第16話
これだけはっきりと拒否されたら、傷ついてこの場を去るか、怒ってこの場を去るか。どっちにしてもエミリア達から離れていくのが普通だろう。だがクレオは全くセストの言い分を聞かず、この場を動かなかった。
「あなたは騙されているのよ。なによその女、そんな風に被害者ぶって泣いたふりをして!」
エミリアが恥ずかしさに悶えていたのを、クレオは恋人に縋り付いて泣いている演技だと思ったらしい。
泣いていると聞いて慌てて振り返ったセストに、エミリアはないないと手を振ってみせた。セストの言葉に感動しても、さすがに泣くほどのことはない。それより初めて見るタイプのクレオの精神構造が心配になって来ていた。
「婚約者同士もその家も、お互いにこの関係に問題がないと言っているのに、無関係の第三者から破棄しろと言われるとは思いませんでした」
「破棄しないぞ」
「当然です。畑や作業場まで用意してもらったんですから」
「もう嫁ぎ先にわがまま言っているの?! こんな金遣いの荒い女、バージェフ侯爵家に相応しくないでしょう!」
「いや、彼女は自分で稼いでくるからな。黒字だ」
「土地は少し使わせていただきましたけど、お金はかかっていないと思います」
クレオの言いがかりに、ふたりが淡々と答える様子は乾いた笑いを誘う。
クレオの後ろにいた三人の女生徒は、あいにく普通の精神構造をしていたので、クレオとセストの間に挟まれた護衛や、王太子婚約者のアルベルタがうんざりした顔をしているのにも気付いていたし、他の護衛達が呆れた顔をしているのにも気付いていた。どう考えても分が悪いしお呼びでない。
それに彼らがいたのは、帰宅するために生徒達が必ず通る門に向かう道だ。この時間、多くの生徒が通るためにすっかり注目の的になっている。
最近、毎日のように注目の的になっている気がするのだが、いつになったら静かな学園生活に戻れるのだろうかとエミリアが現実逃避しかけていたら、少し離れたところで黄色い声が上がった。
この場合、だいたい来るのが誰かは決まっている。
「こんなところでなんの騒ぎだ」
予想通り、ランドルフがリベリオと、なぜかリーノ・ロザトを連れて歩いてきた。
「王太子殿下!」
ランドルフを見つけた途端、クレオは満面の笑みを浮かべ、それは嬉しそうに駆け寄った。セストはどうしたんだよと、誰もが心の中で突っ込みたくなるような態度だ。
「お兄様とおふたりなんて珍しいですわね。どうなさったのですか?」
そのまま腕にしなだれかかろうとしたのだろうが、ランドルフはリーノの背後に身を隠して避け、反対側に回りながらリーノをクレオに押しやり、自分はさっさと婚約者の元に歩み寄った。避け慣れている。
「昔の自分を見せられているようだわ」
思わずフローラが額を押さえて目を伏せた。
「あなたは演技だから」
「そうよ。卑怯な手を使われていたんだもの」
「ありがとう、慰めてくれて」
エミリアとジーナに慰められても黒歴史は消えない。
ランドルフに近付くにしても、もっとやりようがあったんじゃないかと今は思える。あんな迫り方をする女に騙される男が将来の国王になるなら、自分はそんな国にはいたくないと思うのだが、男性経験のない十七歳の女の子には、あの時には他の方法は思いつかなかった。
エミリアの傍にしっかりと護衛がいるから安心だと思い、セストは彼女から離れてランドルフの元に向かった。
「いったいどうしたんですか」
「アルベルタの護衛を考えていて、何人か候補を選んだんだ」
「私は、リーノは駄目だと言ったよ」
リベリオはリーノ自身よりも、兄がアルベルタの護衛になったのを利用して、クレオがランドルフに近付こうとするのを危惧していたのだが、そのクレオがセストに言い寄っているとは。
「なんでまた、今更セスト狙い?」
「先日の、呪いが発動前に戻って、また発動して、生徒達の目の前で瞳の色が変わった事件を聞いて、エミリアが羨ましくなったみたい」
アルベルタの説明に、リベリオもランドルフも脱力し疲れた表情になってしまった。
アルベルタと三人がそんな会話をしている時、なぜかリーノはランドルフの傍には行かず、エミリアに近付いてきた。
少し前は憧れていた相手だ。やっぱり素敵だなとは思う。
相変わらず見事な赤毛で、きりっとした顔つきの長身の青年だ。
でもセストを見た時のような胸の高鳴りは、もう彼には感じない。意外なほど冷静だった。
「あなたがセストの婚約者か」
遠くから友人と話す様子を見ていた時のリーノは、さわやかな笑顔で気さくな様子だった。王国騎士団長の息子で、いずれは彼も騎士になると噂で聞いて、きっと似合うだろうなと想像していた。
「どこかで……ああ、以前、私を見ていたことがあるだろう」
だけど話しかけてきた彼は、想像とはだいぶ違っていたようだ。
婚約者の前で、こんなことを暴露される女性の気持ちを考えてはくれないらしい。
「なぜ、あなたが婚約者に? 呪いのせいで断れなかったのか?」
「お兄様、何をおっしゃっているの? どうせこの女が無理矢理……」
「彼女は国王夫妻にも信頼されている優秀な錬金術師なんだそうだよ」
「うそ……」
どうやらクレオも兄の言葉は信じるらしい。
今までセストだけを見つめてエミリアを無視していたクレオが、今度は憎しみを込めてエミリアを見た。
「しかもこんなに素敵な人だ。最初、いつも見ていてくれた子だとは気付かなかったよ。見違えるほど綺麗になった」
「そんなことないわ。こんな女、いくらでもいるじゃない」
「黙っていてくれないか、クレオ」
「え?」
まさか兄に、相手にされないとは思わなかったのだろう。
今まで父親も兄も、自分のいうことは何でも聞いてくれていた。誰よりもかわいいと言ってくれていたのに、兄は今、クレオではなくエミリアを見ている。
「どうだろう。あなたは私のことをいつも見ていてくれただろう? もしよければ、私にもチャンスをくれないか?」
いつもならエミリアに近付く男がいると殺気を漂わせるセストが、今はただ無表情のまま、ふたりのやり取りを聞いている。エミリアには憧れている相手がいると、リベリオが言っていたのを思い出したのだ。
それがリーノで、彼もエミリアが好きだというのなら、邪魔者はむしろ自分なのだろう。だったらエミリアの望むとおりにするしかないのではないか。
ランドルフやリベリオが心配そうにこちらを伺っているのはわかっていても、今は彼らにまで気を回す余裕はなかった。ただエミリアに、差し出されたその手を取らないでくれと、心の中で祈るだけだ。
「お断りします」
そんな中、エミリアがあっさりと笑顔で答えた声は、周囲が静まり返っていたために、ずいぶん大きく聞こえた。
「え?」
「だってあなた、私の名前を憶えていないでしょう? さっきから一度も呼んでないですよね」
ばっと全員の視線がリーノに向けられた。
「う……」
「錬金術師だということは知っていて名前は憶えていない。それなのに婚約者の前で口説く。ぜんぜん騎士に
確かにあの頃は彼が素敵だと思っていたのだ。
でも、遠くから見ていればよかった。憧れの相手は近付いたら駄目なのかもしれない。
「それだけなんです。それだけだったと今わかりました。すっきりしました。会えて話せてよかった。セストとの婚約に全く迷いがなくなりました」
きっちりと宣言してセストの隣に駆け足で戻り、セストの肘に腕をかけて見上げると、セストは驚いた顔でエミリアを見ていた。
だが、さすが兄妹。
エミリアにはっきりと断られたというのに、リーノは懲りずに手を差し出した。
「バージェフ家は確かに名門だが、アサシン職や諜報をする家だ。あなたに相応しくない。でもうちなら代々騎士をしている……」
「リーノ、それ以上の暴言は許さんぞ」
苛立ちを含んだ声でランドルフが言うと、リーノははっとして口を閉じた。
「どうやら、おまえは今のままでは騎士にはふさわしくないようだ。アルベルタの護衛の依頼は中止だ」
「な、なぜですか!?」
「なぜ? 警護対象は知らせてあったのに、来て早々に婚約者の前でエミリアを口説きにかかるやつなんて、誰が信じる? しかも協力して警護に当たるバージェフ家をあからさまに侮辱した。騎士団長が同じ考えなのか確認しないといけないな」
何やってんだこいつ?
騎士の先輩である護衛の何人かは、複雑な顔つきでリーノを見ていた。騎士団長は彼らの上官だ。その息子がバージェフ家を
しかも周囲には帰宅途中の学生がいて、今のやり取りを目撃されてしまっている。兄だけじゃなくて妹もしでかしているのだから、騎士団長に話が及ばないはずがない。
「騎士団とバージェフ家は仲が悪いの?」
「そんなことはない。きみの護衛も半々だろう? 得意分野が違うんだ」
登下校の護衛や馬車の護衛など、騎士団の制服を着た者がいるだけで抑止力になるし、馬車の周囲を護衛するのも騎士の仕事だ。
アサシン職は護衛対象のすぐ傍らにいて、剣などの目立つ武器を持てない執事や侍女達に向いている戦い方だ。実際、バージェフ家で何か月か執事を修行させたいという貴族は多く、フローラがしばらくいた別館にはそういう立場の人達も滞在している。
「騎士団長だって、そう考えているはずなんだがな」
ランドルフ達と別れ侯爵家に戻る馬車は六人乗りなので、エミリアとセスト以外にも、ジーナやフローラ、他の騎士も乗っている。
「正直、リーノはどうでもいいわ。怖いのは妹の方よ」
「あの子、エミリアを睨みつけていたもんね」
ジーナやフローラとしては、セストにライバル心を持つリーノの気持ちはなんとなくわかっても、クレオの気持ちが理解出来ない。あの状況でまだ、自分は優位だと思える心境はなんなんだろう。
「これだけ護衛がいるんだ。無茶はしてこないと思うが」
「そう願いたいわね」
バージェフ侯爵家にマルテーゼ伯爵家からエミリアについてきているのは、護衛半分、畑の管理半分の使用人だけだ。身の危険があるので侍女は連れて来ていない。
そのためにバージェフ家のほうで侍女をふたりエミリア専任にしてくれて、ジーナとフローラも交代で侍女を手伝ってくれてもいる。本当に至れり尽くせりなのだ。これだけの待遇をしてくれて、人間関係も上手くいっているバージェフ家との婚約を、昔ちょっと憧れていた人から口説かれたからといって破棄するわけがない。
リーノに対する憧れは綺麗さっぱり消え失せ、セストに見初められた幸運を噛みしめているエミリアとは違い、セストは馬車の中でもほとんど喋らず、屋敷に到着しても難しい表情だった。
でも話したいことはあるのだろう。エミリアが作業室に向かうと、無言でついてきた。
「いったいどうしたの?」
エミリアは作業室について部屋の中央まで進んでから、入り口近くに立ったままのセストを振り返った。
「……いいのか?」
「何が?」
「きみはリーノが好きだったんじゃないのか?」
「いいえ。好きだったことは一度もないわ」
憧れと恋愛は違う。今ならはっきりと言えた。
「ロザト様が気にしているのはあなたよ。私はあなたの婚約者だから価値があっただけ。私があなたじゃなくてロザト様を選べば勝てた気になったんでしょう」
「だが、俺の瞳の色が変わらなければ、きみは彼を選んだんだろう?」
責任を感じてしまっているであろうセストに、エミリアはわざと足音高く詰め寄った。
「婚約破棄はしないと言っておいて、そのすぐ後に、名前も覚えていない男に私を譲ろうとしているの?」
「いや……」
「じゃあなんなの?」
「きみの気持ちをはっきり聞いたことがないと気づいた」
「うっ……」
確かに好きだとか愛していると言ったことはない。政略結婚なのだから、今まではむしろ避けていた話題だ。
でもエミリアを愛しているセストとしては、そこは重要な問題だった。出来れば両思いになりたいのが本音だ。今までは政略結婚なのだし、エミリアは自分の気持ちを受け入れてくれたのだからと自分を納得させていた。
そこにリーノが現れた。
エミリアの憧れていた男が、彼女を横から攫って行こうとしている。
こうなると話が変わってくる。
「私は……婚約破棄する気はないわ」
詰め寄った分、バックして離れようとしたのだが、その前にセストの腕が腰に回って引き寄せられた。
「それは知っている」
「な、なら問題ないでしょう?」
「きみの気持ちはどうなんだ? 俺をどう思っている?」
「それは……」
瞳の色で告白出来るセストが少しだけ羨ましくなった。
好きだという言葉を、好きな相手に告げるのは、とんでもなく難しい。
顔が赤くなり、どうしていいかわからなくて目が泳ぐ。口を開きかけて閉じて、パクパクしてしまう。
「それはまずい」
「え?」
「キスしたくなる」
「ええ?!」
今までいっさいその手の話題はなく、肩を抱く以上のこともなかったので、セストにはそういう気はないのだとエミリアは思っていたが、惚れた相手にそういう気のない男はいないものだ。
「本当に俺でいいのか?」
「いいわよ!」
「こういうふうに抱きしめてもいい?」
「ちょ……いいけど、ちょっと……」
「キスしても?」
好きだということは完璧にばれている。
さっきまでの暗い雰囲気はいっさいなく、セストは金色の瞳をとろかせてそれは嬉しそうにエミリアを見つめている。
どんどん顔が近づいてくるので慌ててしまい、どんどん後ろに顔をのけ反らせているうちに、エミリアの体勢はすっかり海老ぞりだ。
「何をやってんですか」
エミリアがなかなか自室に戻らないので捜しに来た侍女は、入り口のすぐ近くで思いっきり海老ぞりになっているエミリアと、笑いを堪えているセストを目撃して首を傾げた。
「そこまで嫌がられると、少し傷つく」
ふたり並んで自室に戻りながら、背後の侍女に聞こえないような小さな声でセストに言われて、エミリアは慌てて彼を見上げた。
「あれは突然だったから」
「嫌じゃない?」
「…………まあ、はい」
「許可は得たぞ」
「え?」
にっと口元に笑みを浮かべ、楽し気に自室に入っていくセストをエミリアは呆然と見送った。
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