第4話:また笑顔を見たい
夏菜子は少し前までは笑顔が素敵な女子として周囲から幸せになれると言われていた。しかし、彼女は変わってしまったのだ。学校に来ても以前のように笑顔を見せることはなくなり、お昼もみんなとは離れて食べているなど以前の夏菜子からは想像できないほど真逆になってしまった。
ある日、友人に「私ってどう思う?」とこぼした。友人は唐突に言われたことで戸惑いが隠せなかった。なぜなら、彼女は周囲のように楽しんで学校生活が送れていなかった。おまけに、他の子のように成長も早くないし、流行にも疎いことから友人達と足並みをそろえるために時間がかかっていたのだ。
そして、追い打ちをかけるように父親からの精神的虐待と暴力がエスカレートしていき、彼女たちは居場所を完全に失う形になってしまった。
元々スタイルも良く、ともだちもたくさんいて、仲良し姉妹として有名だったが、少し前に腕の傷を見られたことで近所の人に虐待を疑われて、児童相談所に通報されてから周囲の目が怖くなってしまった。そして、休日も家の中から出る事無く過ごすことが増えた。そして、お互いに部屋から出ることなく一日中過ごしていた。
一方、母親は心中複雑だった。娘二人はいじめを受けて学校に行ったり行かなかったりを繰り返し、息子は姉二人のことを常に心配し、学校では姉のことでからかわれるなど突然泣き出しそうなくらい精神的にも不安定だった。
母親は娘達のことに対して無関心だった父親に娘達の近況を話し、なんとか力になって欲しいと懇願したが、娘の問題に対して見向きもしなかった期間が長すぎて、どのように声を掛けるべきなのか?どうしたら父親の話を聞いてくれるのか?と父親は不安の中にいた。もちろん、彼の中にも娘という認識はあっても生まれたときから十分な愛情を与えてこなかったという負い目があり、今更父親として受け入れてもらえないのではないかと不安になっていた。
そして、娘達とチャットアプリで話を始めた。最初は「うん。」・「父親面しないで」となかなか話してもらえなかった。もちろん、父親は内心心配をしていたが、夏菜子とは13年、美菜子とは10年も口をあまり利いてこなかったことを考えると当然の対応なのかもしれない。ただ、父親としてはこの状況を打破して欲しいし、また楽しんで学校に行って欲しいと思っていた。
2人の担任の先生も心配は尽きなかった。2ヶ月前まで休むことなく通学していた夏菜子の担任の先生も「まさかこんなことになるとは思わなかった」とびっくりし、美菜子の担任の先生も「こんなことが起きていたとは知らなかったし、それが彼女を追い詰めていたことも知らなかった。」と驚いている様子だった。
先生たちは1日でも早く来て欲しかった。というのが本音だった。なぜなら、来週には都の教育委員会の定期査察があり、長欠や不登校の生徒がいると学校として評価が下がってしまう事になり、きちんとした学校運営が出来ていないとみなされて校長先生が教育委員会に呼び出されてしまうのだ。
現在、夏菜子の学校ではいじめが原因と言われている長欠生徒が7人、不登校の生徒が20人と役職指導は避けられない状態だった。しかも、いじめの報告書は出していたが、調査書を提出しておらず、査察までに作成して区の教育委員会に提出しなくてはいけない。
一方、美菜子の学校でも長欠は5人いるが、いじめが原因と報告しているのは3人で、2人は事故等による病欠だった。不登校の生徒は12人(未確認を除く)という状態で、こちらは報告書も調査書も提出していたが、3ヶ月以上のいじめによる長欠および不登校の生徒に関する経過報告書が未提出だった。
ここまでずさんな状態になっていたことを知られた上に全国模試の成績もあまり良くないとなると教育委員会も黙ってはいてくれないだろう。そして、今の都の教育長は“東京都が全国上位に君臨できないなら恥ずかしくて教育長なんか出来ない”という考えの人だ。確かに、教育長は国のトップクラスの大学を首席で卒業している。そして、副教育長を含めた役員は全て難関大を卒業し、文部科学省に入省し、文部科学省から都に出向しているのだ。だからこそ、成績で学校の善し悪しを決めてしまうのだ。その結果、昨年は長欠者の増加が教育長の耳に入り、個別に学校長を呼び出しするのではなく、緊急校長会を開くことになった。そこで、長欠の児童・生徒が増加していることに対して「成績の良い生徒が不登校にならないように配慮して欲しい」とこれまた成績に特化した発言をしていた。そして、今年は全体的には減少傾向にあったが、相変わらず高い水準を維持していた。
そのことを知った姉妹はなぜ、先生があそこまで焦っていたのかを理解した。つまり、先生たちの評定が下がると希望校への異動が出来なくなり、指導教員としてのレッテルを貼られてしまうからだ。
そして、夏菜子は2学期から保健室登校か個室登校を検討しているという話を先生に伝えた。もちろん、彼女は学校に行きたいが、またいじめられるかもしれないという不安が彼女の英断を遮断していたのだった。だからこそ、段階的にでも学校に行こうと頑張っていた。そんな彼女の意思を尊重し、先生達も協力的になってくれていた。
ただ、妹はかなり疲弊していた。確かに、姉と比べると彼女はただのいじめがエスカレートしていき、取り返しがつかないレベルになってしまっていた。そのため、学校に行くこと以前に部屋から出ることもままならない。そんな状況で彼女を無理に学校へ行かせることはまるで石橋を叩いて渡るようなものだろう。
夏休みも彼女たちは家の中で過ごす時間が増えていき、外に出ようとしても精神的にきつい状態になり、何も出来なくなっていた。
そして、夏休みが終わり、夏菜子は個室登校のために学校の別棟にある長期欠席者向けの訓練クラスに向かった。ここは、3ヶ月以上の長欠者が学校に行くために生活習慣を整えるためのクラスで、登校時間を自分で設定して、他の生徒とずらして下校するという完全に自分のペースで学校に戻るための練習が出来る。もちろん、授業は個室で受けることが出来て、食事は給食とお弁当を選ぶことが出来る。授業を受ける部屋は専用個室なので、周囲のブラインドを閉めるだけで外からは見られなくなる。
夏菜子は学校に行かなくなったのはいじめが原因だったため、クラスの生徒を見ると悪寒が差し、精神的に不安定になってしまう。そのため、担任の先生の配慮でリアルタイムの映像ではなく、30分遅れで視聴可能になる特別な配慮がされている映像を見ながら授業を受ける形になっていた。彼女が登校したのは9:00のため、1限目は出来ていたが、2限目はまだ視聴は出来なかった。そこで、彼女は2限目が視聴できるようになるまで1限目の授業を見ながら勉強し、課題を提出した。
学校に登校して2時間が経ったが、以前のように体調が急変することはない。ただ、今までは家で自分のペースで出来ていたため、彼女がこれから授業を受ける範囲は予習が終わってしまっていた。彼女は一時期バスケットボールの強化選手に選ばれるだけの逸材だったが、いじめという大きな壁に阻まれて長期離脱してしまった。そのため、選抜チームに招集され、そこで再評価を受けて代表チームに再び選出され、定期的に行われる大会に召集されるようになる次期がいつなのか分からなかった。それだけ彼女が受けた行為で彼女の体に与えたショックが彼女の未来を奪い、彼女が再び立ち直れるかどうか分からないほどの状態からなんとか復活の兆しは見えてきた。しかし、彼女の中では部活動に参加する気力は無く、クラスに戻るにもクラス替えがある4月以降にしたいという希望があるため、少なくとも元の状態に戻るには半年程度かかると先生は認識していた。
先生は彼女が見ていた夢を守れなかったことで悔やんでも悔やみきれないほどの失敗だと思った担任は彼自身の指導力不足を恨んでいた。もちろん、彼だけの責任ではないことは明確だが、彼女を守れたのは担任や学年主任だったことを考えるとどうしても前向きには捉えることは出来なかった。
実は担任の先生には忘れたくても忘れられない過去があった。それは、今回と似たケースが異動前の中学校で起きていたのだ。それは、夏菜子の中学校に着任する3年前にある男子生徒がその学年でリーダー格の女子からいじめを受けていて、そこに他の男子生徒が便乗していた。そして、当時彼と交際していた女子生徒を人質にして地域のお祭りに呼び出し、普通ではあり得ない行動を強要したのだった。そして、その日は担任の先生は巡回担当ではなく、翌日だったため自宅で子供達と遊んでいた。そして、当日巡回していた学年主任の先生がその現場を見つけたが、主犯格の生徒は逃げてしまい、偶然周辺のエリアを私服巡回していた先生が声を掛けていた。そして、学年主任の先生が担任の先生をその場所に呼び出し、双方の事情を聞いた。
すると、彼女の口から驚きの理由が飛び出した。それは、「あの子があんな男と付き合っていることが妬ましくて、彼を脅して2人の関係を引き裂きたかった」という理由だった。実は、今回いじめのターゲットにされたのは以前に別の女子生徒と付き合っていて、彼氏の方から別れを告げた男子だった。別れた理由も“付き合ってと言われたから付き合ってやったのに”という遊び感覚で二股を掛けていたということになる。
彼女は交際していた女子とは友人関係にあり、彼女を守るためにこのようなことをしたのだという。しかし、彼女たちは悪いとは思っておらず、やっていることは間違っていないと思っていた。
やがて、状況が明るみに出てきたことでリーダー格の女子がやっていた行為がエスカレートし、いじめの相手である男子生徒が精神的に追い詰められ、超えてはいけない一線を越えてしまった。幸い命には別状がなかったが、彼にとっては彼女と無理矢理別れさせられて、関係を引き裂かれるという屈辱的な行為により悲しみが倍増してしまったのだろう。
彼女はそんなことは知らなかった。なぜなら、今回のいじめを自身の過失ではなく、男子生徒側の過失だと主張していたため、まさか彼が未遂であっても一線を越えるとは思っていなかった。
そのような過去を持っていると先生も落ち着いて問題解決出来ると思っていた。しかし、彼らの中に“許す”という認識はなく、どちらかというとお互いに傷の舐め合いをして、知らぬうちにいじめがエスカレートし、傷に塩を塗るような事態に発展してしまったのだ。だからだろうか、先生も今回の彼女が受けたいじめとその時の状況が類似していたこともあり、この時と同じように対応すると出来るのではないか?と思っていた。しかし、今回は同性同士のいじめでかつ、彼女に過失がなく、いじめの内容も陰湿だったため、同じように対処して当該生徒との関係が悪化すると、夏菜子を学校に戻すことは出来ないと思っていた。そして、今は夏菜子も毎日は難しいが、2日に1回程度は学校に来られるようになったため、時間はかかってもいつか元のように学校生活を送り、強化選手として活躍してくれると思っていた。
これまで険しい道を通ってきた彼女を見ていて、先生は心から「またあの頃のように常に笑っている夏菜子と仲間達を見てみたい」と思っていた。先生は彼女がこれからどのように歩み、彼女がどのように元の生活を取り戻すのかを遠くから見守ることにした。もちろん、問題が起きた際には対処するが、それ以外は彼女と周囲の同級生や友人達に任せて彼女が過ごしやすいように配慮したいと思った。
不登校を経てどのように彼女は変わってくるのか?今後が楽しみだった。
こぼれる涙 NOTTI @masa_notti
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