第105話 コーラ味
その翌日、12月25日。クリスマス。
俺は風邪を引いた。
朝、しっかりと布団をかぶっていたにもかかわらずひどい悪寒で目が覚め、全身が燃えるみたいに熱いうえに、体の節々まで痛み、不意にゴホゴホとせき込む。鼻が詰まって、呼吸するのが苦しい。
そんな、典型的な症状のフルコースをお見舞いされた。
――これはヤバい。
朦朧とした意識の中、恐る恐る体温を測ってみると、結果は39.5度。かなりの高熱。
実は前日の夜からその兆候はあったものの、その時は、晴れて恋人同士となった海と二人きりでささやかな食事を楽しんでいて、その幸せ気分で、感じていた体調の不良も吹き飛んだと思っていたのだが。
しかし、この結果は割と当然のように思える。この2,3週間、体も心もずっとどこかで緊張しっぱなしでリラックスする暇がなかったから、昨日でここ最近の問題を全て消化し、心身の緊張が弛緩したと同時に、それまでのツケが一気に押し寄せてきたというところだろう。俺もそんなに丈夫な体ではない。
ということで、病気ならさっさと薬を飲んで、治るまで自分のベッドで安静に過ごすべきだし、俺もそのつもりではあったのだが。
「――真樹君、はい、これお薬。これ飲んで、あとは大人しく寝ておくこと。おばさんはリビングにいるから、もし何かあったら遠慮なく呼んでちょうだいね」
「真樹、ほら、ちゃんと腕も布団の中入れて。暑いのはわかるけど、あったかくしなきゃ。今、氷枕持ってきてあげるからね」
そんな俺は今、朝凪家の客間に敷かれた布団で寝かされ、空さんと海につきっきりで看病されていた。
「ごめん海……なんかここ最近迷惑かけてばっかで」
「ん~……まあ、別にいいんじゃない? 私も母さんも好きでやってることだし、それに、真樹のこと一人で放っておくほうが余計に心配だから」
こうなった経緯を順になって話すと、
→俺、風邪を引いたのでひとまず市販の風邪薬を飲んで再びベッドへ。
→薬でも熱が引かず、1、2時間ほど熱で苦しんでいると、ちょうど海が来訪。
→風邪を引いているのでうつしてはならないと思い、今日は帰ってもらうよう言うと、なぜか合鍵を持っていて(昨日、母さんが空さんに渡したらしい)、そのまま部屋に乗り込まれる。
→高熱に心配した海が空さんに連絡。空さん運転の車で、そのまま病院へ直行。風邪の診断を受け、点滴コース。
→治療を終え、俺の家に帰ると思いきや、そのまま朝凪家にお持ち帰り(?)。
で、今に至るというわけだ。
ちなみに、母さんはあっという間に仕事に復帰して家にはいない。テーブルの書き置きによると、休職願いを提出した際、会社のほうがひとまず有給休暇扱いにしていたらしく、問題はないとのこと。今日はもう帰ってこないらしい。
【――ということで、さがさないでください はは より】
そんな感じで説明書きの後の文末に冗談を書けるぐらいだから、休養は十分ということだろう。
俺の体調が悪くなった時に限っていないので微妙にタイミングが悪いが、俺的には母さんが楽しそうならそれでいいと思う。
そんなわけで、空さんからの提案もあって、体調が落ち着くまでは朝凪家にしばらくお泊りすることになった。
何度もお邪魔することになったうえ、しかも今度は風邪が治るまでの数日――いくら空さんと海が好きでやってくれているとはいえ、家には陸さんもいるわけで、気を使わせてしまうのは申し訳なく思う。
とにかく今は安静にして、早く治ってくれるのを祈ることにしよう。お詫びはその後、母さんと一緒にしっかりとやればいい。
……それに、海がいてくれたほうが俺も安心できるし。
海が持ってきた氷枕に頭を預けつつ、俺はそんなことを考えていた。
「海、あのさ、空さんには昨日のこと……」
「うん、言ったよ。母さんはもう付き合ってたものとばかり思ってたみたいだけど……ひとまず良かったねって言ってくれた」
「そっか、良かった」
公認、ということでいいのだろうか。家庭によっては、学生の間は交際を歓迎しないところもあるというから、その点、俺はとても運がいいと思う。
俺は家のほうで、海は友達のほうで悩みを抱えていたわけだが、今後は上手くバランスがとれるだろう。
「真樹、私たちは、ずっとずっと仲良くやっていこうね。私も、そのために頑張るから。……真樹と一緒に」
「……うん。ありがとう、海。まあ、その前に、まずはこの風邪を治してからだけど」
「ふふっ、そうだね。まあ、真樹の彼女である私の看病があれば完治なんてあっと言う間だから、真樹は安心して身を委ねてればいいよ」
そう。目の前にいる海は、もう『友達』ではなく『彼女』だ。
「わかった。じゃあ、彼女の言葉に甘えるとするよ」
「おう。……ちなみに、私の胸には甘えなくていい?」
「……それは遠慮しておこうかな」
今ならきっと甘え放題なのだろうが、それをやってしまうとダメ人間まっしぐらになってしまいそうなので我慢する。
一度体験して身に染みたが、あれはちょっと効果があり過ぎて困る。
海の力を借りるのは、また今度。
「ふむ……顔色見る感じ、体調は少しマシになったみたい。真樹、お腹空いてない? ご飯食べれそう?」
「うん、多分大丈夫」
そう言えば朝から何も食べていないのを思い出した。時間はちょうど昼時で、空さんが料理しているのか、隣のダイニングからいい匂いが漂ってきた。
「わかった。じゃあ、私が今から作ってきてあげる。おかゆでいいよね?」
「え? ああ、うん、いいけど……」
「大丈夫大丈夫。今日は隣にお母さんいるし、おかゆならお米と水だけだし、平気っしょ」
ものすごいフラグだが、空さんがいるなら回避余裕だろう。
そう思い、ひとまず海にお願いしたわけだが。
※
「――はい、私が悪かったです。すいませんでした」
案の定、しっかりとフラグが回収され、海のおかゆづくりは失敗に終わった。
梅がゆを作る予定だったらしいのだが、空さんから作り方を聞いて『なんだ簡単じゃん』と慢心した海は、心配する空さんをキッチンから追い出し、一人で意気揚々と調理を始め、そして火加減を間違えてご飯を焦がすという愚行を犯した。
ということで、俺の目の前には、一部分だけ難を逃れたお粥らしきものと、それから海の自腹で注文した出前のピザ、そして、しゅんと肩を落とす海が。
火加減の調整が下手なのは知っていたが、これはかなりの重症である。空さんは一通り海のことを叱った後、足りなくなったお米を買い出しに、近くのスーパーへ行っている。
「まあ、冷める前にとにかく食べよう。失敗は誰にでもあるし、これから頑張ればいいんだからさ」
「うう、かたじけない……とりあえず、私の分を半分こして――」
「いや、そっちは海のだろ? 俺はこっち食べるから」
俺が指さしたのは、水分を含んでべちゃべちゃになったご飯のかたまり。海の作った失敗作のほうだった。
「え――でも、こんなの絶対おいしくないし」
「せっかく俺のために海が作ってくれたんだから、俺はそっちが食べたい」
海が言うぐらいだから、きっとまずいのだろう。しかし、海が初めて作った料理であることに違いはないのだから、味はともかく、きちんと記憶にとして残しておきたい。
これもきっと、二人にとっての思い出になるはずだから。
「そう? じゃ、じゃあ食べさせてあげるけど……無理に飲み込まなくていいからね?」
そう言って、海がおずおずと差し出してきたスプーンをくわえる。
まず最初に、やはり苦かった。焦げのない部分を取り出したとはいえ、そこの部分にも苦みがしっかりと移っている。
だが、梅の風味はきちんと残っているし、食べられないほどじゃないと思う。
「……んぐ」
「……どう、かな?」
「まあ、美味しくはないかな……ごめん、それははっきり言うけど。でも、失敗しちゃっただけで、これはお粥だよ。それだけは絶対間違いない」
もちろん、人によっては否定されるだろうし、彼女が作ってくれたものだからというバイアスもかかっているだろう。
だが、それでも俺にとっては、れっきとした手料理だった。
「だから、ありがとう海。作ってくれて、とても嬉しいよ」
「もう、真樹ったら、私のこと好きすぎかよ。……本当、しょうがないヤツなんだから。まあ、優しい言葉掛けられて嬉しくなってる私も大概だけど」
それはしょうがないと思う。
だって、俺と海はもう、『友達』じゃなくて、昨日付き合い始めたばかりの『恋人』なのだから。
「でも、せっかくだし、ピザのほうも一緒に食べよ。はい、あーん」
なので、こんなことだって当然のようにやったり。
「ん……ああ、うん。やっぱこっちのが格段に美味いわ。不味いもん食べた分、さらにそれが際立って舌が喜んでるというか」
「おまえしにたいらしいな」
「……ご、ごめんなさい」
とりあえず、料理関係の冗談はできるだけ避けるようにしよう。
……ちなみに。
彼女の不機嫌を直すため、皆に隠れてこっそりと交わしたキスの味が、ほんのりとコーラの味だったことだけ、最後に付け加えておくことにする。
(二章 クリスマス編 終わり)
―――――――――――――
(※ 次章『二年生・春』編へ続く)
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