第219話 二人きりの誕生日 1


 期間にすると長いのに、実際に過ごして見ると異様に短く感じるのが夏休みだ。


 学校がある日は、15分や30分が1時間にも2時間にも感じるほどなのに、休みに突入した途端、2時間ぐらいぼーっとしていたな、と思っていると窓から見える空はすでに夕方に差し掛かっている。


 今年は特に、その傾向が顕著である。


 今日の日付はというと、8月6日。ついこの間始まった夏休みはすでに中盤に差し掛かりつつある。


 そして、中盤に差し掛かると、気付いたときにはもう終盤だ。


 楽しい時間は、本当にあっという間に過ぎていく。


 ~♪ ♪♪


「んぅ……はいはい、今起きます、起きますから……んぐぐぐぐ」


 本日は登校日ということもあって、朝早い時間から、俺のスマホが海からのモーニングコールを告げている。昨日の夜寝る前、ついついおしゃべりが過ぎて睡眠時間が足りないのは同じはずだが、相変わらずこういうところはしっかり者だ。


「……は、い」


『ま、き……おは、よ……んぅ、ねむい』


「あれ、もしかして、海も今起きたとこ……?」


『うん……ちょっと二度寝しようと思ったらギリギリになって……ふわあ」


 夏休み中は二人で過ごすことが多かったので、どうやら俺のだらしないところが移ってきているようだ。


 登校日は一日だけなので、休み期間中はこのままで構わないと思うが、そろそろ体育祭の準備などで朝から登校するようになるので、少しずつ元の状態に戻さなければ。


『あ、そうだ。真樹、昨日寝る前にも言ったけど、改めて誕生日おめでとう。で、どう? 17歳になった今の気持ちは?』


「あと10分寝たい」


『それはダメ。後で迎えにいくから、私が来たときすぐに出発できるように、ちゃんと準備しておくこと』


「了解。じゃあ、コーヒーの準備でもして待ってる」


『ありがと。じゃ、あと30分後ぐらいに』


「ん」


 いったん海との通話を切って、俺はせかせかと通学の準備を始める。


 登校日といっても、今日やることは部活の表彰や体育祭の連絡事項がメインなので、午前中のみで解放される。それが終われば、俺の方はまたしばらく夏休みだ。


 それに、今日はいよいよ俺の17歳の誕生日だ。前々から約束している通り、午後からは海と二人きりで過ごす予定なので、午前中だけでもしっかり頑張らないと。


 汗で湿ったシャツを脱ぎ、制服に着替えてリビングへ行くと、今日は珍しく遅い出勤なのか、アイスコーヒーを飲みながらトーストをかじっている。


「おはよ、真樹。それと、17歳の誕生日おめでとう。はい、これプレゼント」


「ありがとう、母さん。これ開けていい?」


「ん、どうぞ」


 許可が出たので、包み紙を綺麗に解いてからプレゼントの正体を見る。


 赤い箱で【0.01】と記載されたソレを見た瞬間、俺は無言で母さんにそれを投げつけてやった。


「あ、ごめんごめん。まだ寝ぼけた状態で準備したから、つい中身間違えちゃった。てへぺろ」


「表現が古い……じゃなくて、なんてものを息子にプレゼントしてんだ」


「そう? そろそろ在庫の補充が必要だろうと思って気を遣ってあげたのに」


「……い、いや、別にいらんし」


 この前の旅行時に買ったものがまだ残っているはずなので、その心配はない。


 ……そういうのは自分でやるので、ドラッグストアに売っているような所謂お徳用パックを買ってこないで欲しい。


「ごめんごめん。そっちは冗談として、何か欲しいモノある? 誕生日だし、なんでもいいよ」


「う~ん……いきなり言われても、あんまりピンと来ないな」


「そう? 本当になんでもいいんだよ。去年とか一昨年みたいに新しいゲームでもいいし」


「ゲーム……は、今は積んでるのを消化するのに精いっぱいだからなあ」


 新作の注目タイトルは次々とリリースされているが、今のところは陸さんの部屋に置いているゲームコレクションが沢山なので、俺も海もそこまで必要性を感じていない。


 それに、ゲームをリクエストしていたのも、あくまで『強いて言うなら』程度で、現状の俺には大した物欲はない。


 海が俺の彼女としていつもそばにいてくれるので、それだけで色々と満たされているのだ。


 やっていることはほぼ変わらないはずなのに、寂しさも退屈さも、まったく何もない。


 とはいえ、何らかの形で俺の誕生日を祝ってあげたいという母親の想いもわかるから、『いらない』と言うのもなんだか気が引けてしまう。


 プレゼント……俺が今欲しいもの、か。


「……母さん、プレゼントのことなんだけど、いらない代わりに、一つだけお願いしてもいい?」


「もちろん。今日は誕生日だから、できるだけ母さんがなんとかしてあげる」


「ありがとう。じゃあ、一つだけ、俺のお願いを聞いて欲しいんだけどさ――」


 今、俺の欲しいものといえば一つしかないので、それをお願いしてみることにした。



 ※※



 さて、母さんへのリクエストが終わったところで、次は他の人たちからお祝いを受けることになる。


 朝、2週間ぶりに登校して自分の席で額に浮いた汗をハンカチで拭っていると、俺の目の前にニコニコ顔の天海さんがやってきた。


「おはよう、真樹君。今日絶好の誕生日日和だね」


「ありがとう、天海さん。晴れなのはいいけど、暑すぎるのだけは勘弁してほしかったかな」


「ふふ、かもね。暑いのは大丈夫なほうだけど、これだけ日差しが強いと日焼けしちゃうし」


 8月の夏真っ盛りということもあって、俺の住んでいる街も、連日猛暑日を記録している。ウチの高校には各教室にエアコンが備え付けられているが、カンカンに照り付けるアスファルトの上を歩きながらの通学は、さすがにちょっときつい。


 久しぶりの通学で火照った体をお互いの下敷きであおぎ合っていると、ちょうど俺のすぐ横のドアがコンコンと軽くノックされる。


「委員長、おっす」


「! 新田さん、おはよう。それに、望も」


「よ、真樹。こうして朝学校で話すのは久しぶりだな」


 ドアからひょこっと顔を出したのは、別クラスの新田さんと望の二人である。


 クラス替え以降、朝のHR前の時間で話すことはほとんどなくなったので、こうして俺のところに来てくれるのは、それなりに嬉しかったりする。


 これもきっと誕生日効果のうちの一つ、ということなのだろう。


「真樹、誕生日おめでとうな。これ、俺から」


「ほれ、私からも。ありがたく受け取んなさいよ」


「真樹君っ、おめでとう!」


「あ……う、うん」


 三人ともそれぞれ包み紙を持っているので予想は出来ていたが、実際に受け取ると心にじんとくるものがある。


 去年まで、誰かに誕生日を祝ってもらうことなどなかった。夏休み中ということもあり、ただ日がな自分の部屋でぼーっとしたり、ゲームをしたり。


 特別なことなど何もなく、食事だって普段と変わらない。気まぐれに自分一人でケーキやチキンを用意してみたこともあったが、ものすごく空しい気分になってやめてしまったぐらいだ。


 海、天海さんと、誕生日を祝ってきたので、当然、いずれは自分の番が来るだろう。


 それはわかっているが、こうやって実際に『おめでとう』と言われると、なんだか体がむずがゆい。


「で、ところで委員長、アンタの愛しのカノジョはどうしたの? こういう時、いっつもコアラみたいに腕にしがみついてんじゃん」


「海はちょっと別件があって――と、思ったけど、そっちはもう済んだみたいだね」


「……へ?」


「――ふ~ん? 新奈は、影で私のことをそう思ってたってワケ」


 ぽん、とやさしく肩を叩かれた瞬間、新田さんも自らの迂闊さに気づいたようだが、時は巻き戻せない以上、軽い冗談とはいえ発言はなかったことにできない。


「コアラ? パンダ? アンタはユーカリとか笹とかむしゃむしゃ食ってろって? 面白いこと言ってくれるじゃん」


「い、いや、パンダのことは言ってないし……じゃ、プレゼントもあげたし、私はそういうことで――」


「だめ」


「……あの、出来ればお手柔らかに」


「だめ」


 問答無用で新田さんの肩を掴む海の様子に、俺と天海さん、望からくすくすと笑いが漏れる。


 初めてのことで慣れないことばかりだが、こういう誕生日も、きっと悪くない。

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