を確認したらしい竜は、満足げな息を落としてふたたび首を横たえる。大きな痛みが走ったのか、びくりと前足が痙攣した。


「おれを知ってるのか」

「きみの、お父さんと……友だち、だったんだ。元気、かい……?」

「今は、エルシーと飯をつくってる。オレはキノコをとりに」

「……」


 お喋りだと挨拶したはずの竜は、言葉を返さない。その原因であろう傷や出血の具合を見た少年は、率直に訊いた。


「死ぬのか」

「どう……だろう、ね……。ずいぶん、落ちたから……」


 遥かな大空へと遣った瞳は、青と銀が混ざったような不思議な色。

 セイルがじっとしていると竜は鋭い牙を覗かせ、震える息を吐き出す。笑ったのかもしれない。


「いくつか、木を……倒して、しまった。わるい、ね」

「……」

「僕が死んだ、ら……鱗や角なんかを、粉にすると、いい……。畑にでも撒けば、よい作物ができる……はずさ」


 その知識を持たなかったセイルは驚き、まじまじと物知りな竜の身体を見つめた。


「ああ……。ただ、できれば……この角にはまった輪だけは、売らないで……ほしいかな」

「なんだ、それ」

つがいの証、さ……。ヒトで言う、結婚指輪だ……。溶かせば、いい金にはなるだろう、けど――」

「そんなことしない。おれも持ってる」


 きっぱりと否定したセイルに、驚いたような視線が向けられる。ごそごそとシャツの胸元を探った少年は、革紐に繋がれた小さな指輪を引っ張り出して言った。


「母さんのだ。だいじなものだってことくらい、知ってる。だから売らない」

「……そう、か。じゃあ、メイシアは……」

「……。1年まえに、死んだ」


 言いながら少年は、自分の体が冷たくなる感覚に襲われる。じっと竜がこちらを見ている気配がしたが、まだ自分には制御しきれない震えはどうしようもないものだった。


 思い切り茶色の頭を振ってその震えを吹き飛ばし、セイルは竜を見上げる。


「母さんとも……ともだち、だったのか」

「そう、だね……」

「父さんはむかし、城で騎士をしてたってきいた」

「うん……。僕も、城にいたから、ね……。“賢者”って、わかるかい」


 セイルは妹が好きな絵本を思い出し、うなずいた。森で迷った勇者一行の前に現れ、杖から光を放って彼らを導いた老師の挿絵を思い描く。


「もの知りの、じいさんだ」

「う、うん……。ヒトだと、大体そうだ、ね……」

「じゃあおまえも、じいさんなのか?」


 率直な疑問をぶつけると、竜は細長い喉を鳴らした。

 やはりこれが彼の笑い方らしい。

 

「これでもまだまだ、若いんだ、よ……。まだ300歳ちょっと、だ」

「……。やっぱり、じいさんだ」

「はは……」


 今度はどこか困ったような笑い声を上げる竜。

 しかし次の言葉は、まるで夜明けの森を思わせる静けさを持っていた。


「――ありがとう、優しい少年。最後に楽しい、お喋りができて……僕は、ツイてるよ」


 わずかに目を細めた竜はそう呟き、静かになった。

 一瞬身を固くしたセイルだったが、竜の腹部がまだゆっくりと上下しているのを認めてひとりうなずく。


「まってろ。死ぬな」

「え……き、きみ」


 竜は何か言いかけたようだったが、少年は革靴の音を高らかに響かせて家へ駆け出していた。

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