32. もぐもぐごっくん

 ☆ ☆



 ──起きて


 ──起きてティナ


 意識が朦朧としている私に、誰かがしきりに話しかけている。起きなければいけないのはわかっているけれど、身体がいうことをきいてくれなかった。酷い倦怠感と、なによりも耐え難い空腹感が意識を覚醒させるという作業を阻害している。


 ──起きて


(うーん……うるさいなぁ……あと五分だけ……)



「起きなさいっ!」

「はわぁっ!?」


 身体に衝撃を受けて、私は無理やり覚醒させられた。

 慌てて辺りを見回すと、朝日に照らされた見知った部屋が目に入った。ハイゼンベルクの自室だった。そして、目の前に仁王立ちしているのは──。


「なんだ、ミリアム先輩ですか……」

「なんだとはなんですの!? 後輩ちゃん、働きすぎて倒れたらしいじゃありませんか。心配して来てみたらうなされてるし……いったいどういうことですの!?」

「どういうことですのって言われても……」


 私はヘルマー領に来てから、狩りにミリアムとの料理対決、アマゾネスとの交渉、おもてなしの準備など、ひたすら働き続けてきたので身体に疲れが溜まっていたのだと思う。が、問題は倒れていた時に見た夢の内容だった。


「私、そんなにうなされてましたか?」

「ええ、すごく……お腹を押さえて呻いていたのでなにか変なものを食べたのかと──」

「はぁ……はっ!」


 その時私は気づいてしまった。──自分がものすごく空腹だったということに。


 ──ぐぎゅぅぅぅっ!


 思い出したように大きな音でなり始めるお腹。慌てて押さえてももう遅い。私は恥ずかしさのあまり顔に血が上るのを感じた。


「あの……これは……その……えへへっ」

「食事も忘れて働いているとか……あなたは本当にバカですわね!」

「う、うるさいですね! さっきまでお腹すいてなかったんです──んんっ!?」


 突如として、抗議する私の口の中に、ミリアムは何かを突っ込んだ。空腹だった私は反射的にそれを咀嚼してしまう。


(あれ……これは、パンだ……)


 気づいたら私はもぐもぐとパンを味わいながら黙り込んだ。するとミリアムは呆れた様子で肩を竦める。


「はぁ……やっと静かになりましたわね……。後輩ちゃんがあまり食事をとっていないと聞いて、持ってきて正解でしたわ」


 よく見ると、ミリアムの左腕には小さなバスケットが下げられており、その中には手のひら大の丸いパンが所狭しと詰め込まれていた。

 パンを飲み込んだ私は、口を開けておかわりをおねだりしてみた。



「……あーん」

「もう、食いしん坊ですわね」


 もぐもぐもぐ。ごっくん。


「あーん」

「はいはい」


 もぐもぐもぐ。


「あーん」


 もぐもぐ。


「キリがありませんわね……で、そろそろなにがあったのか、聞かせてもらえます?」

「えっと……だから働きすぎでちょっと……」

「それではなく、『どんな夢を見ていたか』ですわ!」


 空腹を紛らわすことができた私は、あることを思いついた。


(ミリアム先輩なら……もしかしたら……!)


 少し悩んだ末に、私は夢で見ていた五年前の出来事をミリアムに話すことにした。


「先輩、私は──」


『七天』の中でなぜ一人、私だけが魔法学校を退学になったのか。その理由を詳しく知るものは魔導士の中でも少ない。魔法学校もそれを管理する冒険者ギルドも、監督不行きとどきによって未来ある一人の若者の才能を潰してしまったことは汚点でもあるのだろう。密かに揉み消しが行われたということも聞く。


 もちろん、ミリアムも初対面の時は私の存在を知らなかったし、七天の『変幻自在Unchangeable』と名乗っても身構えるだけでどんな能力があるかは分からなかったようだ。数回のやり取りでどうやら私が自発的に魔法を使えないということは察したようだが、どういう経緯でそうなっているのかはまだ分からないだろう。


 私はミリアムに、魔法学校での初めての実習で、周りに煽られて上級魔法を使ったこと、その結果未発達な魔力器官が壊れて魔法がまともに使えなくなり、魔法学校を退学になってしまったことを話した。ミリアムは最後まで口を挟まずに真剣な表情で聞いてくれていた。



「──というわけで、今でもたまに思い出して苦しむことがあるんです……あ、お腹が空いていたのはたまたまですけど……」

「なるほどですわね」


 ミリアムは腕を組みながら考え込んだ。


「……つまりは、そのマテウス、ライムント、クラリッサの三人の七天が後輩ちゃんをそんな身体にしてしまったのですわね?」

「えっと……彼らは悪気はないというか……ほんとに私のせいなんで──」


「許しませんわぁぁぁ!」

「ひゃぁ!?」


 突然ミリアムが大声を上げたので、私はその場で飛び跳ねてしまった。その大声で、部屋の隅に留まっていた大きなハエが勢いよく飛び立ち、部屋の中をブンブンと周回した挙句、ミリアムの頭にピトッと着地した。


「キェェェェェッ!」


 ──ギンッ!


 ミリアムが右手から生み出した氷の刃が見事にハエを捉え、地面に叩き落とす。ついでにミリアムの髪の毛も何本か飛び散り、美しい水色の髪が床に散った。


「許せませんわ! 魔導士にとって魔力器官は命にも等しいもの! それを遊び半分で唆し、無理やり上級魔法を使わせて壊すなど、魔導士の風上にも置けないウンコ野郎どもですわ!」

「ウンコ野郎……」

「今すぐそいつらをけちょんけちょんのうにょうにょーんにして、燃えるゴミの日にまとめてポイ! ですわ!」

「せ、先輩落ち着いて……」


 訳の分からないことを叫びながら地面のハエの死骸を高速で踏み続けるミリアムを慌てて制止する。ハエはもう完全に原型をとどめなくなり、黒いシミになっている。裸足同然のミリアムの足の裏には恐らくハエの残骸がこびりついているだろう。想像すると吐き気がするほど汚い。


「はっ、わたくしはなんてことを……」

「先輩って、たまに……というかよく荒ぶりますよね……」

「お恥ずかしい限りですわ……」


 でも、ミリアムが私の代わりに怒ってくれたおかげで、いくらか──というかだいぶ気が楽になったことは確かだった。今まで世の中の理不尽を嘆くだけであまり感情を爆発させるということをしてこなかった私は、少しだけミリアムのことを見直したのだった。


(きっと……ミリアム先輩は私に持っていないものをたくさん持っている。もしかしたら先輩は先輩なりの方法で私を励ましてくれると同時に、感情を露にすることの大切さを教えてくれたのかもしれない。……この人とならもしかしたら……)


 尊敬の眼差しをミリアムに向けた私は、しおらしく俯きながら床に足の裏を擦り付けてハエの残骸をなすりつけているミリアムの姿を見て、その気持ちをすっかりなくしてしまったのだった。



 ☆ ☆



 ──さらに数日後。


 今日はいよいよキャロル一行がハイゼンベルク城を訪れる予定の日だった。

 体調を戻した私は、急いでアマゾネスの好みそうな食材を集め、おもてなしの献立を作った。アマゾネスが普段口にしている食材──イノブタや山菜などをアレンジして、何か作れないかの考えたのだ。あまり豪華でなくても、口にしやすいような料理を……食べやすく、かつ食べたことのないような味を。


 試行錯誤の末にたどり着いた献立。私はそれを朝からじっくり、時間をかけて仕込んでいた。

 決め手となるのは、ホラーツに頼んで手に入れてもらった海の幸、鰹という魚と、昆布という海藻。しかしこれらはあくまでもサポート、メインはあくまでもイノブタと山菜だ。


 時間をかけて鰹と昆布を煮込んで作った出汁。それを私は味見してみる。


(うん、ちょうどいい感じ!)


 下準備はこれで完了。──あとは……。



「おーい、ティナ! アマゾネス一行が城についたぞ! これからユリウス様と一緒に軽く領地を見て回ってから昼食だ! 人数は十人分、頼んだぞ!」

「了解しました!」


 厨房に知らせに来てくれたウーリに返事をすると、包丁を握って食材と向き合う。



「さあ──調理開始ショータイムです!」

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