第88話 やだから


 おやつ休憩ということで30分ほど休みを挟んだ後も、引き続き勉強を頑張っていく。


 糖分補給+コタツの心地よさで眠気が襲うものの、最低限押さえておくべき範囲は残っているので頑張ってもらうしかない。


 特に、余っていた材料で作ったパンケーキをほぼ一人で瞬殺させた天海さん。


「んぅ……海ぃ、私もうねみゅくなってきちゃった……」


「そう? んじゃ、景気づけに一発いっとく?」


「おぅ……が、がんばります海先生っ」


「ん。よし」


 あんまり眠いのであれば10分程度仮眠させようかと思ったが、海の話によると、一回寝落ちすると梃子でも起きなくなってしまうらしい。少々スパルタになってしまうのは心苦しいが、ここは親友である海に任せる。


 望のほうは、部活の関係で甘いものを控えているので、眠気覚ましのコーヒーのみ。この秋で食べ過ぎたせいで、ベスト体重からオーバーしているらしく、この冬から減量中とのこと。


 気にするなと望は笑ってくれたが、その脇でパンケーキにアイスクリームを増し増しに乗っけて食べる天海さんが、その時だけは天使ではなく悪魔のように見えた。望の好物はアイスクリームなのだ。


 俺もホイップクリームと一緒に食べてしまったので、悪いことをしてしまった。


「あ、真樹、唇の端にクリームついてる」


「え? っと、どこ? 右? 左?」


「私から見て右だから、左だね」


「こっち?」


「うん、でももうちょい上」


「えっと……これでどう?」


「ちょっと残ってるよ。……もう、しょうがないなあ。口こっち向けて」


「うん」


 そう言って、海の指が俺の唇に触れると、わずかに残っていたクリームを救い取って、そのまま自らの口へと運んだ。


「んっと……はい、これでよし」


「あ、ありがとう」


「どうも。もう、真樹ってばおこちゃまなんだから」


「いや、今日はたまたまだから」


「はいはい」


 俺は口がそんなに大きくないくせに勢いよく食べる癖があるので、ピザやハンバーガーなどを食べる時は、たまにこういう事がある。なので、こうして拭い残しがあると、それを見つけた海がしなくていいお節介を焼いてくるのだ。


 で、それがいつものことだったりするのだが、今日は二人ではなく四人である。


「海? 真樹君?」


「お前ら半ば付き合ってる……みたいだから、まあ、別に構わねえんだけど」


「「そういうのは二人きりの時にやってくれ」」ないかな~?」ねえかな?」


 ということで、当然のように天海さんと望から、同時に苦言を呈されてしまった。


「「……すいませんでした」」


 ある程度までは微笑ましい光景で済んでも、やり過ぎると呆れられてしまう。


 人前のでのじゃれ合いについては、いくら仲の良い人たちの前といっても、いい加減に節度を学ばなければ。バカップルでも、ウザがられるタイプのそれは避けたい。


「でも、いいな~……そうやって仲良くしてるのを見てると、私も彼氏とか欲しいって思っちゃう」


「そう思うんだったら作ればいいじゃん。夕なら、上から下まで選り取り見取りでしょうに」


「ん~、でも、そういうことしたいって思える人は全くいないんだよね。私も男の子に興味がないわけじゃないんだけどなあ」


「っっ……!」


 天海さんの発言に、望が人知れず大ダメージを受けている。天海さんも決して意識したわけじゃないだろうが、これだとまるで二回振られたみたいだ。


 ああでもないこうでもないと恋愛談義をする恋愛カースト圧倒的上位の美少女二人の傍らで、俺は、肩をがっくりと落とす望をなぐさめた。


「う~ん、私にも真樹君みたいな優しい男の子がいたらいいのに」


「夕は普通にハイスペックで体力のある人にしときな。そうじゃなきゃ、アンタのパワフルさには誰もついていけないし」


「そうかな~? でも、ハイスペックで体力のある人なんて……ああ、海みたいな人か! じゃあ、海が分身すれば解決だね!」


「解決するか。そしてさらりと人のこと忍者扱いすな。そういうとこやぞ」


 海とのやりとりを近くで見ていて思うが、実際、天海さんとお付き合いするとなると、楽しいだろうなと思う反面、このテンションがずっと続くので、ものすごく大変だろうなと思う。


 能力的な観点から言うと望は十分候補に入ってくると思うが、イマイチ天海さんの好みとは合致しないという。望的にはとても辛いところだ。


「二人とも、話はそのへんにして勉強に戻るよ。まだやるとこいっぱい残ってるんだから」


「ん~。ほれ、夕、次は古文」


「は~い。う~、昔の日本語難しい~いとをかし~」


「もうつっこまんぞ」


 その後、天海さんのやる気をなんとか維持するため教え方を工夫し、時には海の愛の鞭(という名のデコピン)を借りつつ、どうにか今日の予定を全て消化することが出来た。


 休憩も含めてだが、およそ三時間ほど。自分の分は進まなかったが、人に教えるだけでも復習効果は十分だし、海と協力することで、間違えて覚えていたところなども解消ができたので、とても有意義な時間になったと思う。


 勉強すべき範囲はまだあるので油断はできないが、この調子なら赤点ぐらいは回避できそうだ。


「今日は勉強場所の提供ありがとね真樹君! おやつも美味しかったよ!」


「ありがとうな、真樹、それに朝凪。お前らのおかげで、なんとかなりそうな気がしてきたぜ」


「赤点絶対回避だね、関君」


「お、おう。だな」


 充実した表情の天海さんと望を玄関先で見送る。勉強会が始まった時点では、微妙に空気の二人だったが、一緒に勉強するうち少しずつ会話も弾むように。


 今はまだ苗字呼びなので好感度的には俺よりも下だが、早く名前呼びになってくれるといいと思う。


 ……それで勘違いしたらまた振られるのだろうけど。


「海、忘れ物ない?」


「多分。まあ、あってもどうせまた来るからいいけど」


 そして、今日一番頑張ってくれた海である。やはり学年でもトップクラスの成績だけあって教え方が上手く、教える側だった俺も勉強になった。


 コタツ布団の下で俺にずっとちょっかいをかけていたのは相変わらずだったけど。


「そっか。じゃあ、また明日な」


「うん。……ねえ、真樹、ちょっといい?」


「ん?」


「――ごめん。ちょっとだけ背中貸して」


 別れ際、そう言って、海は背後からぎゅっと俺のことを抱きしめた。


「……どうしたの、海?」


「本当ゴメン。面倒くさい女なのはわかってるんだけど、でも、ちょっとだけ不安になっちゃって。……夕が『真樹君みたいな優しい男の子がいたら』ってやつ」


「! ああ……」


 天海さん的には何気なく言ったことだろうし、海も普通に冗談として流していたと思っていたのだが、内心ではかなり動揺していたらしい。


「……私、やだから。友達の時はまだぎりぎり大丈夫だったけど、真樹がとられちゃったら、私もう、本当に立ち直れなくなるから」


「海……」


 天海さんの前ではそんな素振りを一切見せなかった海が、俺と二人きりになった今は、子犬のように小さく震えている。


 ぱっと見は元通りかと思われた海も、心の中ではまだずっと不安と戦っている。彼女の中では、まだなにも終わっていない。


 だからこそ、俺も、そんな海の力に少しでもなってやりたい。


「海、いったん放してもらっていい?」


「やだ」


「お願い」


「だって、今、顔やばい」


「気にしないよ。海の泣き顔なんてもう見慣れてるし」


「……ばか」


 そう言いつつも力を緩めてくれたので、そのままの体勢で海の方へと向き直り、軽く抱きしめ合うような形に。


「海」


「……うん」


「大丈夫だから。俺が見てるのは海だけだから」


「うん。……ごめんね、面倒くさいヤツで」


「いいよ。そういうところも、俺は可愛いと思う」


「……ったくもう。こんな私が可愛いとか、真樹ったら、物好きなんだから」


「それは海もだろ」


「ふふ、確かにそうだ」


 そろそろ出ないと先に行った二人に怪しまれそうだが、今はそんなことどうでもいいし、呆れられても構わない。


 今は、目の前の女の子だけを何より優先したい。


「へへ、ありがとね、真樹。おかげでちょっとだけ落ち着いた」


「ならよかった。後、もしよければ、家まで送るけど」


「さすがにそこまで甘えられないよ。大丈夫、ちゃんといつも通り振る舞えるから。……でも、」


「でも?」


「もうちょっとだけ、こうしてたいなって。……ダメ?」


「……いいけど」


 海が落ち着くまで、俺たちは互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合った。


 そして案の定、天海さんと望に『このバカップル』と呆れられてしまった。

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