第226話 皆でプール 4


 あっという間の1回目を滑り終えた俺は、当初の約束通り、海と一緒に2回目を滑ることになった。1回目はビビッて天海さんの背中に無言でしがみついていただけだったので、楽しいとか怖いとかを感じる前に終わっていたので、次はしっかりと目を開けておこうと思う。


「……真樹のばか」


 別の場所に行くという3人と別れて再び入場列の最後尾へと並ぶと、隣で俺の手を握る海がぼそっと呟いた。


 俺自身は無事滑り降りるのに必死で記憶が曖昧なのだが、出口から離れたところで俺たち三人のことを見守っていたら、嬉しそうにはしゃぐ天海さんのすぐ後ろで、必死になってしがみついてる俺の姿を見てしまったらしい。


 成り行き上とはいえ、これに関しては俺が謝るしかない。


「……女の子だったら誰でもいいんだ。よかったね、真樹。気まぐれとはいえ、夕みたいな可愛くて綺麗な女の子に抱きつけて」


「その……格好悪いところを見せてしまって、本当に申し訳ないです」


 俺の前が天海さんでなく望だったとしても同じようにしがみついていただろうが、そう弁明したところで言い訳にしかならないので、俺は素直に海からのお説教を受ける。


 本人にその気が無くても、彼女の前で他の女の子のことを、しかも、彼女の親友と形だけでもそうなってしまったのだから、中には嫌な思いをする女の子もいるだろう。


 海はかなりやきもち焼きな性格で、たとえそれが天海さんや新田さんであっても、自分以外の女の子と親し気に話したり何かしていると不機嫌になってしまう。なので、その時点で俺と天海さんの間に望が入るようにすればよかったのだけれど……あの高さで緊張していたのもあって、そこまで機転は利かなかった。


「ごめん、海。次からはちゃんと気を付けるから」


「何に気を付けるの? 今度は私にバレないようにしますからって?」


「そんなことしないよ。海が近くにいてもいなくても、見てても見てなくても、海が嫌だって思うことはしないようにするって、それだけ」


「……じゃあ、今度からはそれでよろしく」


「うん。今回は、それで貸し一つにして欲しい」


「ん。これからの働きに期待してるから。……借りはちゃんと返してよね?」


「もちろん。口約束だけど、海との約束だけは破らないよ」


 海は嫉妬深いところもあるけれど、それはただ俺に対する気持ちが強いだけで、本当はとても優しい女の子だから、こうやって誠実に向き合えばちゃんと落とし所を見つけてくれる。


 絶対、という言葉はあまり使いたくないけれど、海に対してだけはそうなるよう真摯に向き合えるよう、内心では頑張っていくつもりだ。


「……ありがとね、真樹。真樹は悪くないの、私だってちゃんと頭ではわかってるのに」


「気にしないで。俺だって、逆の立場だったら、きっと海と同じ気持ちになってただろうから」


 仮定の話をしてもしょうがないが、もし海が、俺以外の男の人と仲良くしていたら……なんて、想像するだけでもどうにかなってしまいそうだ。頭では理解できても、心では納得できない、処理できない感情というのはいくつもある。


「ね、真樹」


「なに?」


「夕がいないところでこんなこと言うなんて、本当は嫌なんだけど」


「いいよ、言っちゃっても。もし言っても、それは俺たち二人だけの秘密だから」


「そっか……じゃあ、真樹にだけこっそり言っちゃうね」


 ぎゅ、と俺の腕にしがみついてきた海が、俺にだけ聞こえるように、ぼそりと呟いた。


「……夕にくっついてる真樹のこと見た時、やっぱり、ちょっとイヤだった。さっき夕と話して、夕も謝ってくれて、私も『気にしてないから』なんてすかしたこと言っちゃったけど」


「そっか……ごめん」


「ううん、いいの。でも、ああいうのは、私の前だけにして欲しいかなって……格好いいところも、格好良くないところも、真樹の全部をひとりじめしていいのは、私だけがいいなって。今はそう思う」


 いつもの5人で友達付き合いを続ける場合、例えどれだけ気を付けていても、今回と似たようなことは起こる可能性はある。何事も必ずイレギュラーはあって、それは海もきちんと頭では理解しているはずだ。


 しかし、だからと言って我儘な感情を我慢する必要もないし、できれば何でも言って欲しいと思う。


 言ってくれれば、後は二人で話し合って、落とし所を見つけることができるのだから。


「わかった。なら、これからはできるだけ海の側にいるようにする……けど、そうなるとますます皆からからかわれちゃうな。節操がないとか、甘やかしすぎとか、色々」


「ふふ、そうだね。でも、真樹だって本当はそっちのほうがいいでしょ?」


「まあ……うん。特にこういう場所だと、やっぱり隣に気の置けない人がいないと落ち着かないとこあるから」


 海は気づいているだろうが、この場所に来てから、俺はずっと海のことを視界に入れていて、可能であれば手を繋いでいる。


 そうしていないと不安な気持ちになってしまうから――なので、実際は、俺も海に負けず劣らずの寂しがり屋でわがままの甘えん坊なのだ。


「海、今度は俺が前で滑るよ。さっきは格好悪いところ見せちゃったから、ここらで少しは挽回しておきたい」


「お、かっこいいじゃん。さすが私の彼氏……って、本当はお任せしたいんだけど、今回は無理して格好つけなくていいよ。真樹が高い所好きじゃないのは、私が一番わかってるんだから」


 そう言って、緊張でかすかにふるえている俺の手を、海がやさしくつつみこむように握ってくる。


 冷たくなった手に、海の温かな体温が、じんわりと染みわたっていく。


「……毎度毎度ご迷惑かけます」


「へへ、いいってことよ。でも、そのかわり、後ろで私のことぎゅっと抱きしめて。さっき夕にした以上に、私にぴったりくっつていて、私のこと守って欲しい」


「そんなことでよければ、喜んで」


 ほどなくして再びスタート地点に着いた俺たちは、カップルで滑ることを係員の人に伝えて、二人しっかりと密着して2回目へ。


 先頭で先に位置についた海の体に後ろから手を回すと、胸の下あたりに腕が振れたのか、ふにっ、という柔らかい感触が腕に伝わる。


「ふふっ……もう、真樹のえっち。そんなとこ触って……くすぐったいよ」


「ご、ごめん。でも、くっ付いたときに、これが一番『ぴったり』してるかなって……それじゃあ別のところを」


「触られてイヤだなんて一言も言ってないでしょ。ほら、係員さん怒らせないうちに、さっさと滑らなきゃ」


「……ったくもう」


 ちらりと係員さんに『申し訳ない』と目配せして、俺と海は水の流れに乗る。


 肌と肌を密着させてひとかたまりになった俺たちは、勢いよく水しぶきを上げて、出口地点のプールへと飛び出した。


「ぷは――ふふ、楽しいね、真樹」


「うん。2回目は多少余裕があったから、きちんと楽しさは体感できたかも」


「じゃ、3回目――」


「それはイヤ」


「え~」


「え~じゃない」


 すっかり仲直りして、いつの間にか周りの人の視線すら気にならないほどのバカップルに早戻りした俺たちは、流れるプールで遊んでいるという3人のために、休憩がてら飲み物を買いにいくことに。


 今までは5人一緒の行動だったのでそこまで意識はしていなかったけれど、ようやくデートらしい甘い空気になってきた気がする。


 外に出ること自体はあまり好きではないけれど、こうして海の水着姿も久しぶりに拝むことができたし、たまにはいつもと違ったことをするのも新鮮でいいかもしれない。


「真樹、何にしよっか? 色々売ってるみたいだけど、普通にジュースとか?」


「せっかくだし、かき氷にしようか。こういうところに来ないと、あんまり食べないし」


「いいね。真樹はこういう時、何味を選ぶ? 普通にイチゴとかメロンとか?」


「ううん、ブルーハワイ」


「好みが中学生。まあ、私も好きなんだけどさ」


 ということで、俺と海はブルーハワイにして、残りは、イチゴ、メロン、レモンの三種類を買って、どれにするかは後で選んでもらうことに。


「ブルーハワイと、イチゴとメロン……あとはレモン、一つずつください」


「? 真樹、ブルーハワイは二つじゃないの?」


「そうなんだけど、俺、一個分食べるとお腹が冷えてゆるくなっちゃうし。海の分をちょっともらえればいいかなって」


「おっけ。じゃあ、ストローだけ二本だね。一緒に食べよ」


 店員さんが変な気を利かせたのか、ブルーハワイにささったストローだけ、やたらと形がぐねぐねしている気が……どうやら二つを上手い具合にくっつけるとハートマークが出来るらしいが、まあ、使えればいいので問題はない。


 それぞれ二つずつかき氷を手に持って、俺たちは天海さんたちが待っているだろう流れるプールへ。昼時が近くなってきたこともあって、気付くと、プールサイドまで人が多くいる状態となっている。


 この分だと、プールの方は早めに退散して、その分、あとは併設の遊園地を回ってもいいかも――天海さんのことを探しつつ、ぼーっとそんなことを考えてあるいていると、海が、俺の脇腹を軽くつついてきた。


「ねえ真樹、あれ――」


「ん?」


 何か見つけたのか、海がこっそり指差したほうを見ると、そこには5つ分のドリンクカップを持って一人うろうろとしている人がいる。


 眼鏡をかけていなかったので、一瞬、誰かわからなかったものの、俺とほぼ同じ背格好で、似たような雰囲気を纏っている人といったらあの人しかいない。


「? 大山君」


「! 前原君……と、あと、朝凪さん」


 俺の顔を見て少しほっとしたような表情を浮かべた大山君だったが、隣にいる海のことを見ると、気まずそうに俺から目を逸らした。


 1年の時は同じクラスだったものの、海とはあまり接点がなかったはずだから、遠慮しているのだろう。


「ごめんね、大山君。なんかすっごい困ってそうな感じだったから、声かけちゃった。……もしかして、友達とはぐれたとか?」


「朝凪さん……うん、まあ、そんな感じ、かな。代表してジュース買いに行ったんだけど、戻ってきたら皆いなくなってて」


 5つカップを持っているので、おそらく、いつかみた他の4人と一緒に来たのだろう。印象薄なのであまり記憶には残っていないが、俺と同じで地味な印象の男子たちだったと思う。


「あ、言っとくけど、ジャンケンで負けてこうなってるだけだから。そんな心配しないで」


「そうなんだ。でも、それずっと持ってるの大変そうだし、一緒に探そうか?」


「ああ……いや、大丈夫大丈夫。さっき別れたばっかだから、多分近くにいるし。それにほら、迷惑でしょ。俺なんかといたら」


「いや、別にそんなこと……なあ、海」


 海も俺に同意するようにこくりと頷いてくれる。


 大山君とは、先日の予備校でのことがあったので、内心、どういう距離感を持って接すればいいか測りかねているが、今は、それとはまた別の問題だ。俺も海も、そう簡単に人のことを毛嫌いしたりはしない。


「いやいや、本当、いいから。俺みたいな底辺は放っておいて、その、二人は引き続きしっかり楽しんでよ。じゃあ」


「大山君――」


 しかし、そんな俺たちのことを避けるようにして、大山君はさっさと人混みの中に紛れてしまい、あっという間にどこにいるかわからなくなってしまった。


 すぐに元の4人のもとに戻れればいいが……この人混みなので、もしかしたら難しいかもしれない。


「海、俺、なんか悪いこと言ったかな?」


「問題はないと思いたいけど……二人で一緒にいたから、もしかしたらうざったいって思われちゃったかも」


 大山君のグループは男ばかりのはずなので、偶然とはいえ、大山君には俺が見せつけたように見えたのかもしれない。


 もし隣にいたのが海ではなく望であれば違った展開になったのかもしれないが、改めて、人付き合いの難しさを感じる。

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