第82話 デート当日 夕方


 寒い中での待ち時間を少し耐えて、俺たちはようやく昼食にありつくことが出来た。


 こういう店なので少々値段が張ったものの、味のほうは問題なく美味しかったと思う。料理は得意なほうではあるけれど、あくまでネットにあるレシピを浅く掬うだけの俺なので、語るだけの蘊蓄なんかはない。


 好きな調味料はケチャップとマスタードとマヨネーズで、化学調味料万歳なのは、多分、大人になってもしばらくは変わらないだろう。


「真樹、どうだった?」


「うん。デザートまで全部美味しかったけど……でも、一つだけ不満があるかな」


「お、実は私もなんだよね」


 せーの、と海が言うので、店から少し離れたところを見計らって、


「「――量が少ない」」


 と、同時に。


「ははっ、だよね」


「うん、まあ」


 一般的に見れば標準なんだろうけれど、食べ盛りの高校生にはちょっと物足りなかった。


「ふふっ、食後にこういうのもなんだけど、バーガーでも食い行くか」


「あと、ポテトもな」


「おうよ」


 ということで、俺たちは間髪入れず二回目の昼食へと繰り出した。


 普通のデートをやっててもどこか緩い雰囲気なってしまうのは、伏線回収が早いが、きっとこういうことを言うのだろう。


 近くのハンバーガーショップで五分目ほどだったお腹を八分目に満たしてから、俺たちは改めて、西日の橙の光が照らす街中へと戻っていった。


 時間はただいま夕方の16時前ぐらい。俺のほうは夜まで遊んでも問題はないのだが、今日は、海のほうが夕飯の19時ぐらいまでには帰らなければならないということで、帰宅時間など考えると、ここに入れるのは18時くらいまでとなる。


 ということで、後2時間何をするかだが――。


「ねえ、真樹。次はさ、あそこ行ってみようよ」


「ん? ん~……」


 海が指差す先をゆっくりと追うと、そこには『カラオケ』と書かれた看板が。


 カラオケ。


 狭い部屋の中で、大人数の前で、そう上手くもない他人の歌を聞き、そして、まったく上手くない自分の歌声を聞かれてしまう場所。


「……ん~」


「こらこら駄々をこねない」


 散歩中に抵抗する犬のように、俺はその場に立ち止まって『嫌だ』と海に意思を示した。


 確かにデートとして考えると妥当だと思う。思うし、残り時間的に考えても選択肢的には全然アリなのだろうが。


「なに? 嫌なの?」


「……俺、カラオケとか行ったことないし」


「じゃあ、今日が初めてだ」


「え~……」


「え~、じゃない。ほら、きびきび歩く。じゃなきゃ、だっこしててでも強制的に連れてくぞ」


「うぐぅ……」


 どうやら俺の反応を見て、海は俄然行く気になったようだ。繋いでいる手もがっちりと握りしめられて、抵抗空しくグイグイ引っ張られていった。


「二時間、ワンドリンクで。あ、学生料金でお願いします」


 海は天海さんや新田さんたちとたまに行くらしく、スムーズに手続きを済ませて、少人数用の狭い部屋の中へ。


 他の部屋はすでにほとんど埋まっているようで、そこからギャーギャーとしたうるさい歌声やら、叫び声やらが聞こえてくる。


 なんだか動物園のど真ん中にでも来たような気分だ。


「ほらほら、二時間しかないんだから、さっさと歌うよ~。私が先に歌ってるから、その間に次の曲入れてね」


 店員さんから運び込まれてきたドリンクを受け取ってから、部屋のスピーカーから曲が流れだした。


「――♪ ――♪」


 海が最初にチョイスしたのは、飲料水のTVCMで流れている女性グループの曲。


 ……というか、海の歌声を聞くのは初めてだが、ものすごく上手い。強弱や音程などしっかりとれているし、透き通るような声が心地いい。


 もし、この曲のグループの中に一人紛れ込んで歌っていたとしても、違和感ないだろうと思わせる出来だった。


 この店の機械には採点機能がついているようで、そちらが算出した点数は98点。ほぼ完璧といっていい数字だった。


「――ふうっ、歌うの久しぶりだったから、やっぱり気持ちいいな。ほら、次、真樹の番」


「あ、いや……ごめん、俺まだ決まってない」


 歌を聞きつつ、手元の機械を使っていたが、どういう曲を選べばいいか迷う。


 部屋に引きこもってゲームや漫画中心の生活の俺だが、音楽だって頻繁に聴くし、好きなグループ、曲だってある。もちろん機嫌がいい時なんかは、たまにメロディを口ずさむことだって。


 だが、それはあくまで聴くのが好きなのであって、歌うとなるとまた別だ。


 俺は自分の声がそんなに好きではない。緊張するとすぐ声が裏返るし、個人的には頑張って声を出したはずなのに『え? なんて?』と何度も聞かれる。


 そんなこともあって、人に聞かせる以上に、自分自身の声を聞くのが苦手なのだ。


「ふむ……じゃ、私が選んであげる。真樹、好きなバンドは?」


「え? ああ、ダイスロールっていう6人組の……」


「ダイスロールね。じゃ、一番好きな曲は?」


「冬ザクラ……え、もしかしてそれ歌えって言ってる?」


「うん」


 手早くリモコンを操作すると、直後、俺の愛用のヘッドホンから大体いつも流れているイントロが部屋のスピーカーから流れだした。


 マイクは二本あり、俺と海で一本ずつ手に持っている。


 歌いだしのタイミング、AメロBメロやサビの歌詞。全て覚えてはいる。歌えと言われれば歌える。


「……やっぱり恥ずかしい?」


「……かな」


「もしかして、私に格好悪いところを見せたくないとか?」


「……まあ、うん」


 海は俺の歌を聴いても、きっとそのことを茶化したり馬鹿にしたりしないのはわかっている。ただ、歌うことで、『良くない姿を好きな人に晒す自分』を見るのが嫌なだけだ。


「そっか。まあ、嫌な物を無理やり歌わせてもしょうがないしね」


「……ごめん。まだちょっと心の準備が――」


「じゃ、私が歌うわ」


「え?」


 そのまま曲を停止するのかと思いきや、海が予想外の行動に出た。


「いや、海、その曲知ってるのか?」


「ん? 知らないけど。まあ、歌詞は出るわけだから、雰囲気でなんとか」


 そう言って、海はマイクを持って、俺のお気に入りの曲を歌い始めた。


「あ、やばもう始まってる……っと、【白い霧のな、か――冷、たい手が、ぼぉ、くの背中に伸びて】――」


 歌詞の色が変わっていくのを頑張ってなぞっているだけなので、もちろん歌えるはずもない。音程ももちろん適当なので、歌うというより、たどたどしく歌詞を朗読しているのに近い。


「海、別に無理しなくても――」


「ほら、真樹。私が頑張ってるんだから、せめてタンバリンで盛り上げて」


「え? あ、ああはい――」


 ポンと渡されたタンバリンを控えめに鳴らしてみるが、リズムを知っている俺と、知らない海とではそれで噛み合うはずもなく。


「――【いつものふぶ……え、ここで一拍待つん? ……ぽつりと、落ちた雪の華――】」


 だが、それでも海はやめることなく最後までマイクを話したり、途中で演奏を停止する素振りも見せない。


「ほら、真樹も。一緒に歌おう?」


「大丈夫だよ。カッコ悪くても、点数が悪くても、私が一緒だから」


「海――」


「というか、私にこの歌の歌い方教えてくれると助かる。真樹の好きな曲、私もちゃんと歌えるようになりたいから」


 そう言って、海が俺の手をとって立ち上がった。


「ね? いいでしょ?」


「……そこまで言われたら、仕方ないな」


 海がここまで格好悪いところを見せてくれた。だから、最後のサビくらいなら思い切り声を出しても問題はないだろう。


「じゃあ、海はタンバリンでも叩いてて。後は俺が歌うから」


「おう。待ってました」


「ったく、調子いいんだから――」


 海の優しさに背中を押された俺は、マイクに向かって初めて声を張り上げた。

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