第227話 皆でプール 5


 ほどなくして、俺たちは流れるプールを人混みに紛れて漂う三人を見つけた。


 プールには当然、他にも多くの人達がいたわけだが、一際目立つ容姿の天海さんや、頭一つ抜き出た高身長の望を見つけるのはそう難しくない。新田さんもこういう場合は単独行動しないので、すぐに見つけることができる。


「お帰り、二人とも! 2回目はしっかり楽しめた?」


「まあね。夕、別行動のついでにかき氷買ってきたから、皆で一緒に食べよ」


「うん。じゃあ、私イチゴで!」


 天海さんにイチゴ、望にメロン、新田さんにはレモンを渡して、五人で近くにある休憩スペースへ。机の中心にパラソルがささっており、ちょうど昼前の日差しを避けられるようになっている。


「……ところで望、その、さっきからなんか険しい表情してるけど、何かあった?」


「ん? あ、まあ……別に大したことはないんだけどよ……」


 椅子に座って、海が差し出してきたブルーハワイのかき氷を一口食べてから、俺は望のことが気になって声をかけた。


 合流した時点でおかしいことは気づいていたし、何があったかは大体予想はつくが、とりあえず聞いてみることにしたのだ。


 で、予想していた通り、天海さんが苦笑しつついきさつを話してくれる。


「あはは……実はね、二人がこっちに来る少し前ぐらいに、男の人たちに声かけられちゃってさ。大学生だって言ってたかな? ね、ニナち」


「だね。確か、ウチの高校の卒業生だって言ってたかな。里帰りでこっちに帰ってきてるとかなんとか……まあ、ただの雰囲気イケメンだし、背もなんか低かったから、それ以外のことはあんまり記憶にないけど」


 新田さんの容赦ないチェックはともかく、話によると、望が近くにいた時は問題なかったらしいが、お手洗いで少し時間を外していた数分の間に声を掛けられたらしい。


 こういうケースの場合、天海さんの隣にはだいたい新田さんがいるので、そういった所謂ナンパ目的の人をあしらうことは問題なさそうだが、


『そのコ、俺の連れなんだけど、何か用?』


 と、その現場を見た望は、つい強い口調で大学生グループの人たちに凄んでしまった――そう、新田さんがくすくすと笑いながら説明してくれた。


「……いや、俺だってもうちょっとスマートに割って入ろうと思ったんだよ。でもさ、俺もそんな現場に遭遇するのなんて初めてだから、何気にテンパってさ……」


 先程のことを思い出しているのか、メロンのかき氷をストローでザクザクとやっている望がほんのりを頬を染めている。


 一応、声を掛けられているのは天海さんと新田さんなので、こういう場合『その二人』などと言ったほうが良かったのかもしれないが、望の視界には『天海さん』だけしか見えていなかったので、そう口走ってしまったらしい。


「天海さん、さっきも言ったけど、本当にごめん。ちょっと一緒につるんでることが多いだけなのに、勘違いしたこと口走って」


「もう、気にしないでって言ったでしょ? さっきも言ったけど、望君はあくまで私たちを助けようしただけで、それ以外には何もないってこと、ちゃんと分かってるって。大丈夫。私たちと望君はただの友達。大丈夫だから。ね?」


「ああ、うん。そう、だね……」


 慰めるために言っているのだろう天海さんの言葉が、望にぐさぐさと突き刺さっている。話の流れ上、悪気がないのはわかりきっているのだが……とりあえず、後で俺の方でさりげなく慰めておこうと思う。


「だからほら、ニナちもちゃんとお礼言わないと。望君に助けてもらって嬉しいからって、あんまりからかっちゃダメだよ?」


「いや私は別に……まあ、いいや、それで。関、ひとまずガード役ご苦労。こっちのかき氷食べる?」


「いらねえ。とりあえず俺を一人にしてくれ……」


 ともかく望のおかげで色々と面倒なことにならなかったことに安堵しつつ、溶けかかった残りのかき氷をそれぞれ四人でつつく。


 かき氷を食べることなんて今まで滅多になかったし、家で食べてもそんなに美味しくは感じなかったはずだが、こうして5人でまったり、暑い日差しの中で食べていると、人工的に作られた甘みや風味でも、いいなと感じる自分がいる。


 もし、1年前の俺が、今の俺を見たらどう思うだろうか。弱くなったとか、世俗に染まって、とかなんとか嫌味を言ってきそうだが。


 しかし、もしそうだったとしても、俺はきっとこう反論するだろう。


「……真樹、どうしたの? なんかにやけてない?」


「え? 俺、そんな顔してた?」


「うん、ちょっとほっぺがひくって動いたから。そういう時の真樹って、だいたい笑うのを我慢してるときだし」


「……海、本当、よく見てるな」


「そりゃ、アンタの彼女ですから……まあ、真咲おばさんから教えてもらったうちの一つなんだけど」


 一つ、ということは、どうやら他にもいくつかあるらしい。


 自分でも気づかない癖を知られている……どうやら、これから先、海には一生隠し事はできないようだ。


「で、何考えてたの? ただの思い出し笑いでもないでしょ?」


「まあ……別に大したことじゃないんだけど」


 つい先程考えていたくだりを海に素直に打ち明けて、俺は続ける。


「――こういうのも楽しいぞ、って」


「……そっか」


「うん」


 面倒なこともあるけれど、自分から能動的にかかわっていくからこそできる思い出だってある。


 そのことを教えてくれた皆に、今は感謝したい。



 ※



 プールを一通り楽しんだ後、俺たちは、そのままのノリで併設の遊園地へ突入して、そこでもばっちりと遊ばせてもらった。ジェットコースターを始めとした絶叫系のものや、おもわず背筋が凍ってしまうお化け屋敷など――すべての遊具や施設を一通り楽しんだ後には、あたりはすっかり暗くなっていた。


 おかげで体力もお金もすっからかんといったところだが、その分はきっちりと楽しんだのでよしとしておこう。


 家に帰ったら、きっとぐっすり眠れそうだ。


 というか、今の時点でもうすでに辛い。油断をしたら、気付いたときには乗り過ごして知らない駅まで行ってしまいそうだ。


 最寄り駅まで、これから電車に揺られて30分。駅についたらまず海のことを朝凪家まで送り届け、その後ようやく自宅に帰って……何気にやらなければならないことはいっぱいだ。


「んう、まき……かぁ……」


 さすがの海も疲れたのか、俺の体に抱き着くようにしてもたれかかって、気持ちよさそうに寝息を立てている。もちろん、他の皆もほとんど同じような状態で、望や新田さんも、規則的な電車の揺れに合わせて、それぞれこくりこくりと舟をこいでいた。


「ふふっ、海ってば、口まで半開きにしちゃって……真樹君、袖に涎ついちゃわない? 大丈夫?」


「いつもは一緒に寝てることが多いから染みができるんだけど、今日はなんとか俺が起きてるから平気。……天海さんも寝てて構わないけど」


「私はまだもうちょっとだけ元気だし、大丈夫だよ。それに、こういう時ぐらいは、海の面倒見てあげたいなって」


 そう言って、海の隣に座っている天海さんが、わずかに開いている海の口から垂れる透明な液体をハンカチで拭きとる。微笑ましい光景だが、いつもは海が天海さんの面倒を見ていることがほとんどなので、このケースは中々珍しかったり。


「今の海、すっごく可愛いなぁ~……海のこと、そう思ってたのは昔からだけど、真樹君が彼氏になってからは、どんどん隙だらけになって。前はこんな寝顔、見せてなんかくれなかったのに」


「そういえば、俺と会う前の普段の海って、どんな感じだったの? 中学時代、色々あったのは話聞いたからわかるけど、それ以外はそこまで知らないからさ」


 俺と共通の趣味を持つ前、中学時代の出来事がきっかけで天海さんたちと心の溝ができる前の話だ。


 天海さんのように特別目立つ容姿ではないかもしれないが、いつも誰かの中心にいて、率先してまとめ役を引き受けていたころの海――朝凪家にお呼ばれされた時など、たまに空さんが話してくれたりはするのだが、大体海が恥ずかしがって話を遮ってしまうので、興味があっても、いつも聞けずじまいで終わってしまっていたのだ。


「昔の海は、なんでも『完璧』って感じの女の子だったかな。その時は四六時中、ずっと海の側にいたけど、遊ぶときも、勉強するときも、全部海の方から誘ってくれて、私の知らないこと、なんでもいっぱい知ってて。……私の憧れのひと、って感じだったかな。私も、海みたいな女の子になりたいなって」


 天海さんと海の出会いの話は知っているので、もし俺が天海さんの立場だったなら、きっと同じことを思っただろう。


 ただ、その状態だと、俺と海の接点は永遠に出来なかっただろうし、さらに言えば、そのまま女子校の高等部へとエスカレーター式に進学して、彼女と出会うことすらなかっただろうから、俺的には複雑だったりするのだが。


「……そっか」


「うん……あ! もちろん、今の海のことだって大好きだし、ちゃんと私にとって憧れの女の子のままだから! 真樹君のせいで格好良かった海がポンコツになっちゃったとか、そんなこと断じて思ってないからっ。そこは安心して、ね? ね?」


「そんなに強く念を押されちゃうとなあ……」


 俺と繋がりが出来たことで少々だらしない一面が見え隠れしているものの、そのギャップのおかげで、2年生に進級してからも、中村さんを始めとしたクセの強い11組のクラスの面々とも仲良くできているし、天海さんともきちんと和解することができた。


 だから、きっとこれでいいのだと思う。


 おもむろに海の頭をくしゃくしゃと優しく撫でると、くすぐったそうに体をよじらせて、さらに俺のほうへと顔を擦り付けてくる。


 どんな夢を見ているのか知らないが、幸せそうでなによりだ。


「でも、海の寝顔は前にも何度か見てるけど、まさか、あの海がこんな子供みたいな顔するなんて……真樹君の手って、そんなに気持ちいいのかな?」


「どうかな……少なくとも海には効いてるみたいだけど」


 海の話によると、こうして俺の匂いや体温をそばで感じていると、大事にされている気がして安心できるそうだ。


 俺もこうして海と一緒にいると安心できるので、そういう点でも、俺と海の相性がいいことを示していると思う。


「そっか……あ、そうだ。じゃあさ、真樹君、ちょっと私の頭も撫でてみてよ。もしかしたら、私にも安眠効果みたいなのが期待できるかも。親友だし」


「それどういう理屈? 期待薄というか、無しじゃない?」


 親友といってもあくまで他人なので、実際に体験してみないと何とも言えないが、天海さんにはきっと俺は合わないだろう。


 そもそも、俺のことがまるごと好きだという海がちょっと特殊な女の子なのだ。

 

「そうかな~? でも気になるし、一回だけでいいからやってみてよ。ちょっと頭をポンポンするぐらいでいいから」


「意味ないような気がするけど……」


 とはいえ、他の三人が寝てしまっている中、このまま頑なに断って二人で微妙な空気になるのもおさまりが悪い気がする。少し撫でて、天海さんには何の効果もないことを確かめるだけだ。


「はい、それじゃあどうぞ」


「う、うん……」


 天海さんに促されるまま、俺は差し出された頭へ手を持っていく。


 しかしその瞬間、ふと、俺の脳裏にある場面がよぎって――。


「……ごめん、天海さん。やっぱり、それはできない、かな」


 天海さんの綺麗な金色の髪に指先が触れようかという瞬間、俺はそう断って、改めて海のほうへと手を戻した。


 もう何度触ったかわからない、艶のある綺麗な黒髪のさらさらとした感触。


 ……やはり、俺にはこの形がしっくりとくる。他の人の髪の感触なんて、触ったことなど一度もないからわからないけれど。


「えっと、真樹、くん……?」


「えっと、その、ごめん……いくら友達でも、思い付きの冗談でも、やっぱりこういうのはよくないなって思って」


 思い出したのは、今日のプールで、海がこっそり俺に打ち明けてくれたこと。



 ――夕にくっついてる真樹のこと見た時、すごくイヤだった。



 もし、俺が海の立場だったらどうだろう。


 スライダーの時と同じだ。天海さんや俺にその気がなくても、やはり事実として触れ合ってしまうわけだから、頭では理解していても、心のどこかにもやもやが残ってしまう。


 友達だから、冗談だから、誰も見てないから――そういうことではなく、見ていなくても知られなくても、海が『嫌だ』と思うことをやってはいけないし、俺もやりたくない。


 それがたとえ、俺と海の仲を取り持ってくれた天海さんで、彼女に感謝していたとしても。


「そっか……そう、だよね。ごめんね真樹君。私ったら、また考えなしに変なコト……私ったらもう、本当におバカさんなんだから」


「いや、俺のほうも、なんかヘンに意識しちゃってごめん。天海さんは、ただの友達なのに」


「そうだよね。海とかニナちにも『異性との距離感がたまにバグってるから気を付けろ』っていつも言われているのに……あはは……」


 二人の間の空気が悪くならないよう、天海さんがおどけた様子で苦笑して謝ってくれる。


 天海さんにとってみればとんだ自意識過剰な男だが、俺なりに海のことを大事にしたいと思った結果ゆえの行動だった。


「……あの、天海さん」


「ん? なあに?」


「えと……今日は遊びに誘ってくれて、ありがとう。疲れたけど、海ともプールで泳げたし、楽しかった」


「! ……うんっ、どういたしまして」


 たまに頭の中で色々と余計なことを考えすぎる俺だけど、天海さんに感謝していることは間違いないので、今回のことはなんとかこれで水に流して欲しい――そう思いながら、俺たちの高2の夏休みは徐々に終わりに向かいつつあった。

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