第159話 一家団欒+1
なんとなく落ち着かない日中の授業をやり過ごして、放課後。いったん家に戻って私服に着替えてから、俺は海と一緒に朝凪家へと向かった。
「真樹……手、すごい湿ってるけど、大丈夫?」
「大丈夫……じゃないかも。わりと緊張してる」
「実は私も。……今日の朝、真樹に電話してから、お父さんってばずっと何も言わずに黙っててさ。怖い感じはないんだけど、近寄りがたいというか」
「とりあえず、いったん手拭こうか?」
「……だね」
お互いにハンカチで汗を拭いてから、再び指と指をしっかりと絡ませる。
そういえば、この状態の俺たちの姿を大地さんに見せるのも何気に初めてである。俺と海が恋人同士にであることや、順調に仲が深まっていることは空さんから話を聞いて知っているはずだが、実際に二人がどんな
以前に一対一で話した印象から、大地さんが優しい人なのはわかっている。しかし、今回は交際の事実を報告することや、泊り込みでの旅行の相談の件もあるから、どうしても緊張してしまう。
娘さんと二人きりで旅行に行かせてください――なんて、そんなこと言おうものなら、下げた頭を踏み抜かれてしまいそうだ。
……まあ、オブラートに包むとはいえ、似たようなことを海と一緒にお願いするつもりなのだが。
覚悟を決めて朝凪家へ行くと、ちょうど家の前で車を洗っている大地さんがいた。
Tシャツにハーフパンツ姿といういで立ち――日ごろの訓練で鍛え抜かれた肉体によって、シャツが肉体の形に合わせてパツパツになっている。
やはりいつみても迫力があって怖い。
「お久しぶりです、大地さん」
「ああ、久しぶり。……なるほど、確かに以前のころよりも大分見違えたようだ。去年、ウチで泣いたときの顔とは明らかに面構えが違っている」
「はい。……といっても、海がずっと傍で支えてくれたおかげなんですけど」
「……そうみたいだな」
しっかりと握られた俺と海の手に一瞬だけ視線をやって、大地さんは洗車を再開する。ホースから勢いよく飛び出した霧状の水が、夕方の日差しに反射して、小さな虹を作っている。
とりあえず、俺と海の交際については祝福してくれていると思ってもいいのだろう。
「海」
「なに、父さん?」
「……よかったな、と言ってもいいのか?」
「もちろん。あ、言っておくけど、もしお父さんがダメって言っても、私は真樹との付き合いを止めるつもりはないから」
「それは好きにすればいいさ。まあ、もしお前が真樹君と別れるだなんて言い出したら、その時は逆に私と空の二人で説得するつもりだが。中学までは気難しくてしょうがなかったお前のことをここまで優しく包み込んでくれる子なんて、そうそういるものじゃない」
「そ、その話は今はいいでしょ。……で、お母さんは?」
「今は電話中だ。少し長くなるようだから、真樹君とリビングで待っておきなさい。こちらも
大地さんといったん別れて、俺と海はリビングのほうへ。部屋に入ると、真っ先に食欲を刺激するいい匂いが出迎えてくれる。
「はい……はい、ええ。確かにお
大地さんが言っていた通り、エプロン姿の空さんは今も電話中のようだ。話を聞く限りだと大地さんのご実家のほうとなにやら話しているようだが……まあ、この辺はあまり詮索するのはよくない。
軽く会釈をしたあと、私服に着替えるという海と別れて、俺はリビングのソファのほうへ。
今日は、珍しいことに先客もいた。
「こんにちは、陸さん」
「ん、真樹か。こうしてまともに話すのは半年ぶりか? 久しぶりだな」
「……え~っと、確かに」
いつも家にいるはずなのにどうして……というのはひとまず置いておくとして。
「ところで今日は珍しいですね。いつもはスウェットなのに、今日はちゃんとした服……もしかして、どこかへお出かけですか?」
「いや、もう行ってきた帰り。……まあ、こういう
「! そ、それは……」
陸さん鞄から取り出したファイルには、会社の求人票やその他履歴書等の書き方などの資料がまとめられている。
つまり、職業安定所に行ってきたということだ。
二、三年ほど前に退職してから何かにつけて腰が重い陸さんだったので、下手すればもうしばらくこのままの状況が続くのでは……と思っていたが。
「……驚いたか?」
「あ、いえ、そんなことは……ちょっとだけありますけど」
「正直だな。……まあ、今日はあくまでハロワに行って話聞いたってだけで、面接の予定があるとか、そういうわけじゃないんだけどさ」
陸さんはそう言うが、まず足を運ばないことには何も始まらないので、今までのことを考えれば大きな一歩だと思う。
……俺もそろそろアルバイト探しに本腰を入れるべきだろうか。母さん曰く『お金に余裕はあるから』と言っているが、父さんからの養育費がいつまでもあるわけではないので、出来る限りは自分で工面しておきたいところ。
「でも、どうして急に働こうって気になったんです? 自衛官時代の貯金が無くなった……ってわけでもないですよね?」
「うん。まあ、俺が使うものといったら据置のハードとソフトだけだし、ソシャゲのほうもやってないからな。正直、まだ余裕はあるよ」
「ですよね。……じゃあ、なんでまた?」
「…………まあ、そこは、な」
ついつい気になって訊いてしまったものの、言い淀む陸さんの様子を見る限り、あまり詳しくは触れない方がよさそうだ。
海と10歳離れているので、陸さんは現在27歳。いつまでもこのままじゃいけないと感じる何かがあったのだろう。
そういうことであれば、後は陰ながら就職活動が上手くいくことを願うのみだ。
「……ええ。では来月はそういうことで……はい、すいません、ちょうどお客さんが来ているので、これで失礼します。はい、はい――ふう、ようやく終わった。あ、改めていらっしゃい真樹君。ごめんなさいね、本当はすぐに切り上げるつもりだったんだけど」
「いえ、お邪魔します、空さん。……あの、それで話のことなんですけど」
「ええ。それについては一緒にご飯でも食べながら皆でお話ししましょうか。ちょうど夫も洗車から戻ってきたみたいだし。あとは海も」
空さんがそう言うと、まるで図ったかのようなタイミングで、大地さんと、それから着替えを終えた海がリビングに戻ってきた。
大地さん、空さん、陸さん、海、そして部外者であるけれど、俺。
朝凪家+1というこの状況は去年の12月に続いて二度目だが、今回の方が以前よりも緊張感があるような気がする。
……正直、胃が痛い。頑張るけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます