第92話 緊急イベント
そうして、少し寝つきの悪い土日休みを過ごして週明け。期末試験の二日目、三日目を迎えることになる。
「……ふうっ、よし、とりあえずこんなもんでいいかな」
あまり眠れていないため体に若干疲れは残っているものの、決められたテストは平等に訪れるので、勉強もきっちりしていることだし、頑張らなければならない。
いつもより長い時間、冷たい水を顔にバシャバシャと浴びせかけ、気持ちを引き締める。目の奥にまだ疲れが残っている気がするが、試験になってしまえばそれも忘れるだろう。
今はとにかく目の前のことに集中だ。
「おはよう、真樹」
「おはよう、母さん。今日は随分ゆっくりしてるじゃない。朝ごはんなんか作ったりしてさ」
洗面所からリビングに戻ると、いつの間にか起きていた母さんがキッチンに立って朝食の準備をしている。普段ならこの時間は、食パン一枚を牛乳で流し込んでバタバタと家から出ることがほとんどなので、珍しいことだ。
「まあ、最近は特に真樹に家事任せっぱなしだったし、たまにはお母さんらしいところも見せないとね。はい、出来たよ」
ご飯、豆腐とわかめの味噌汁に、玉子焼き。ほのかに甘い香りが立ち上るいつもの玉子焼きだが、この作り方を教えてくれたのは母さんだ。
さっそく一切れ、口に運ぶ。久しぶりだけあって、いつもより美味しいと感じる。
「どう? 久しぶりの母の味は」
「……まあまあかな」
「そう。よかった」
二人で向かい合って、もくもくとご飯を口に運ぶ。
最近は海が来てくれることが多かったものの、やはり母さんと二人でこうして食卓を囲むのは嬉しい。
欲を言えばせめて朝だけでもこうしていたいと思うが、仕事も大事なのは理解しているので、そこは俺が支えてあげなければいけない。
それに、仕事をしている母さんの横顔も決して嫌いではないから。
「……ねえ、真樹」
「ん?」
「お母さん、しばらく仕事休むことにしたから」
「え?」
食事を終えて後片付けをしていると、ベランダでタバコを吸っている母さんがそう言った。
昨日は日曜日にも拘わらず休日出勤をして、休みなしで週の初めを迎え、愚痴は言っても休暇はとらない仕事人間だったはずの人の休職宣言に俺は一瞬耳を疑った。
だから今日、こんなにも余裕をもった朝を迎えていたのか。
「休むって、マジ?」
「マジマジ。大マジ。そんなことで真樹に嘘なんかつかない」
「休むって、どのくらい?」
「とりあえず二か月か三か月。それ以上はどうするか検討中」
「どっか体壊したの?」
「いや別に健康だけど……まあ、このままやってたら確実に体壊れちゃうし、ちょっと働き方を見直そうかなって。あ、あとタバコは本数減らせとも言われたかな」
まあ、医者に今の生活環境を伝えたら誰だってそう言うだろうし、アドバイスぐらいはするだろうが。
でも、言ってしまえばそんなの仕事に復帰した時点でわかっていたことで、それを急に母さんが翻意するだろうか。
いや、実は何か重い病気を隠して……でも、母さんがそんなことするとは思えないし、日常生活でおかしいところはない。
「急だったから会社もいい顔はしなかったけど……まあ、そんなわけでしばらく家事は私がやることにしたから。ごめんね、真樹。今まで迷惑かけちゃって」
「いや、俺は別に家事が苦だったわけじゃないから迷惑なんて……」
母さんがしてくれるのならそれでも構わないが、気になるのはお金のことだ。
二か月から三か月休職するというのなら、ひとまずその間は母さんからの給料はゼロになるわけで。
「あ、もちろんお金のことは心配しなくていいからね。ちょっと仕事休んだぐらいじゃ、びくともしないぐらい貯金はあるから。海ちゃんとのデートとかでお金が要る時は、いつでも言ってきなさい」
「あ、うん……」
離婚の時、父さんからそう小さくない額をもらっているとは思うが、それでも今後はそれとなく遠慮したほうがいいだろう。
……俺もそろそろアルバイトなどを探すべきだろうか。
「さて、と。今日は久しぶりに部屋の掃除でも徹底的にしようかな。真樹、エッチな本とか見られたくないなら、ちゃんと鍵のかかる引き出しにしまっておきなさいね」
「そ、そういうのないから」
まあ、そういう秘蔵データ的な物はUSBの中にはこっそり入れてるけど。
その後、通学時間まで本当に久しぶりに二人でゆっくり過ごしたが、張り切って掃除をしているはずの母さんの顔は、普段よりずっと元気がなさそうに見えた。
※
ひとまず月曜日、火曜日の期末試験を無事乗り切ったところで、放課後、天海さんと別れて二人きりなったところで、母さんのことについて海に話すことにした。
「そっか。まあ、私から見ても真咲おばさんって頑張り過ぎてたから、スパッとお休みするのはいいことだと思うけど……そうなると、今まで通り好き放題はできなくなっちゃうね」
結局のところはそれだった。
母さんがゆっくりできるのは喜ばしいことだが、親の目があるとなると、以前のように気兼ねなくだらだら過ごすのは難しい。俺は家族だからまだしも、海にとっては友達の家のお母さんなわけで。
絨毯の上にピザの箱を直置きで食べつつゲームしたり、横になってゴロゴロしながらバリバリとスナック菓子を食べ散らかして漫画を読んだり……一応、海が帰る時に掃除をしているものの、金曜日の俺と海は、小学生の男子かと思うほどだらだらとした時間を過ごしている。
もちろん、母さんには『いつも通りでいいよ』と許可をもらっているが、だからといって堂々と我が家のごとく振る舞えるほど、海は常識のない女の子ではない。
「ってことで、今週はどうする? いつも通りウチで遊ぶか、ちょっと予定を変更して別のことをするか」
「う~ん……私的には別にそれでもいいんだけど……ん? あ、ちょっと待って。うちのお母さんから電話だ。……もしもし? なに?」
海が空さんと通話している間も、引き続きいい案がないか考えを巡らせる。
仲が深まるようになるつれ、最近は二人でこっそりベタベタすることが主眼になっている週末の時間だが、元々は中学時代からの問題で精神的疲労を抱えていた海が少しでも楽になればと始めたことだ。
特に、先週から今週にかけて続いた試験勉強だったり、父さんのことがあったりと海には迷惑をかけっぱなしだから、少しでもそれを労ってあげたい気持ちもある。
海が誰にも気遣うことなく、ゆっくり過ごせる場所があればいいのだが――。
「あ~……まあ、予定はまだ大丈夫だと思うケド……じゃあ、ちょっと今から訊いてみるよ。はい、それじゃあね」
「……結構話し込んでたみたいだけど、なんかあった?」
「いや、別に大したことじゃないんだけど……真樹、今週の金曜日なんだけど、うちの家でご飯食べない? ってウチの母君が」
「え」
「その日だけ、ウチの父君も家に帰ってくるそうで」
「やだ」
反射的に口から言葉がこぼれた。
「やだじゃない。……母さんが真樹のこと話してるのは知ってるよね? 顔をじっくり見てみたいんだって、父さんが」
「や……」
「やだじゃない」
ということで、目下の悩みを吹っ飛ばすようなイベントが、クリスマス前にぶっこまれてしまった。いずれ来るとは思っていたが、まさか、このタイミングとは。
……もしかしたら、家のあれこれの前に、自分の命の心配をすべきかもしれない。
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