第79話 デート当日 出発前


 その後、どうにも体のむずがゆい時間を一時間ほど過ごして、ようやく出発の時間になった。


 結局、時間になるまで海と一緒にゲームをして時間をつぶしたわけだが、俺の隣にぴったりとくっついた海のことを意識しすぎたせいでプレイングが雑になってしまった。


 というか、昨日同じものを食べたはずなのに、どうして海からは甘い匂いしかしてこないのだろう。訊くところによると、朝お風呂に入ったり、口臭のエチケットもしっかりしてきたというが。


「はい、タブレットとガム。私は慣れてるから平気だけど、周りの人はそうじゃないからね。しかも今日は映画だし」


「ほい」


 海からもらった二つを口に放り込み、玄関で昨日購入したブーツ(ショートブーツ とかワークブーツとかいうらしい)を履く。


 普段は安物のスニーカーをボロボロになるまで毎日使うスタイルだったので、こういうのは新鮮な気分だが、慣れないせいか、なんだか足が窮屈な感じがする。


 今日のうちは我慢するが、靴擦れとかができないか心配だ。


「真樹、忘れ物ない? お財布はバッグに入れた? ハンカチないなら私二枚もってきてるけど?」


「いや、それはさすがに大丈夫……って、なんか海お母さんみたいだな」


「かな。ほら、真樹ってちょっと抜けてるっていうか、だらしないとこあるじゃん? だからさ、なんかこう、私が見てあげなきゃって気にどうしてもなっちゃうんだよね」


 母性本能をくすぐる感じだろうか。積極的に世話を焼いてくれるので、海としては好きでやっているのだろうけど、あまりにも女の子にお世話されっぱなしなのは、一応、男としては情けないので、これからはゲーム以外にも興味をもって勉強していこうと思う。


「じゃ、行こっか」


「ああ」


 玄関を出て、二人並んでエレベーターに乗り込む。


「ふぃ~、念のため用意はしてたけど、やっぱりタイツ一枚あるのとないのとでは全然違うね」


「そりゃそうだよ。こういう時は無理せず『寒い』っていう体の本能に従ったほうが吉だって」


 生足で家に来た海だったが、結局、いつもの黒いタイツを着用してもらうことになった。可愛い格好を見せたいという海の気持ちはわかるが、俺としてはこのほうが色々と気を遣わなくていい。


「あ、でも、一応駅の階段の時とかは、私のすぐ後ろに立ってちゃんと守ってね。このスカートの短さだと、屈めば普通に見られちゃうからさ」


「そうなのか?」


「うん。男の人はそういうのが好きな人もいるみたい。いつもじゃないけど、やっぱりたまに視線は感じるかな」


 盗撮とか、そういうことだろう。俺にとってはそういうのはネットニュースの中だけで縁遠い世界だと思っていたが、海みたいな女の子と一緒にいると、一気にそれが身近なものに感じる。


「わかった。できるだけ気を付けるよ」


「ありがと。あ、でも、守ってくれる人が実は覗いてるってパターンもあるからな~……真樹って普通にえっちだし。実はさっきのゲーム中も、私が負けて悔しがってた時とか、さりげなくパンツ見てたでしょ?」


「うぐっ」


 やっぱりバレている。見たのは一瞬で、しかも海も画面に集中していた状態だったはずだが。


「……ごめん」


「ああ、大丈夫大丈夫、別に怒ってるわけじゃないから。今日の服装だと、見られても文句言えないのはわかってるから。……でも、その代わりちょっと聞いてもいい?」


「……なんでしょう」


「ふふ、えっとね~……」


 腕を絡めて俺に密着してきた海が、耳元でくすぐるような声で囁いた。


「――で、そこんとこどうだったん?」


「な、なにが」


「なにがって、わかってるくせに~」


「……そ、そこまでまじまじと見てないから」


 一瞬だが、ちゃんと覚えている。こういう時に限っての高校一年の男子の記憶力を馬鹿にしてはいけない。


 それは多分、きっと俺だけではないはず……というか、そうだと思いたい。


「とにかく、ノーコメントで」


「ふ~ん。ま、仕方ないからそういうことにしておいてやろう」


「し、仕方ないもなにも、そういうことだから」


「もう、意地張っちゃって~。このこのぅ」


「だから、頬突っつくのやめっ」


 今日の服装についてはかなり悩んだという海だから、もしかしたら、下着についても同じように悩んで選んだりしたのだろうか。からかい目的もあるのだろうが、感想を求めてきたということは、ちょっとぐらい――。


 ……いや、もうこういうのを考えて色々と妄想を膨らませるのはやめよう。客観的に考えて、今の俺、すごくキモい。


「へへっ、今日はなんだか楽しくなりそうだね。っていうか絶対楽しんでやるんだから覚悟しててよ」


「俺、始まる前からもう精神的疲労がすごいんですけど」


 こうして海に手玉に取られっぱなしの俺だが、ゲーム以外で、果たしてやり返せるような日は来るだろうか。


 まあ、今のままでも全然悪くはないのだけど。海にからかわれるのは、別に嫌いじゃないし。


 こうして予定より少し早く、俺と海の初めてのデートは始まった。


 今日の予定でとりあえず決まっているのは、映画を観にいくことだけ。なので、その後は二人で街をぶらつきながら適当に動くことにしている。


 といっても、多分海に従って歩く感じにはなりそうだが。


「海、手はどうする?」


「う~ん、まあ、今日はせっかくのデートだし、」


 そう言って、海が指を絡ませてきた。


恋人繋ぎこれでいこっか」


「ん……まあ、今日も冷えるしな」


「真樹はただ私と繋ぎたいだけっしょ~? もう、本当に甘えん坊さんなんだから~」


「……じゃ、やめる」


「却下」


 がっちりホールドされてしまったので、今日一日はしばらくこれだろう。


 手汗で海の手を汚さないか、今から心配である。


 機嫌よさげな海と一緒に歩いて駅へと向かう途中の道の信号待ち。


 ふと、ドラッグストアの建物のガラスに、俺と海、それぞれの姿が映っているのを見つけた。


 予算いっぱい使ってコーディネイトしてもらったので、服装という観点でいえば、並んでいてもそう不自然はないと思う(顔はひとまず除く)。


 どこにでもいそうな、ちょっと背伸びをした高校生の男女――だが、それは全て海が気を遣ってくれたおかげであることを忘れてはいけない。この結果は、すべて海が気合を入れて考えて、悩んでくれたからこそなのだ。


 俺の容姿は今さら変えられないし、それをネタにされても構わないけれど、そんな俺のことを『大好き』だと言ってくれた海まで一緒にされるのは嫌だ。


 だから、せめて自分の力で出来るところぐらいは、なんとか改善していきたい。


 ……海の恋人(になる予定)として。


「? 真樹、どした?」


「……これからも、色々教えてくれると嬉しい。俺、頑張るから……その、」


「その?」


「……う、海のために」


 海の手を握る力をちょっとだけ強くして、すぐそばの海にだけ聞こえるぐらいの声でぽつりと言う。


 面と向かって言うのは恥ずかしいが、これだけは言っておかないとと思った。


「……ふ~ん」


「な、なんだよ」


「いや、今日の真樹、なんだか一段といじらしくて可愛いなって思っただけ」


「……男の可愛いって、それ喜んでいいのか?」


「普通はあんまり良くないと思うけど。でも、私から真樹への言葉だったら、喜んでくれていいよ。約束する」


「そっか。……じゃあ、ありがとう」


「ふふ、どういたしまして」


 そうやってはにかむ海の顔が眩しくて、俺は反射的に目をそらした。

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