第141話 だっさ!!


 荒江さんが自ら話しかけてきたのも意外だったが、その内容についてはさらに意外だった。


 これまでずっと、荒江さんは天海さんや海のプレーついて酷評し、自分一人いれば素人チームなんて楽勝だと、授業での練習試合でもずっと自分一人だけでゴールを決めていた。


 練習試合では海の作戦がはまったおかげでチームとして11組が勝利したものの、本番で同じような展開になる可能性は低いと、その後の二取さんたちとの特訓でも、海はさらに練習を重ねてきた。


 チームとしても勝ち、そして個人でも荒江さんや天海さんに勝つため。


 そして、対する天海さんも、今から戦い方を変えるのは難しいかもということで、エースの荒江さんを極力サポートできるよう、マークの上手い外し方やパスの練習などを、重点的に鍛えてきたのだ。


 たとえ状況が悪くても、自分から勝負を捨てるようなことはしないように。


 もちろん、そんな天海さんの内心を、荒江さんが知る由もないことは重々承知ではあるけれど。


 なぜ、この本番当日に、いきなりそんなことを言ってしまうのだろうか。


 穏やかな表情に戻りかけた天海さんの顔が、時を戻すように、またしても曇っていく。


「……荒江さん、それ、どういうこと?」


「どういうも何も、言葉通りでしょ。私、今日はアンタらのサポート役に回るから、シュートとかの仕事は任せるってこと。練習はちゃんとしてんでしょ?」


「それはそうだけど……でも、荒江さんは本当にそれでいいの?」


 このまま負けっぱなしでいいの、ということだ。


 先日は11組に負けてしまったけれど、それでも後半の途中までは、荒江さん一人だけでも、スコア的には互角だったのだ。


 ほぼ一人だけで点を稼いでそんな状況だったので、ほんの少し妥協して天海さんやその他の人たちを上手く使えば、スタミナだって、本人が以前言っていた通り、20分間と言う短い時間なら持ちこたえられるかもしれない。


 荒江さんだってそれなりに長くやっていたはずだから、当然、そのぐらい頭ではわかっているはずだ。


「――別に? いいけど」


 しかし、荒江さんは天海さんの問いかけを鼻で笑い飛ばし、続ける。


「ってかさ、天海もなにそんな本気になってんの? クラスマッチなんて、たかがお遊びの一貫じゃん。勝敗関係なく皆で楽しんで親睦深めて……ってさ。そんなんにマジになったところで、何KYなことやってんのって感じだし」


「で、でも、海との試合の時はあんなに真剣に……」


「あの時はちょっとそこの女がムカついたからムキになったってだけだよ。その前のこともあったし。まあ、冷静に考えてみれば、ちょっとガキっぽいことしたなって、私もちょっと後悔はしてる」


 これまで面と向かって話した中ではもっとも口が滑らかな荒江さんだが、これまで何かあると舌打ちばかりだった彼女とはまるで別人である。


 あの時の練習試合で海にギャフンと言わされて反省でもしたか……いや、そんな人なら最初から天海さんに突っかかったりなどしないだろうし。


 ……これならまだ舌打ちをしていた時のほうがまだマシにすら感じる。


「まあ、そんなわけで、ちょっと色々あったけど、私のスタンスは最初のメンバー決めの時と同じだから。恥をかかない程度に……ってね。やるからには勝つとか、そういう暑苦しいのは天海に任せるわ。んじゃ、そういうことでよろしく~」


「あっ、ちょっと荒江さん、待って……!」


 言いたいことだけ言って去っていこうとする荒江さんの肩を、天海さんがとっさに掴む。


 振り向いた荒江さんの顔が一瞬だけ以前のような不機嫌顔になったが、すぐに先ほどの、どことなくへらっとしたような表情に戻る。


「そんなこと、困るよ急に……せっかくチームのみんなにもお願いして、今日はできるだけエースの荒江さんをこの前みたいに孤立させないようにって、そう、思って」


 荒江さんとの話し合いが持てなかったのもあり、本番までの間で、天海さんは、他のメンバーにもそう伝えて練習をしていた。


 初めのうちは不満を表していたチームの子も、天海さんがそこまでお願いするならと了承してくれたのだ。


 そちらのほうが、天海さんがいいと思ったから。


 もちろん、その考えを俺も海も尊重し、それ以上は何も言わないことにした。


 それをこんなにも直前にひっくり返されては、天海さんだって一言いいたくもなるはずだ。


 当然、それは俺や海だって。


 俺の手をいつの間にか握りしめていた海の手を、俺はやさしく握り返した。


「話は確かに友達から聞いたけど。でも、なんで? ダメなの? いいじゃん別に。私はなにもしないって言ってるわけじゃない。サポートはするって言ってんじゃん。ってか、アンタだって、そっちのほうが都合がいいんじゃないの? 話聞こえてたけど、アンタたち二人、個人的に勝負してんでしょ?」


「それはただ単にお互い頑張ろうねってだけで、個人的な事情を試合に持ち込むなんてこれっぽっちも――」


「あ、わかった。もしかして、そこの前原を二人で取り合ってるとか? なんかやたらとクラスで仲いいもんね、天海アンタ前原ソイツ。んで、なんとかいいトコ見せて、彼女から横取りしようってんだ。へえ、可愛い顔して結構エグイことやるじゃん、アンタも」


「っ……!」


 その言葉に、最初に反応したの俺だった。


 おそらく荒江さんも挑発のつもりで言っているのだろうが、それでも言っていいことと悪いことがあり、先程の発言はどう考えてもその一線を大きく踏み越えている。


 まだ人が周りにいないのが幸いだが――しかし、間違いは絶対にこの場で訂正してもらわなければいけない。


 一度海に目配せし手を放してから、俺は荒江さんのほうへと一歩踏み出した。


「荒江さん、今の発言、訂正してよ。何と言われようと、さすがにそれは許せない」


「は、はあ? なにこんな冗談にマジになってんの? ってか、アンタだって実は天海のこと――」


「……荒江」


「っ……んだよ、彼女の前だからって、急にイキりやがって……ちっ、ああはいはい、適当言ってスイマセンでした~……ほら、これでいいだろ? とにかく、着替えるから私もう行くわ」


「おい、だから逃げる前に一言みんなに謝ってから――」


 強引に俺の手を振り払った荒江さんが、逃げるようにして小走りで去っていこうとしたその時。


 ――だっさ。


 そんな声が、背後から聞こえてきた。


「え?」


「だっさ!! 荒江渚、アンタ、ダサすぎるよっ!」


 廊下内に響くほどの声でそんな言葉が投げつけられれば、さすがの荒江さんも反応しないわけにはいかない。


「――ねえ、アンタ、今なんて?」


「……聞こえないんなら、もう一度近くで言ってあげるから来なよ。大丈夫、別にいじめたりなんかしないから。私、アナタみたいな姑息なヒトじゃないし」


「……へえ」


 そう言って、眉間にしわを作った荒江さんがずかずかとこちらへ引き返してくる。


 立ち止まったのは、天海さんの前。


 そう、つい先ほど荒江さんに罵倒を浴びせたのは海ではなく、顔を真っ赤にして怒りをあらわにしている天海さんだったのである。

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