第209話 これからも一緒に



 まさか、勉強嫌いの天海さんからそんな言葉が出てくるとは思わなかった。


 もちろん、勉学に励むのは悪いことではない。本格的な受験勉強が始まるのは来年になってからだろうが、そのための準備や対策に関しては、早いに越したことない。


 特に天海さんは今のところ成績自体が良くないので、予備校に通って基礎を叩きなおすのは、一般的に言えばむしろ良い考えだ。実際、そう言う人たちのレベルに合わせたコースも存在している。


 だが、なぜこのタイミングでそんなことを言い出したのか。


 一瞬、冗談かと思ったが、天海さんの様子はいたって真剣なので、どういう反応をすればいいか困ってしまう。


「夕、どうしたの急に? おばさんかおじさんになんか言われた?」


「ううん。ちょっとは相談したけど、でも、決めたのは自分の意志だよ。今までずっとサボってたから、頑張ってみようかなって」


 話を聞く限り意志はそれなりに固そうだが、しかし、少し前までは、勉強というよりも、遊ぶほうを楽しみにしていたはずである。先日の誕生日においても、二取さんたちや中村さんと、そういう話で盛り上がっていた。


 ということは、それ以降、天海さんの心境を変化させる何かがあったわけだ。


「天海さん、理由って訊いてもいい?」


「うん。といっても、大した理由じゃないよ? 私も、海や真樹君と一緒の大学に通いたいな――って、それだけで」


「……本当に?」


「うん。本当にそれだけ」


 へへ、と笑いつつ、天海さんは続ける。


「誕生会の後、三人でお喋りしたよね? 二人が帰った後、私、一人で色々考えちゃって。こんなふうに楽しく過ごせるのも来年までだな、とか、卒業して別々の進路になったら寂しくなっちゃうな、とか、今の皆がバラバラになって、一人ぼっちになるのは嫌だなとか、そういうの色々」


「あれ? ということは夕ちんって、元々進学する予定はそこまでなかったってこと? 進学するなら、レベル的に私と一緒のとこに行く感じかなって思ってたけど」


「あはは、ごめんねニナち。実はお母さんから『受験勉強がどうしてもイヤだったら、芸能活動とかに挑戦してみる?』とも言われてて……ものすごく厳しい世界なのは知ってるし、今のところはまだピンと来ないから、わからないんだけど」


「マジ? でも、絵里おばさんだったら、そういう伝手はあるだろうし、それに夕ちんならそれもアリか……なんでもできるしな……」


 新田さんの言う通り、絵を描いたり歌を歌ったりなど、芸術方面で特に才能を感じさせる天海さんであれば、そちらの道に進むのもありだと思う。未経験であっても、持ち前の集中力であっという間にスキルを身に着けてしまいそうだし、何より、一際人目を引く容姿がある。


 それがわかっているからこそ、絵里さんも提案したのだろう。高校生で就職するのも楽じゃないし、伝手があるなら、できるだけ活用したほうがいい。


「興味がないって言ったらウソになっちゃうけど、でも、もうちょっとだけ時間が欲しいなとも思ってて……そういうのをちゃんと考えるためにも、勉強頑張らなきゃなって。だから、かな」


「じゃあ、私や真樹と同じ大学に行きたいからっていうのは……」


「もちろん、二人と一緒なら心強いっていうのもあるよ? でも、それ以上にもっと賢くならなきゃなって思ったから。進学して働くにしても、芸能活動を頑張るにしても、後で後悔しないように」


 早いうちから進路を決めておけと学校は言うことが多いけれど、しかし、精神的にはまだまだ子供の俺たちが自分の生き方を決断するのは中々難しい。


 時間が必要だ、という天海さんの気持ちは、俺にも理解できる。


「なるほどね。夕の気持ちはわかったし、夕なりに考えた上での相談だってこともわかった。でも、それでいきなり予備校ってのは気が早すぎるんじゃない? 確かに予備校は受験対策のプロだし、ここにいる私たちもいずれは全員通うことになるんだろうけど、でも、夕にはまだちょっと早いかなって思うよ。簡単なとこなら私と真樹だけでも教えられるし、それからでも全然遅くないよ」


「俺も海の意見に賛成かな。学校から課題もたんまり出されてるから、夏休みはそっちをまずやって、予備校に通うかどうかは秋とか冬になったらまた改めて考えるって感じで全然いいと思う」


 それなりレベルではあるものの、ウチも進学校には変わりないので、生徒に出される課題も、二学期以降の授業に合わせて制作されているはずだ。


 成績が足りないから予備校へ……というのが悪いわけではないが、これまでの学習を見直してからでも遅くはないはずだ。


 三年生なら遅いが、俺たちはまだ二年生の夏休み前――リカバリーする時間はまだまだいっぱい残されている。

 

「二人がそう言うなら……でも、それじゃあ二人の迷惑にならない? せっかく付き合い始めて初めての夏なんだから、二人きりでいっぱいイチャイチャしたいでしょ?」


「イチャイチャて……いや、確かに夏休みはできるだけ二人で会おうねって約束はしてるけど、夕のことだって同じくらい大事だから。親友に寂しい思いさせて、自分は一人で彼氏と楽しく……なんて、そんな薄情なことしないから」


 夏休み中はお互いの家を行き来することが多くなるだろうが、それは、俺と海に何の予定もない時だけ。天海さんがこうして進路に悩んでいるのに、それを無視することなんて俺たちにはできない。


「ごめんね、夕。せっかく仲直りしたのに、寂しい思いさせちゃって。私も真樹が初めての彼氏だから、ずっと舞い上がっちゃてて」


「ううん、気にしないで。私もちゃんと考え始めたのは誕生日の後ぐらいだから……でも、思い切って相談してよかった。ありがとう、海」


「こちらこそ、信用して相談してくれてありがとね、夕」


「うんっ」


 海のおかげで安心したのか、天海さんの表情がゆっくりと綻んでいき、それと同時、いつの間にか張りつめていた場の空気が緩んでいく。


 この五人で真剣な話をするのも悪くはないが、それでも、あまり暗くならず、できるだけ楽しく、明るい雰囲気でやっていきたい。


 そのためには、やはり海と天海さんの二人が仲良くなければ。


「夏休み前にちょっと重苦しくなっちゃったけど、でも、夕ちんのおかげで色々考える機会になったから、まあいいんじゃん? 予備校にしても、とりあえず夏期講習だけ覗いてみるって方法もあるし」


「夏期講習……なるほど、そういうのもあったか。新奈にしてはたまにはいい事言うじゃん」


「私にしては、は余計だし。ってか、さっさとノート写さしてよ。今回のテスト、大分やばくてさ」


「……新奈、アンタは予備校通ったほうがいいと思う」


 予備校の件はテスト後にまた相談することに決めて、俺たちは本来の目的である期末テスト対策へと戻っていく。


 慌ただしくも、しかし、それなりに楽しくなるだろう夏休みの入口は、もうすぐそこまで来ていた。

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