第238話 友達へのアドバイス 2
「え……そう、なの? 真樹君から見て、私のやってることは良くないって」
「……うん。あくまで個人的には、だけど。ごめん、ちょっと、言い過ぎたかもしれない」
「ううん、気にしないで。初めのうちにダメならダメで言ってもらったほうが、私もすっごく助かるし。でも、そっか。……そう、なんだ」
それまで明るかった天海さんの顔が、俺の言葉をきっかけにどんどんと曇っていく。
良かれと思い、わざわざ居残ってまでやっていた作業だったにもかかわらず『良くない』と。そう否定されてしまえば、聞いた直後はそれなりにショックを受けてしまうかもしれない。
もう少しだけオブラートに包んで言うべきだったかも、と俺も内心後悔していたものの、しかし、天海さんの友人として、どうしてもここで言っておいたほうがいいという思いもあって。
「……あの、聞かせてもらっていい? 真樹君的に、どこが引っ掛かったのか」
「うん。俺の考えすぎ……なのかもしれないけど」
そう断って、俺は改めて天海さんが修正した部分の絵を眺める。
ぱっと見た感じは青色でも、近くで見ると、白や黄色、緑、黒、赤など、多くの色を重ねて塗ることで陰影ができ、より絵に立体感が出ている。
修正してこうなのだから、『なんかちょっと違う』と思った天海さんの感覚は、きっと正しいのだろう。
「その前に天海さん、一つ確認なんだけど、絵を描く作業は班の全員でやってるんだよね? 天海さん一人じゃなく、全員で」
「あ、うん。さすがにこの大きさだと私一人じゃ無理だから、下書きから皆で手分けしてやってるよ。私は大元のデザインを担当したから、班の皆に作業を指示したりが中心かな。瞳とか目とか、細かい部分で難しいところがあったら手伝ったりもしてるけど」
「じゃあ、今のところ作業全部を押し付けられてるとかじゃないんだ」
「うん。先輩たちも、後輩の子たちも皆いい人たちばかりで、率先してやってくれるよ。もちろん、大山君とか、同じ2年生の人たちだって」
「ってことは、この作品はちゃんと皆で作ってるってことだね」
「? うん、そうだけど……それがどうかした?」
結論を急がず、状況を確認しながらじっくりと話していく俺に、天海さんは首を傾げている。
自分でも回りくどい話し方をしているな、と自分でも思う。しかし、これが今の俺にできる精いっぱいのコミュニケーションだった。
……海なら、こういう時、どんなふうにして天海さんを諭しているのだろう。
「天海さん、例えばの話だけど、もし天海さんが誰かの指示で絵を描いてて、言われた通りに線を描いたり、色を塗ったりしたのに、次の日になってまったく別の絵になってたらどう思う?」
「! それは……その、」
「どう? 『なんか違うからこっちで描き直したわ、ごめんね』って――そんなふうに言われたら、あまりいい気分にはならないよね?」
「……うん。他の人のことはわからないけど、少なくとも私は嫌かも。設計図通りなのに、私のやり方が悪かったのかもって思っちゃう」
何かに気づいたのか、天海さんは今までより一層体をしゅんとさせて俺の問いに答える。
天海さんの行動を、どうして俺が『良くない』と思ったのか。天海さんもそれに気づいたらしい。
「天海さん、今日の居残りのこと、班の皆には……」
「帰る直前だったし、皆に迷惑かけちゃうかもって。……だから、」
そう言って、天海さんが首を横にふるふると動かす。
絵のクオリティをもうちょっと上げたいから、という天海さんの言い分はわかる。ウチの高校の体育祭はバッグボードの出来なども、組で争う獲得点にプラスされるので、そういう意味ではよりクオリティの高い絵を目指すのは悪いことではない。
でも、それでいい結果を修めたとして、何の相談もないまま自分の担当部分の絵を修正されてしまった人は、果たしてどう思うだろうか。
もちろん、人によっては全然構わないと言う人もいるだろう。天海さんだってフォローを入れるだろうし、人気者の天海さんが言っているから――と、表向きには何の問題も起こらないかもしれない。
しかし、天海さん自身がそう言ったように、ひっそりと、心のどこかでモヤモヤが残る人だって確実にいるわけで。
「……そっか。それで真樹君は、私のこと『良くないよ』って注意してくれたんだね。私、絵のことばっかりで、その辺のこと全然考えてなくて」
「わかるよ。天海さんって、そういうところ結構こだわりそうだし。一個のことに集中しちゃって他のことが後回しになるというか。勉強でもそうなってくれると、俺も海もすごく助かるんだけど」
「む~、真樹君、今なにげにひどいこと言った。私だって、勉強も同じくらい頑張ってるつもりなんだから」
「じゃあ、例えば?」
「ふぇっ!? あ、えっと、えっとね~……つ、『机に座ったら30分は寝ないよう頑張る』とか?」
それは果たして頑張ったうちに入っているのだろうか。
「えっと……それ、海に告げ口していい?」
「……えへへ~」
にこやかに笑いつつもしっかりと腕で『×』を作ってくるので、とりあえず聞かなかったことにしておこう。
そして、机に座ったのなら30分は頑張って参考書を開いて勉強してほしい。海の指導が厳しくなる前に。
「……ありがとね、真樹君。最初のうちはそんなこと言われるなんて思ってなかったからちょっとびっくりしちゃったけど……真樹君なりに、私のこと心配してくれたってことだよね。一人で突っ走って、他の人から余計な反感を抱かれないようにって」
「うん、まあ……でも、一番心配なのはそっちじゃなくて、天海さん自身のことなんだけど」
「? 私の」
「……うん」
そうして、俺はもう一つの心配事について説明をすることに。
「正直に言っちゃえば、修正の件は後から説明すればなんとかなるとは思うよ。結果的にいいモノになれば、点数的にもこっちの方に有利に働くわけだし、反対する人だって、多分いないと思う」
「だよね。じゃあ、どうして?」
「……そんなことになったら、天海さん一人でほとんどやらなきゃいけなくなっちゃうじゃないか」
「あっ……」
天海さんは何事もなくさっとやってみせたかもしれないが、設計図通りにやっている人はそういうわけにはいかない。
設計図から少し手を加えてやればいい、と言えば簡単に聞こえてしまうかもだが、天海さんの持っている感覚は天海さん自身でしか再現できないし、なにより、今回の絵は巨大なバッグボードだから、『ちょっと』の修正であっても、作業量は膨大になってくる。
その、天海さんにしかできない『ちょっと』が、作業が進むにつれて、どんどんどんどん積み重なっていけば――そう思い、余計なお世話であることを承知で、俺は天海さんに『良くない』と言ったのだ。
「それでも天海さんなら、もしかしたら平気な顔して全部やっちゃうのかもしれない。……でも、自分では大丈夫だと思ってても、急におかしくなる時ってあるから」
ちょうど去年のクリスマス、俺がそうなってしまったように。
忘れがちではあるけれど、天海さんだって、俺と同じ普通の高校生なのだ。
「だからその……頑張るのはいいことだけど、ほどほどに妥協するってことも大事なコトなんじゃないかなって。こんなこと言うのもなんだけど、体育祭なんて、たかが学校行事なんだから」
こういった類の行事に今までまともに向き合ったことなんてなかったから言えるセリフなのだろうが、誰かが無理をして成し得たことだとすれば、きっと手放しでは喜べない。
……それが、『彼女の親友』であり、俺にとっても『友達』の天海さんなら、なおのことだ。
「たかが学校行事、か……ふふ、ひどい言い草だけど、でも、なんとなく真樹君らしいかも」
「そうだよ。去年の文化祭だって、俺も海も妥協しまくってたし」
「え、そうなの!? 私、その時の二人を近くで見てたから、バッグボードだって一人でも頑張ってみようって思ったのに……」
「出来栄えは確かに悪くないと思ったけど、でも、細かいところはわりと、いや、かなり適当だったはずだよ。最後のほうなんて缶の数がなぜか足りなくて、そこらへんに捨ててあった汚い空き缶使って間に合わせたぐらいだし。『まあいいか』って海と話して」
天海さんは気づいてなかったようだが、実際はそんなものだ。できるだけ面倒な作業はせず、設計図通りに見えなくても、なんとなくそれっぽければオールOK――そうやって、なんとか期限内までに完成にこぎつけたのだ。
そんな出来でも、天海さんの中では綺麗なものとして、色褪せるのことない大事な記憶として残っていて。
「……多分だけど、皆と一緒に頑張ったっていうものがあれば、きっとなんとかなってくれると思うよ。妥協するのだって、別に好きでそうなったわけじゃないし……だから、そこまで無理する必要もないんじゃないかなって」
「『たかが体育祭』、だから?」
「うん。そう、かな」
もし作品の出来栄えが良くなくても、それが原因で点数がとれなかったとしても、それはそれできっと思い出になる。
体育祭が終わって、年が明けて、卒業して――月日が経った後に、『そういうこともあったな』と懐かしい気持ちになれたのだとしたら、俺としてはそれで十分だ。
「ふふっ、わかった。真樹君がそこまで言うなら、私も、出来るだけ無理しないようにするよ。勝手にやっちゃったところは塗りつぶしてやり直しちゃえばいいし、担当の子にもちゃんと後で謝ることにする」
「うん。……ごめん、大したことでもないのに、余計なお節介焼いちゃって、説教みたいなことまで」
「気にしないで。そういうところが、私の知ってる真樹君のいいところなんだって、ちゃんとわかってるから」
下手すれば煙たがられそうなことでも、嫌な顔一つ見せず、逆に感謝してくれる。
いつものメンバーだけではない。母さんはもとより、空さんや大地さん、陸さんなど、その周りにいる人たちも、こんな面倒くさい性格の俺のことを受け入れてくれて。
俺は本当に人の出会いに恵まれている。
「さて、と。真樹君にも心配されちゃったことだし、私もそろそろ帰ろっかな。お腹もすいたし、お母さんも待ってくれてるだろうから」
「あ、それなら、俺たちと一緒に帰る? ちょうど海もお手伝い終わったみたいだし」
スマホを見ると、ちょうど生徒会室を出たところらしいので、このまま向かえば、ちょうどいいタイミングで落ち合えるはずだ。
「ううん、今日のところは遠慮しておこっかな。パレットの片付けとかもあるし、それに、二人きりの甘~い帰り道をお邪魔したくないしね?」
「い、いや、最近はそんなに甘いことしてないし……」
あくまで帰り道では、だが。しかも、今日はそのまま朝凪家に直行なので、そこはきちんと気を付けている……つもりだ。
「そういうことだから、私はこの辺で。じゃ、ばいばい真樹君。また明日、学校で」
「うん。じゃあ――」
「! あ、待って真樹君」
別れ際、何かに気づいたのか、天海さんがこちらを呼び止めて、顔を近づけてくる。
「髪、なんかゴミみたいなのついてるよ。前のほう」
「え? どこ?」
「前髪の先のほうなんだけど……じっとしてて、とってあげるから」
天海さんが俺の髪にそっと手を伸ばして、何かの拍子に前髪にくっついていたペンキのカスのようなものを優しい手つきで取り除いてくれる。
久しぶりに近くで見る天海さんの顔だが、この距離でも見ても、変わらず息をのむほど整っていると感じる。
一本一本、さらさらと揺れる金色の前髪とその奥で輝く青い瞳――こうしてみると、確かに望が中々諦めきれないのもわかるような気がする。
「はい、綺麗になったよ。これで海にカッコ悪いとこ見せなくて済むね?」
「それ以上に恥ずかしいところを海には随分とさらけ出しちゃってるんだけど……とりあえず、わざわざありがとう」
「ふふ、どういたしまして~」
笑顔で手を振ってくれる天海さんと別れて、俺は早足で海の待つ昇降口へ。
海の帰りを待っている間、初めのうちは退屈でしょうがなかったが、天海さんとああだこうだと話しているうちに、すぐに時間が経ってしまった。
やはり、持つべきものは友達……そういうことなのだろうか。
海に『今そっちに向かってるから』とメッセージを送ってから、来た道を引き返して、すっかりと暗くなった渡り廊下を歩く。
「今日きつかったね……もう、マジ死にそう……か。ふふっ、確かに」
少し前にすれ違った女子生徒たちの言葉を呟いて、俺は誰もいない廊下の真ん中で、一人こっそりと笑った。
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