蟹の章

第1話 「カニだー!!」

 俺は今、海に出ている。

 もちろん突然海外遠征に出たとかではなくゲームの話だ。

 修行の二日目、とりあえずで選んだ釣りコンテンツのチュートリアルをこなしている最中である。


『おニーサン、ちゃんと見てないとまた餌を食い逃げされるっスよ』


 おっといけない。

 パイルバンカーの代わりに腕部へ取り付けたエテベア製の両腕で竿を握り直す。

 腕はパイルバンカーを買いなおしても良かったのだが、バベルのマーケットを覗いてみるとあれもこれも、他に欲しいものが出来てしまった。

 懐事情を考えて、代替できるパーツのあるものは後回しにしようと考えた結果、こうなったのである。

 だが正直、細かい作業ならこの腕はかさ張らないし、最適解なのではないだろうかと思う。

 それにしても、この針を垂らしてひたすら待つ釣りと言うコンテンツのやり方は性分に合わないというか、何が悲しくて宇宙に進出している時代背景に一本釣りをしなければならないのだろうか。

 網で底からさらう様なやり方も出来ない筈がなかろうに。

 釣り人はそんなにこの釣り竿と言うものがお好きか……。

 お好きなんでしょうなぁ……。

 せめて共通の話題を持った相手でも隣に居ればいいのだが、ウサスケ君はいつログインするのかよく分からないので、ひとまず置いて俺一人で出てきてしまっている。

 俺のように誰もが平日の昼間からゲームを遊べるわけじゃないだろうし、かと言って半日を何もせず潰したくもない。

 それで、一番時間的な裁量に自由が利きそうな釣りを選んで進行して見ているのだ。

 他に朝っぱらから釣りチュートリアルを受ける物好きなプレイヤーも居らず、周りにいるのはNPCの船員のみ。

 一応彼らとも会話ができるのだが、例えば入植初期からこの海では何隻もの船が姿を消しているだとか、舞台背景に触れる会話がメインで食傷気味になってしまった。

 暇つぶしに見る景色も、そこまで沖合に出ている訳では無いので、タワー周辺が眺められる程度である。


「怠いなぁ」


 ゲーム内なのに欠伸を噛み殺す羽目になるとは。

 普段でも、待ちに徹するのはエンドウとかそっちの役回り。

 俺はだいたい相手のミスを誘う目的で囮役を買って出ることが多い。

 これもプレイスタイルを広げる修行と思えば……うーん。


「どうせやり込まないコンテンツのチュートリアルなんだから、スルーで良かったのかもなぁ」


 伸びをしながら考える。

 期限を一ヶ月後に定めたのなら、余計な寄り道は控えた方が良いのではないか。

 そんな風に、自分に甘い考えに流されて竿を畳もうかと思った矢先のことだった。


「カニだー!!」


 船員の一人が叫ぶ。

 その一言を契機に、途端に甲板上が騒がしくなる。

 そこまで大きい漁船ではないが、何をそんなカニごときに慌てる必要があるのだろうか。

 そんな心に浮かんだ侮りの気持ちも、次の瞬間には即刻消し飛ばされることになる。

 船底の海が暗くなり、それが巨大な何かの影だと気付いたときにはもう遅かった。

 海面の一点から大きく波が立ち、その中心から船と同等の大きさで一本のはさみが生える。


「うおおおぉ、カニだー!!」


 俺も叫んで、思わず竿を捨てて立ち上がった。


『おー、カニっスね。 でもあれだけ大きいと身が大味であまり美味しくなさそうっス』


 それは、まぎれもなくカニ。

 遅れて海面からギョロリと覗いた二つの眼もカニ。

 ではもう一方のはさみはどこに?

 そう頭に過ぎったところで、すぐに回答が示された。

 漁船が海面から持ち上がる。

 船体が巨大な二本の爪に挟み込まれていた。

 船材の鋼鉄が歪んで擦れ合う耳障りな音に、その場の全員が船の最期を理解する。


「船は放棄だぁ、皆飛び込めッ!!」


 誰かがそう言ったのに反応し、俺は手元の道具をすべて諦め海中へ飛び込む。

 同時に、漁船は宙で二つに割れ散った。

 沈みゆく船を背後に、俺は海面に漂うNPCたちへ目をくれる余裕もなく、岸を目指してひたすら泳いだ。

 幸い、猿の腕は水を掻くのに丁度良い。




『ひどい目に遭ったっスね』


「俺がな! それにしてもヤバい物を見てしまった」


 港のふ頭にたどり着いた俺は、やっとの思いで体を陸に引き上げる。

 海水の浮力に慣れきった体は陸に上がるとやたらと重い。

 精魂尽き果て、その場に転がって陽光で体を温める。

 ひどくSPを消耗しているが、泳ぎでも消費されるのかこのポイントは。

 ふと、昨日の出来事を思い出す。

 ウサスケ君が海に消えた船の話をしていたが、まさかこれの事だったのではあるまいか。

 噂をすれば、ウサスケ君がコンテナ用クレーンをターザンの要領で使いながら、物凄い勢いでこちらに跳んできているのを視界の端に捉えた。

 俺を思い切り踏みつけて着地。

 PK禁止の措置が、落下で乗算されたダメージを無効化する。

 俺を見下すウサスケ君の目は、明らかな怒りを帯びていて、体まで震わせている。


「アンタねぇ、うちを置いて先に遊んでるとかいい度胸じゃない? しかも……しかもあんなホテルにうち一人置いて!」


 ああ……、リアルにある似たホテルの用途を何かで調べてしまわれたのですね。

 顔まで真っ赤にしながら彼は俺を蹴り転がすが、あいにく相手を出来るほど俺は回復しきっていない。


「で、何やってたワケよ。 そんなにずぶ濡れになって。 着衣潜水や遠泳コンテンツがあるなんて聞いたこと無いんだけど」


「うん、船釣りをやってたんだが、カニに襲われて、船が二つに割られて、難破したからここまで泳いで来たんだよ」


 ウサスケ君は怪訝な顔で俺を覗き込む。


「は?」


「いや、だから、船釣りをしていたら、巨大カニのエネミーに、はさみで漁船を二つに割られて、海で遭難しそうになって逃げてきたんだよ」


 片足で左右に揺すられながら俺は必死に説明をする。


「何か別のゲームの話してる……ワケじゃなさそうね。 ま、ダサいことになってたってのは分かったわ」


「昨日ウサスケ君が言ってた、船が海に沈んでくやつ。 多分それに遭ったんだよ」


 それで、ピンときたウサスケ君は、腰に手を当てドヤ顔で勝ち誇る。


「やーっとあれを認めたってワケね。 で、ただのカニじゃないんでしょう? 何だったのよ」


「千人将。 千人将ガドクラブって表記が海中に見えた」


「何よ千人将って、千人斬りとかいうのは昨日聞いたけど」


 自分で言っておいてなんだが、それは俺が聞きたいところだ。

 そこへカミハラが助け舟を出してくれる。


『千人斬りがパワーアップして手下を引き連れた、ほぼレイド級ボスに匹敵する称号っスね』


「千人斬りがパワーアップして手下の手下を引き連れた、ほぼレイド級ボスに匹敵する称号だ」


 言う事をそのまま繰り返すと、ウサスケ君は口元をひきつらせる。

 そして、俺も口に出してからその意味を理解した。

 昨日の猿の比じゃない奴がこの星、この海には潜んでいて、しかも定期的に船を襲っているという事。

 NPCが語った、入植の初期から続く船がたまに消えるという現象も、恐らくこいつの仕業なのではないか。


「まあ、居るからと言って必ずしも手を出さなきゃいけない訳じゃないけどな」


『強敵がいるなら、おニーサンにとっては修行のいい機会なんじゃないっスか?』


 強敵と言うものにも限度があるだろう?


「アンタがスルーしたいって言うなら、うちもそれで構わないんだけどね」


 ヤレヤレといった感じで話すが、裏を返せば俺がやるというならウサスケ君は付き合ってくれるらしい。

 この先にもきっと手ごろな強敵などわんさか居るだろうし、わざわざ海の中に潜む大敵に挑むいわれも無いが……。

 ふと海を見るが、俺と一緒に乗っていたNPCは一人も岸まで泳ぎ着いていないようだった。

 船の残骸も跡形もなく、今までのあれはすべて俺の見た幻だったのかとすら思える。

 彼らの犠牲にそこまで憤りを感じる俺でもないが、心に引っかからないと言えば嘘になるだろう。

 そう言えば、NPCは生き残らないと証言を出来ないが、今までに被害に遭ったプレイヤーが何か訴えたりはしなかったのだろうか。

 もっと早くに誰かが気付いて存在を指摘すれば、あるいは何か海への特別な警戒が取られていたかもしれない。


「あのカニについて、プレイヤー間で何か噂は出ていないのか?」


「うちが知る訳ないでしょ」


 ウサスケ君に言った訳ではないのだが、カミハラに向けて言っているなどと知りようもないから仕方なし。


『本当に稀にしか姿を見せてないみたいっスね。 公式の情報共有・交流広場を調べると、海で何かに瞬殺されたとか、それっぽい書き込みが何件か検索に引っかかったっスけど。 名前や姿をハッキリ見たのは、もしかしたらおニーサンが初なのかもっスね』


(数千万人のプレイヤーの目があって、サービスから半年も経ってるのにか?)


 ウサスケ君に不審に思われないよう、考えるふりをしながら口元に手を当て、声を抑えて話す。


『あっても初心者エリアっスからね。 後にあれは何だったんだろうと思っても、戻ってこれないっスし。 それにNPCも言ってたじゃないっスか、入植初期から被害が出てるって。 設定的には何十年と前になる筈っス。 それで千人将というならとても遅いペースで襲撃を繰り返して、じわじわ成長してきた事になるっスね。 即ち、激レアエネミーって事っすかね』


 基本瞬殺されるので姿を見るのも難しく、なおかつ激レアエネミー。

 それは確かに、存在が認知されていない理由付けになる。

 だが、そんな条件を付けられてしまうとゲーマーとしては。


「レアエネミーがいるなら、やっぱり狩ってみたいよな」


 あわよくば、その存在を証明するだけでもゲーム上のオンリーワンになれる。

 そんなオイシイ機会をみすみす逃すプレイヤーが居るだろうか?

 いや、無い。


 戦ってみたい、狩ってみたい。

 そう思っていたのはウサスケ君も同じだったようで、彼は開いていた窓をくるりと回してこちらへ突き出してきた。


「じゃさ、あいつらも呼んでみない?」


 フレンド画面に表示された名前は三人。

 俺と――。

 たまご、イトメ。

 そう言えば、すっかり忘れていたがフレンド申請を送ってくれるという話だったか。

 あれから全くフレンドの申請欄をチェックしてなかったから、すっかり忘れていた。

 という事は俺にも来ているのか、と自前のメニュー窓を開くと、もう十時間以上前に送られてきていたそれを見つける。

 


「ヴァリアントの二人、いや、何人いるのか分からないけど、ヴァリアントの全員を巻き込めれば……」


 昨日会ったばかりの連中をいきなり呼びつけて利用しようというのは神経がずぶとすぎる気もする。

 しかし、こんな面白そうなことがあるよと伝えれば、恐らく彼らは飛んで来るだろう。

 俺ならそうするし。

 なにしろ、新規アカウント作ってまで狩りに来ていた連中だ。

 人数さえいれば、勝ち目は分からないが釣り出して発見する程度なら敵うのではないだろうか?

 そう考えると俄然、挑戦するモチベーションが上がってくる。


「そうだね、ウサスケ君の提案に乗ってみよう」


『面白くなってきたっスねー。 昨日からお菓子を買い足してきた甲斐があるっス』


 カミハラ……お前、太るぞ。

 ウサスケ君に任せると碌なことになりそうにないので、彼らへ連絡する文面を考えるのは俺に任せてもらう事になった。

 さて、カニ狩りだ。

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