26. アマゾネスの少女

 ──グルァァァァァッ!


 グリズリーと呼ばれた魔獣が咆哮する。腹の底に響くようなその重低音は、衝撃波となって私たちを襲った。二三歩後ずさる私たち、しかしミリアムは全く動じておらず、グリズリーを恨みのこもった瞳で睨みつけている。


「……常人の敵う相手じゃないぞ。一旦逃げよう」

「馬鹿言ってんじゃねーですわ! わたくしを誰だと思ってますの? わたくしは『氷獄Cocytus』の二つ名を持つ魔導士──常人ではありませんのよ!」


 アントニウスの忠告をミリアムが一蹴したその声を合図にして、グリズリーが突進してくる。ミリアムも魔獣に氷の槍を放つ。10メーテルほどあった距離を、地響きを立てながらあっという間に駆け抜けたグリズリーはミリアムが放った氷の槍をものともせずに、前脚を振りかざした。


「──くっ!」


 ──ズガガガガッ!


 ミリアムは自分の周囲に氷の壁を築いてグリズリーの攻撃を弾き返した。と、同時に分厚い氷の壁は木っ端微塵に砕け散る。グリズリーの攻撃もかなり強力だったようだ。するとユリウスがたまらず声をかけた。


「おいおい、コキュートスだかなんだか知らんが、魔獣に喧嘩売って回ってたら命がいくつあっても足りないぞ? 戦闘の音を聞きつけてまた強い魔獣が出てくるかもしれんし、だいたいここはアマゾネスの領域テリトリーだろ? アマゾネスも黙ってないんじゃないか?」

「うるせぇですわ!」


 両手から生み出した氷の剣をグリズリーに突き刺しながらミリアムが吠える。


(先輩は怒ったら止められなくなるタイプ……覚えておかないと……)


 ミリアムの攻撃はグリズリーの分厚い毛皮に阻まれ、決定打を与えられていないようだ。同じようにグリズリーの攻撃も、ミリアムが絶えず生み出している氷に阻まれて彼女の身体には届いていない。が、長期戦になればミリアムがジリ貧になっていくのは明らかだった。あれだけ氷を生み出していては、魔力の消費も激しいだろう。


 私はユリウスに視線を送った。するとユリウスも同じことを考えていたようで、軽く頷くとウーリとアントニウスに目配せをした。

 ユリウスとウーリは腰の剣を引き抜くと、同時に駆け出す。私とアントニウスもそれぞれ武器を構えた。



「はぁ……はぁ……キリがないですわね!」


 早速バテてきたミリアムがグリズリーの攻撃を防ごうと前方へ氷の壁を生み出す。しかしその壁は先程よりも厚みが薄く、グリズリーに難なく破られてしまった。


「しまった……魔力が……!」


 ミリアムが両手で顔を庇った時、グリズリーの右目にアントニウスが放った矢が綺麗に突き刺さった。


 ──グルォォォォォッ!


 地を震わすような咆哮が轟く。グリズリーがアントニウスに標的を変えたところで、魔獣の両脇からユリウスとウーリが斬りかかった。彼らが狙ったのはグリズリーの後ろ脚。致命傷には至らなかったが、グリズリーは両脚から激しく出血し、動きが目に見えて鈍くなった。そんなグリズリーの目の前に走り込んだ私は、周囲の氷の残骸からミリアムの魔力をかき集める。そして──。


(氷から……雷!)


 ──バチンッ!


 弾ける閃光。グリズリーの胸部にぶつけるように放った雷撃は、狙いどおり魔獣の身体を痺れさせ、グリズリーはドッと地面に倒れ込んで気を失った。


「……ふぅ、上手くいったな」

「さすがユリウス様です」


 ユリウスとウーリは互いの健闘を称えあっている。が、ベテランハンターのアントニウスは一人、虚空を見つめていた。まだなにか気になることがあるようだ。


(もしかして、また魔獣? 消耗が激しいからこれ以上の戦闘は避けたいところだけど……)


 アントニウスの視線の先を眺めていた私は、その周囲の枝が不自然に揺れるのを感じた。そして、気づいた時にはすぐ近くの枝の上に一人の少女が立っていた。


(あの子は……!)


 褐色の肌、緑色のツインテール、猫の耳としっぽ、白い仮面と茶色いマント。これらに私は見覚えがあった。名前は確かリア。リア・パウエルと名乗ったアマゾネスの少女だ。

 リアは地表からゆうに2メーテルはある枝の上に悠然と立ちながら、パチンと一つ手を叩いた。そして私たちの視線が集まると、リアは仮面を外して右手でクルクルと回しながら弄び始めた。



「アマゾネス!」


 ユリウスが叫ぶと、ウーリが「この子だ、この前オレに怪我させたの!」と剣を構え直す。しかし当のリアはそんな二人には目もくれずにまっすぐ私を見据えていた。


「誰かと思ったら、この前の冒険者の子じゃん。えーっと、なんて名前だっけな……ほら、あたしが脅かしたらビビっておしっこ漏らした──」

「なんつー覚え方されてるんですか! しかも漏らしてませんし!」

「そうだったっけ? いやごめん、やたらとビビってたイメージしかなかったから」

「ティナです! ティナ・フィルチュです! 覚えてください!」


 ユリウスとミリアムがじっとりとした視線を送ってきたので慌てて否定しておくと、リアは「ティナね……そういえばそうだったな」などと呟きながら腰のあたりから赤い果物を取りだして、ワイルドにかぶりついた。シャキッといい音がした。


「で、ティナ。あたし言ったはずだよね? 領域テリトリーに入ってくんなって。忘れたの? それともそんなにやられたい?」

「いや、あの、えっと……私たちはそんなつもりじゃなくて……!」


 交渉役などを買ってでたものの、いざアマゾネスを前にすると、その強さを知っている私はしどろもどろになってしまった。


「じゃあなんのつもり? 勝手にあたしたちの領域に侵入して、神の使いとされてるグリズリーを傷つけて、無事で帰れると思ってる?」

「え、えーっと……」


 優雅に果物を食べているが、リアは明らかに怒っている。アマゾネスの中でグリズリーがどんな扱いをされているか知らなかった私たちも悪いのだけれど、今はとりあえず戦闘の意思がないことを示さないといけない。

 私は勇気を振り絞って一歩前に進み出た。


「あの! 今日は戦いにきたわけじゃなくて……リアさんたちアマゾネスに交渉をしに来ました! そこのグリズリーは私たちを襲ってきたので気絶させちゃいましたけど……殺してはいません!」

「グリズリーが死んでないのは見れば分かるけどさ──交渉……? 人間が? あたしたちに? なんで?」


 リアは心底不思議そうな顔をした。私たち一人一人の顔をじーっと見つめ、果物の芯をゴリゴリと噛んで、勢いよく地面に吐き出す。果物は芯を残して綺麗に食べられていた。料理人の私としてはこれ以上ないほど気持ちいい光景だった。


「はい! 魔獣と領域のことについて、アマゾネスの皆さんのお力をお借りしたいんです! お願いします!」


 私はその場に膝をつき、地面に頭を擦りつけた。これはセイファート王国でも私の故郷でも共通の仕草なのだが、頭を限界まで下げることによって相手より自分が目下であることをアピールして警戒心を解く意味合いがある。私の背後にいたユリウスやミリアムは息を飲んだが、リアには効果的だったようだ。

 張り詰めるような緊張感が嘘のように和らいでいく。


 ガサガサと草を踏む音がして、何かが目の前に近づいてくる。恐らくリアだろう。場所的に有利な木の上から降りてきてくれたあたり、どうやら警戒を解いてくれたようだ。


 再び顔を上げると、そこには笑みを浮かべたリアの顔があった。


「そういうことならあたしたちとしても迎え入れざるを得ないね。──いいよ、村に案内してあげる。でも、『郷に入れば郷に従え』、悪いけど村ではアマゾネスのしきたりに従ってもらうよ」

「は、はい! ありがとうございます!」

「あ、あとよそ者を村に入れるのは二人までと決まっているから、残りは領域から出ていってもらう。ティナと……誰が来る?」


「俺が行こう。なにせ俺が領主だからな」

「ユリウス様!」


 ユリウスが進み出ると、ミリアムが悲鳴のような声を上げた。


「ユリウス様! 危険です! 相手はアマゾネスですよ?」

「馬鹿。交渉しに行くんだから相手を信用せずにどうする? まずはこちらから誠意を見せないとな」


 ミリアムはしぶしぶといった様子で引き下がった。リアも満足そうに頷く。


「お前が領主か、なら話ははやい。あたしたちも領主には伝えたいことがたくさんあるんだ」


 リアがそう言うと、ユリウスは黙って頷いた。どうやら覚悟を決めたようだ。こういう時のユリウスは異様にかっこよく見える。私は薄暗い森の中でユリウスだけが少し眩しく見えた。



「村はこっちだ。ついてこい」



 リアは私とユリウスを先導しながら森の深部へと入っていった。

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