第160話 助け舟


 相談の件についてはいったん保留にして、俺と海は、まずは空さんが用意してくれた料理をしっかり味わうことに。


 クラスマッチ明けに一度訪れた時と違い、魚料理や煮物など、和食中心のメニューがテーブルには並んでいるが、味のほうは当然のように美味しく、それまで感じていた胃の違和感など、あっという間にどこかへと行ってしまった。


 俺の座っている場所は、去年の12月の時と同じように、海と空さんに挟まれる形だ。あの時は、両親とのこともあって、食事を楽しむことなく終わってしまったので、料理もそうだが、あの時の雰囲気も同時に堪能できればと思う。


「真樹、はいお刺身。まだ食べてないでしょ? ほら、口開けて」


「あ、うん。……むぐ」


「おいしい?」


「うん。ありがとう、海」


「ふふ、どういたしまして」


 ついいつものくせで海に言われるまま『あーん』をしてしまったわけだが、そこで俺たち以外の三人の視線がこちらへと向いているのに気づく。


「……母さん、その、二人はいつもこんな感じなのか?」


「ふふ、そうみたいよ。少し前に真樹君のこと呼んだんだけど、その時もとっても仲良しさんでね。ねえ真樹君、今日は海に『あーん』し返してあげないの?」


「えっと……今日は、その、そういう気分では……」


 しかし、同意を得ようと海のほうを見ると、口を小さく開けて、何かを待っている彼女の姿が。


「あの、海さん?」


「……私も食べさせてほしいな~」


「お刺身はもうなくなっちゃったけど」


「別になんでもいいでしょ。ごはんでも、サラダのプチトマトでも。食べさせてくれるのが大事なんだから」


 ご両親がいるというのに、この彼女、お構いなしである。俺たちがこんな感じなのはすでに朝凪家では知らない人はいないので、バカップルを隠すのも今さらではあるが。


「えっと……じゃあ、はい。プチトマトだけど」


「あ~ん、は?」


「……あ~ん」


 そう言って、俺は雛のように甘えて口を開けている海に、真っ赤なプチトマトを食べさせた。


 こちらは朝凪家の家庭菜園で収穫されたものだが、空さんの毎日の手入れが素晴らしいのか、市販のものよりも甘みが強い。


「い、一応訊くけど、どう?」


「うん。甘くておいしい」


「そっか、ならよかったけど」


「うん。……へへ」


 今さらながら恥ずかしさがこみ上げてきて、俺と海は、お互いに視線を逸らす。


 こんなふうになるのならやらなければいいのだが、こうして二人でいると、つい甘えたくなってしまって。


「ふふ、二人の姿を見ると、私たちも昔のことを思い出すわね。ねえ、お父さん?」


「……なんのことかな」


「あら。とぼけちゃって~」


「こ、こら。食事中につっつくもんじゃない。子供たちも見てるだろ」


「平気よ。真樹君も海も、今は自分たちの世界に入り込んでるから」


 そう言って、空さんが大地さんのほうへと身を寄せて、頬のあたりを指でつんつんとやっている。


 すごく既視感のある光景だと思ったが、それもそのはず、俺も同じようなことを何度もやられていた。


 海もよく俺の頬を突っついてくるが、あれは親譲りだったというわけだ。


「……おい、なんだこの空間は」


 陸さんがぼそりと言うが、本当にその通りだと思う。俺は海と一緒にくっついて、その雰囲気に充てられた空さんと大地さんも、同じように仲睦まじくじゃれ合っている。


 独り身の陸さんからしてみれば、あっちもこっちもバカップルでいい迷惑かもしれない。


 ……本当に申し訳なく思う。


「おほん……と、ところでだ、真樹君。ウチの娘と二人で旅行に行きたいという話だったが」


「あ、はい。そのことなんですが……」


 気を取り直して、俺は大地さんへと、今回、海と旅行に行きたいと思うに至った理由を説明する。


 緊張していたこともあり、説明が上手いこといかなかったけれど、俺が話している間、大地さんはじっとしまま、俺の方を見て、言葉に耳を傾けてくれている。


 途中、海の補足もありつつも希望を全て伝え終えると、大地さんが小さく息をついた。


「……なるほど、二人の言いたいことはよくわかった」


「で、どう? やっぱり、お父さんも、お母さんと同じ考えだったりする?」


「全く同じというわけではないが……まあ、基本的には概ねお母さんに賛成、ということになる」


 元々可能性の低い相談だとは思っていたが、改めて否定されると、やはり残念な気持ちが強くはなってくる。


「もちろん、二人の気持ちもわからないでもない。さっきもしっかりと見せてもらったが、あれだけお互いに好き合っているのなら、もっともっと、とお互いのことを求めあっても不思議なことじゃないしな」


「……そうだよね。お父さんも、結構お母さんとやんちゃしてたみたいじゃん。夜中にお互いの家を行き来したり、それを怒られたら家出して遠いところに行ったりとか……昔、みぞれお婆ちゃんが愚痴ってたの、私、忘れてないんだから」


「あらまあ、お義母かあさんったら、海にそんなことを」


「母さんめ……まあ、そこを突かれてしまうとお父さんもお母さんも痛いところなんだが」


 海の言葉に、大地さんと空さんがほぼ同時に気まずそうな顔を見せる。


 先日の食事会の時に空さんがちらっと話してくれたのだが、空さんと大地さんはかなりの大恋愛を経ての結婚だったらしく、当時、それぞれのご両親にかなり迷惑をかけたそうだ。


 その苦労があるからこそ、俺や海にはそんなことになって欲しくない――二人のその気持ちもわかるが、その苦労の分だけ二人は甘い時間を過ごしたともいえるわけで、海がそのことをズルいと考える気持ちには、俺も正直なところ同意だったり。


 ということで、なんとかして譲歩を引き出そうと頑張る俺と海のバカップルと、なんとか考え直してもらう方向で説得してくる大地さん空さん夫婦とで、しばらく話が平行線となったところで、


「……なあ、父さん」


「ん? どうした陸?」


「俺が二人のこと、面倒見てやってもいいけど」


 思わぬところから、俺たちにとっては心強い援護射撃が飛んできた。


「! アニキ……」


「陸さん……あの、いいんですか?」


「妹のためっていうのがシャクだが……まあ、たまにはいいだろうってな。就活するって行っても、そう簡単に決まらんだろうし」


 この手の話には絶対に関わらないだろうと思っていたのだが、まさか、陸さんからそんな提案が飛んでくることになるとは。


 旅行に行くのなら必ず一人は大人を連れていくこと――陸さんなら、その条件にしっかりと合致する。


「あらら……二対三になっちゃったけど、あなた、どうします?」


「う~ん……確かに陸なら予定はどうとでも合わせられるが……」


 陸さんが海に味方することは二人にとっても意外だったようで、大地さんも空さんも、どうしたものか困ったような表情を見せる。


 ここであともう一押しすればいけるかも……と顔を見合わせた俺と海が一緒になって前のめりになったところで、朝凪家の電話がプルプルと大きな着信音を鳴らす。


 ……なんとまあ、タイミングの悪いことか。


「……俺が出よう。多分、また母さんからだろうから。空、その間に、全員分のお茶をお願いしてもいいか?」


「ええ。じゃあ、お話の続きはそれからってことで」


 いったん休憩ということで、大地さんは電話の応対、空さんは食後のお茶の準備へキッチンへと向かう。俺たちのほうは、食器の片付けだ。


「まさかアニキがそんなこと言ってくれるなんて……助かるけど、いったいどういう風の吹き回し?」


「……俺もたまには気が向くときもある。というか、お前のためじゃない。そこんところ、勘違いするな」


「じゃあ、真樹のためってこと?」


「……普通に考えればそうだろうが」


 俺のためと明言しないあたり、ただ陸さんが恥ずかしがり屋なのか、もしくは何か事情があるのかわからないが……まあ、なんにせよ、手助けしてくれるというのなら有難く受け取っておこう。


 片付けを終えてテーブルが綺麗になったところで、空さんが食後のお茶とお菓子の入ったお皿を用意してくれる。それと同じくして、電話を済ませたらしい大地さんも戻ってきた。


「みぞれさん? もしかして、また同じ用事?」


「ああ。さっき断られたけど、なんとかお願いできないかってさ」


「あら、困ったわね。お父さん、なんとかお願いして来月も休みとれたりしない?」


「お願いしてみるが、多分、無理だと思う。あまり人手に余裕がないみたいでな」


「そっか、そうよね……私一人で行ってもいいけど、その間、海や陸が困る……あっ」


 どうやら大地さんのほうのご実家関係でちょっとした話があるようだが……というところで、何かを思いついた空さんの目が、俺と海のほうへ向く。


「ねえ、二人とも。条件次第だけど、お泊りでのお出かけってことなら、一つだけ、許可できる場所があるんだけど――」


 正直なところあまりいい予感はしないものの、話を聞く価値はそれなりにありそうだ。

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