第154話 二人でゆっくり


 荒江さんからの陰口から始まった、クラスマッチでのちょっとした騒動が終わり、ようやく俺と海の二人きりの日常も戻ってきた。


 荒江さんから謝罪を受けた日から、さらに翌週の週末。俺は海と一緒に自分の家――ではなく、今日は海の家に遊びに来ていた。春休み期間中は、髪を切らせてもらったりでちょこちょこと寄らせてもらっていたのだが、新学期が始まってからはずっと足を運ぶ機会がなかったのと、空さんが『たまには来てくれないとお母さん(?)寂しいわ』ということで、お邪魔させてもらったというわけだ。


 もちろん、それ以外にも海の家に足を運ぶ理由は、一応あるのだが。


「ふぃ~、もうお腹いっぱい。ごめんね、真樹。お母さんったら、真樹が来るの久しぶりだからって張り切っちゃって。お腹、大丈夫?」


「大丈夫……といいたいところだけど、俺もちょっと食べすぎちゃったかも。まあ、空さんの料理が美味しかったからしょうがないんだけど」


 唐揚げ、お寿司、鍋物、その他、食後にはデザートまで。全て空さんの手によって振る舞われた料理をお腹いっぱい味わった後、俺は海の部屋でまったりと過ごしていた。


 俺の部屋で過ごす場合、なるべく遅い帰宅にならないようだいたい夜10時くらいまでには朝凪家に戻れるよう送っていくのだが、海の自宅で遊ぶ場合は、夜の12時くらいまでは滞在してもいいことになっている。空さん的には別にお泊りしていっても問題はないということだが、さすがに毎回のようにお世話になるのも気が引けるので、現在は必ず帰宅するようにしている。


「真樹」


「……うん」


「ようやく、二人でゆっくりできるね」


「うん」


 クラスマッチのための準備期間中、週末の時間はほぼ二取さんと北条さん、それから途中からは天海さんも交えての特訓の時間にほとんどが充てられていたこともあり、こうして二人でゆっくりと過ごすのはおよそ2,3週間ぶりだったりする。


 朝凪家で遊ぶ場合、空さんや陸さんが家にいるので、対戦ゲームで罵りあったり、映画などを見てツッコミを入れながら大爆笑したりなど、あんまり騒ぐことはできないが、それよりも、今まで不足していた二人きりの時間を出来るだけ取り戻したいと思う気持ちが強かった。


「……真樹」


「……海」


 海の勉強机に置いてある時計がちくたくと静かに時を刻む音を聞きながら、俺と海はベッドに腰かけて、手を繋ぎ、まるでそうあることが自然なように互いに身を寄せ合った。


 やっぱり、俺はこっちのほうがいい。先日のように、皆でどこかに集まってワイワイ騒ぐ楽しさも少しずつわかるようにはなってきたが、こうして好きな人の匂いを嗅いで、耳元で声を聞いて、柔らかな感触や体温を感じてのほうが、個人的にはリフレッシュできる気がする。


「海、改めて、本当にお疲れ様」


「うん。真樹も、特訓とか、夕のこととか、なにもかも付き合ってくれてありがと。……お疲れ様」


 吸い寄せられるようにして、俺は海と口づけを交わす。


 恋人同士とはいえ、彼女の家族もいる家の中でなんてことをしているのだという話だが、一応、『節度さえ守ればイチャイチャしてもOK』とは言われているので、こっそりとキスをするぐらいだったら問題ないライン……と思いたい。


 どこまでがOKでどこからがNGなのかについて、俺の母さんもそうだし、空さんや大地さんも明確には言わないが、そこは信頼されている証だということで、俺の部屋だろうがどこだろうが、守るべきラインはしっかり守ろうと思っている。


 まあ、もしそれでもお互いの気持ちが高まってどうにもならない時が来たら、そこはまた二人で考えるつもりだが。


 10秒ほどだろうか、しばらくそのままの体勢で密着した後、ゆっくりとお互いの唇を離れさせる。心情的にはあともう少しだけ、の気持ちが強いが、そうなってしまうと、それはそれで色々と我慢が出来なくなってしまうので、俺も、それからきっと海にも名残惜しさはあるだろうが、今のところはお預けということで。


 一通り甘い時間を過ごした後は、部屋にあった漫画を読んでまったりしたり、他愛のない冗談を言ってじゃれ合ったり、陸さんの部屋にあるゲームを海が強奪……じゃなく、『借りて』遊んだりして、帰る時間まで、海との週末の時間をしっかりと楽しんだ。


 これが終わればまた次は来週となるが、それを活力にして、また翌週から始まる学校生活に励めればと思う。


 夜の12時。帰る時間ではあるが、もうちょっとだけ一緒にいたくて、俺と海は朝凪家の門の前で、手を繋いでお喋りをしていた。


「――じゃあ、真樹。また月曜日に。迎えにいくからね」


「ん、了解。……またここから忙しくなるね」


「ね。クラスマッチが終わったと思いきや、来週には全国模試。そこからちょっとしたら中間テスト、期末テスト、夏休みも一週間ぐらいは学校で夏期講習だし、本当、学生も学生でやることいっぱいで困るよね」


「まあでも、勉強が学生の本分だしね。やることはきちんとやっておかないと」


「うん。恋人と遊ぶのが楽しくて成績が落ちましたなんて、そんなことになったら困るのは自分たちだしね」


 全国模試はともかく、中間テストや期末テストは、来年の三年次に海と一緒のクラスになるという目標のため、俺も少しずつ準備を進めていかなければならない。


 きちんと海と肩を並べるぐらいの学力をつけて、胸を張って海と一緒の大学に行ってキャンパスライフを過ごす――これが今のところの俺の目標だ。


 しかし、その前に、海と一緒に一つだけやっておきたいこともあって。


 ごくり、と唾をのんで、俺は海の手をぎゅっと握りしめた。


「……あ、あのさ、海。一つだけ、お願い、というか、あるんだけど……聞いてもらってもいい?」


「? うん。それは別に構わないけど……どうしたの? 真樹、なんかすごい緊張してるっぽいけど、大丈夫?」


「うん、それは全然……で、お願いのことなんだけど」


「おう。なんだい?」


「来月にさ、3連休あるの知ってる? ちょうどウチの高校の創立記念日が重なって、土、日、月で」


「うん、知ってる。6月って祝日ないから、ウチはたまたま連休あって助かった~って、クラスの皆と話してた」


 ウチの高校である城東じょうとう高校は、今年で創立20周年を迎える。いつもは創立記念日でも授業が変わらずあるのだが、10周年の際にも休校にしたこともあって、20周年もそうしましょうということになったらしい。


「海がもし良ければなんだけどさ……その3連休で、そこまで遠くなくていいから、旅行でもどうかなって……」


「え? 旅行、って……1泊2日とか2泊3日で、二人でってこと? 日帰りじゃなくて……だよね?」


「……うん。まだ、母さんとかにも言ってないから、どこに行くかとか、そもそも許可もらえるか、とかもわからないんだけど。もちろん、空さんにも相談しないとだし」


 海と恋人同士になってまだ半年なので、いきなり泊りで旅行というのも急すぎるかもしれないが、ウチの高校の場合、夏休みは意外と忙しかったりする。ちなみに今わかっているだけの予定だと、


・夏休み開始~7月末まで 夏期特別補習授業(全員参加)

・8月お盆休み明け~ 体育祭準備・練習(生徒会や保健・体育委員会は夏休み中ずっと)

・9月初旬 体育祭


 となっているので、ウチの高校の夏は意外と慌ただしい。


 次の大きな休みとなると冬休みになるが、二年生の冬以降は受験勉強のほうも大事になってくるだろうから、あまりそういうことをする空気でもなくなる。

 

 なので、海と二人きりで、誰の邪魔も入らずそういうことが出来る機会というのは、残りの高校生活においては、意外と少なかったりするのだ。


 ……もちろん、付き合い始めてもうすぐ半年なので、という下心もあったりするのも正直な気持ちだが。


「高校生二人で、っていうのも中々難しいから場所は色々制限されるかもだけど……でも、もし母さんとか、空さんの許可がもらえたら――」


「うんっ、いいよ! 私も、真樹と一緒に行ってみたい。旅行っ!」


 もしかしたら難色を示されるかと思ったが、その心配は杞憂だったようだ。


 俺の手をぎゅっと握り返してくれた海の声が、一段と弾んで聞こえたような気がする。


「私もね、実はちょっとだけ考えてたんだ。二人で一緒に、そんなに遠くなくてもいいから、色々なところ見てみたいなって。まさかそれが来月になるなんて、それはさすがに予想外だったけど」


「だよな……急な話でごめん。でも、あんまり予定を先延ばしにするのも良くないって思ってさ。じゃあ、思い切って言っちゃおうって」


「そっか。真樹、それはナイス判断。でも、私以外だったら引かれるかもだから、そこはちゃんと反省しときなね」


「りょ、了解です。ボス」


「ふふん、今は機嫌がめちゃくちゃいいので許してやろう」


「ありがとう海……へへ」


「なんだよ真樹ぃ、いきなり笑って、気持ち悪いぞ~……えへへ」


 こんな夜中に二人してにやけて気持ち悪いバカップルだが、それはともかく、ひとまず海が気持ちよく受け入れてくれてよかった。


 母さんや空さん、そしてもしかしたら大地さんにも話しをする必要があるので、この後が大変だが、出来るだけ自分たちの我儘を受け入れてもらえるよう、しっかりと学生としてやるべきことをきちんとやらなければ。


「じゃあ、俺は最初に母さんに話してみるよ。空さんにはその後で」


「うん。私も一応、やんわりと母さんには話を伝えておくようにする」


 家に帰ったら改めて電話で相談するようにして、海が見送る中、俺は朝凪家をあとにする。


 ゆっくり過ごしたいと言っておきながらまた自分から忙しくしていっている気もするが、それもすべては海との旅行のためだ。


 そのためだったら、俺もきっと頑張れると思う。


「あ、そうだ。ねえ真樹……一つだけ、今、真樹に言っておきたいこと思い出して。その……いいかな?」


「もちろん。で、なに?」


「うん。ちょっと耳貸して」


 俺の後ろを追いかけてきた海が、そのまま俺の体に密着して、耳元で優しく囁いた。


「……私も、真樹とおんなじ気持ちだよ?」


 からかいも多分に含んだ海のいたずらっぽい囁きに、俺はどきりとした。


「えっと……それは、どういう意味で」


「さて、なんでしょう? それは真樹が一番わかってるんじゃない? ……ふふっ」


 小悪魔っぽい蠱惑的な笑みを浮かべて、海は小走りで朝凪家へと戻っていった。


 旅行を提案した時点で、当然俺の下心なんて気づかれていたはずだが。


 最近は、ああいう海も、なんというかこう、魅力的に感じる。


「……忘れられない思い出に、しなきゃな」


 そう一人決意して、俺は家路へと急いだ。


 夏の入口は、もう、すぐそこだ。



 (おわり)


※ 次回『二年生夏・前半』編へ続く。


――――――――――――――

 あともう1話だけ明日更新しますので、よろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る