第162話 これはマズい


 新田さんから出された『宿題』のことが少し気になるけれど、試験対策は進めなければならないということで、その日の放課後から、さっそく俺の家で勉強を始めることに。


 中間試験の範囲については二週間前に発表ということで、あと二、三日ほどは待たなければならないが、授業を真面目に聞いていれば、どこが重要か、どこが中心的に出題されるかの傾向は掴めるので、ノートを見直しつつ、当時のことを少しずつ思い出していく。


「海、そういえば、空さんはいつまでに帰ってこいって言ってる?」


「平日だから、晩御飯には必ず帰ってきなさいってさ。あと、これからは、テスト前二週間は、金曜日も同じ時間に帰ってくるようにって」


「なるほど……ちょっと残念だけど、それはしょうがないか」


 週末の時間が減るのは残念ではあるが、これからの成績アップと、3年次の進学クラス入りを考えればテスト期間中はそのぐらい我慢しなければならないだろう。


 その分、こうして平日に海と一緒に過ごせる時間と相殺と考えれば、特に痛くも痒くもない。


 現在時刻は夕方4時を過ぎたところ。朝凪家の夕飯は大体夜7時ぐらいと決まっているそうだから、一緒に勉強できるのは3時間弱――なので、海の力が借りることができる間に、しっかりと集中しなければ。


 90分ほどでいったん休憩を挟むよう決めて、俺と海はリビングのテーブルに向かい合って座り、まずはお互いの苦手としている教科から始めることに。


「…………」


「…………」


 最初は授業の復習からなので、特にわからないこともないため、ページをめくる音や、シャーペンの音だけが、静かに部屋の中に響いている。


 勉強会の場合だと、こういう場合何か話した方がいいのではと気を遣ったりしてしまうのだが、海といる時はそういうことを気にしなくてもいいので、とても楽だ。


 そういえば、交際期間が長くなっていくにつれ、家にいる時は、付き合い始めの時のような、頻繁にお喋りをすることが少なくなってきたような気がする。ただくっ付いて、お互いの体を触ってじゃれ合って――海とお喋りをするのは嫌いではないが、そんなことをしなくても、好きな人が傍にいてくれるだけで十分に心が満たされているというか。


 まあ、ゲームを始めると罵り合いが始まるのは相変わらずだが……自分で言うのもなんだが、よくあれだけのことをしておいて、それが終わったらそんなことけろっと忘れてイチャイチャできるものだ。


「……真樹」


「っ、な、なに?」


「私のほうずっと見てるけど、どこかわからないところでもあった?」


「あ~……いや、別に。ただ、ちょっと見てただけ」


「もう、真樹ったら。休憩になったらちゃんと相手してあげるから、今は我慢して勉強に集中しなきゃ」


「そ、そうだよな。ごめん、つい」


 つい真剣な表情の海に見とれてしまっていたが、海の言う通り、今はそちらではなく勉強に集中しなければ。


 気合を入れるように頬を軽くぺしぺしと叩いて、俺は改めて勉強を再開することに。


 休憩時間まではまだあと1時間ほどあるが、学校の1時限分と考えれば、それぐらい我慢できるはずだ。


 そこからは再びひっそりとした空気が戻ってきたものの、休憩まであと30分ほど、というところで、向かい側のほうから視線を送られているのに気づく。


 顔を上げると、頬杖を突いた海が、こちらの顔をじっと見つめていた。


「? 海、どうかした?」


「……」


「海?」


「! はっ……ああ、ご、ごめん。ちゃんと勉強やってるかなって確認してるうちに、ついぼーっとしてて」


 顔をほんのりと赤く染めてわたわたと慌てる海。


 かわいいし、個人的にはもっと見ていたいのだが、今は勉強中なので、休憩まではぐっと我慢、我慢――。


「ごめんね、真樹。真剣な表情で勉強してる真樹、すごくかっこいいなって思って……えへへ」


 へにゃりとした顔で海がそうはにかんだ瞬間、それまでの集中力があっという間にどこかへと吹っ飛んでしまった。


 俺の彼女かわいい。いますぐ抱きしめたい。


「えっと……ちょっと早いけど、そういえば喉渇いたし、10分、いや、15分ぐらい休憩しようか」


「う、うん。そだね。ちょっと早い気もするけど、その後休憩なしでやればいいだけの話だし」


 お互いに言い訳をして、とりあえず用意していたコーヒーとお菓子をつまむことに。


 二人で一緒にコーヒーを入れて、ソファに座り直して、当然のように手を繋ぎあってくっつく。


 さっきまで一緒のテーブルで勉強していたはずだが、やはりこうしていないと物足りない気がしてしょうがない。


「ねえ真樹、さっきの話の続きなんだけどさ」


「えっと……あ、俺の顔が格好いいって話?」


「うん。実はちょっと前に夕と新奈と三人で真樹の話になったんだけど、さっきのこと二人に言ったら、すっごい微妙な顔されちゃってさ。ねえ、私って、変かな?」


「うん」


「おーい、そこは変じゃないよって彼女のこと庇うところだろうが~」


 海のおかげで少しはマシな顔つきになったかなと個人的には思うものの、比較的容姿の優れた両親の微妙なところを絶妙な割合で受け継いだ俺の顔は、一般的に言うイケメンとは程遠いところにあると思う。

 

 集中してる時の顔は自分で確認したことはないのでわからないものの、それでも顔の形が変わるわけではないので、二人が微妙な顔をするのもわかる。


「ごめんごめん。でも、俺は海にさえ格好いいって思われてればそれで十分だからさ」


 もし一般的に言われるような男前になれれば得をすることもあるだろうけれど、それによって煩わしいことも起こるわけで、それなら海にだけ格好いいと思われている今の状況が一番望ましくもあったり。


「だから、海はそのままでいいと思う。他の人が海のことを変だと思っても、俺はそんな海のことが……えっと、その……」


「……なに?」


「だ、大好き、だから……」


 今度は俺の方が顔を熱くする番だった。


 こういうことを面と向かって言うのは恥ずかしいけれど、自分のほうから気持ちを正直に伝えると、海がとても嬉しそうな顔をしてくれるから。


 その証拠にきょとんとしていた海の顔が、徐々にニヤけたものになっていく。


「ふふ~ん。まあ、真樹が私のこと大好きなのは知ってたけど、付き合って半年経ってるのにまだそんなとは、いくらなんでも私のこと好きすぎじゃないすっかね~? もう、この人はいつまでたっても甘えん坊さんなんだから~」


「む……海だって、俺のこと好きすぎなくせに」


「いや~、さすがに私のことを全肯定する真樹クンには負けちゃいますよ~。つんつんっ」


「っ……ちょっとそれ、頬つっつくのやめ」


「え? やめてほしいの? ウソウソ、本当はもっとして欲しいくせに~。いいんだよ? 別に素直になってくれても。私のこと、だ い す き なんでしょ?」


「うぐぐ……やっぱり言わなきゃよかった」


 こんなふうに少し後悔することもあるけれど、その後しばらくはずっと機嫌のいい海が見れるので、まあ、差し引きでプラスマイナスゼロ……いや、機嫌がいいと海からのスキンシップがさらに増えるので、個人的にはプラスのほうが大きいかも。


 他の人ならともかく、好きな人に色々と触られるのは、嫌な気分ではないし。


「と、とりあえず休憩はこのへんにして、さっさと勉強の方に戻るぞ。今日はそのために家にいるんだから」


「ふふ、だね。個人的にはいじり足りないけど、まあ、それはお出かけの時にまとめて……ね?」


「それは……うん」


 思わせぶりに言って悪戯っぽく笑う海だが、その表情がだんだんエッチになってきているのは俺の気のせいだろうか。


 これ以上くっついているとさすがに色々と危ないということで、元のポジションに戻って勉強を再開する。


 だいたい15分ぐらい休憩をとったはずだから、残りあと100分ほど勉強に集中して――。


「……あれ?」


 しかし、おもむろに時計を確認した瞬間、俺は思わず固まってしまう。


「? どしたの、真樹?」


「な、なあ海、休憩時間って、15分ぐらいだったはずだよな?」


「え? うん。時間は測ってないけど、多分そのぐらいだと思ったんだけ、ど――」


 そして、同時に、スマホのほうで時間を確認した海も。


 休憩開始は確か17時を回ったころのはずだったが、今、自宅の時計が示しているのはちょうど18時――。


 つまり、俺たちは1時間もの間、気づかぬうちに、二人だけの世界に入り込んでイチャイチャしていた、というわけである。


 ――ちゃんとどれくらい勉強時間が取れたか、休憩時間がどれくらいかも、きちんと記録しておくこと、いい?


 まさか、新田さんの宿題ってこのことなのでは……いや、絶対にこれしかない。


「あの、海さん」


「なんだい、真樹さん」


「これ、マズいな」


「うん、マズい」


 ということで、翌日。


 すぐに二人に謝罪したのち、当面の間、俺と海は、天海さんと新田さんの監視の元で勉強をすることになった。


 この分だと、試験一週間前の追い込み期間中は勉強だけに集中して、放課後にこうして海に会うのを我慢しなければならないかも。

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