第53話 この道の先に。その1
「……ただいま」
「あっ、蓮斗さんおかえりなさい!」
「兄さん、お疲れ様でした」
……兄さんが笑顔で帰ってきた。
両手いっぱいの手荷物と共に。
あの競い合いから3日後。
思ったより早かったな……。
あんな笑顔は、今まで見たことがない。
由樹さんと楽しい時間を過ごしたのだろう。
だけど、その兄さんの笑顔にどこか不自然さを感じていた……。
「おぉ、凄くオシャレなコーヒーカップ!蓮斗さんがこういうデザインを選ぶなんて、珍しいですね!」
どこかの土地の温泉まんじゅうが5箱。
そして、クラシックなデザインのコーヒーカップのセットが6客。
それと一緒に、香りのいい珈琲や紅茶が袋に入っていた。
これを持ち帰ってきただなんて、重かったろうに……黒い猫に頼んで配達とかにしなかったんですね。
きっと高価なものだったのでしょう……。
「あぁ、それは由樹の父親にもらったんだ。うちには似合わないけどな、たまには良いだろう?」
兄さん、似合わないって……そんなことはないと思いますけど。
それより、今……さらりと凄いこと言いませんでしたか?
由樹さんの父親に会ったって事ですよね!?
光は全く気付いていない様ですが、俺は聞き逃しませんでしたよ?
「今度、瞳ちゃんが来たときに使おうかなぁ~。オシャレな演出とか出来そうですよね~」
「そうだな、使ってみるといい。きっと喜ぶぞ」
……兄さん、大丈夫ですか?
大切な女性の父親からもらったものを、そう簡単に使わせるなんて……珍しいですね。
普段だったら、『光は、すぐに割りそうだからダメだ!』と言いそうなものなのに。
やはり、何か……あったのですね。
「そういえば、由樹ちゃんは?姿が見えないんですけど」
「……由樹は、一緒に帰ってこなかった。実家に戻ったんだよ」
……そう実家に。
やっと帰りたかった場所に戻れたんだ、俺は一緒に帰りたいと言えなかった……。
由樹は父親と、あの『樹ーJYUー』で今まで作れなかった親子の時間を過ごしているんだ。
そんなワガママ言える訳が無いだろう……。
「まさか、由樹さんは……もう帰ってこないのですか?」
「わからない。由樹が選ぶ道だからな……」
「えっ!?由樹ちゃん帰ってこないの!?そんなの嫌だよ!由樹ちゃんがいないと……寂しいよ!」
光は、駄々をこねた子供のように騒いでいた。
琉斗は何か言いたげな顔をしていたが、俺の気持ちを察して何も言っては来なかった。
「部屋で少し休んでくる」
まだ騒いでいる光を無視し、俺は荷物を持って部屋に入っていった。
……光、そんなの俺だって寂しいよ。
いや、悲しい……。
違う、胸が苦しい。
由樹に会えないかもしれないと思うと、とてつもない感情が襲ってくる。
それに負けないように、俺は笑顔でいることに決めたんだ。
由樹がまた帰ってきてくれる事を願って……。
そう決めた想いとは反して、何故か頬を伝って水が流れ落ちていた。
きっと汗だと……暑かったからだと……そう思ってベッドに突っ伏し、俺の気持ちを誤魔化していた。
「由樹、本当に良いのか?」
「うん」
私は、蓮斗さんと帰らなかった。
だって……知らなかったから。
私が家を出てから、皆で幸せに暮らしていると……そう思っていた。
義理の母親である奈都子さんは、私の事を嫌っていた。
嫌っていたというより、憎まれていた……ものすごく。
最初は好意的だったの。
好きになった人の娘だから、そうしようとしていたのか、本当に好きになってくれていたのか……それは分からないけれど。
ある日を境に、私とは目も合わさず……嫌悪感を剥き出しにして怒鳴られた事も多々あった。
「俺は……由樹が好きなんだ。姉さんとは思えない」
「えっ?」
奈都子さんの連れ子だった弟の健太郎。
彼が私に告白してきた。
彼は優しい弟で、私達はとても仲が良かった。
血は繋がっていないけど、最初から家族だったんだと思っていた。
「ね、由樹……。俺を男として見てくれない?」
頭が真っ白になった。
告白されたのは初めてじゃ無かったけど、まさか彼からそんな言葉が出てくるとは思っていなくて、パニックになっていたのかもしれない。
「け、健太郎……。あのね、私……貴方の事は好きだけど、そういう好きじゃないの」
私の精一杯の返事だった。
だけど、その言葉が誤解を招く事になってしまった……。
「由樹さん、貴女……健太郎の何処が好きじゃないの!?私の大切な息子なのよ!?」
「母さん!?」
……そう、ちょうど仕事から帰ってきた奈都子さんに聞かれてしまった。
健太郎を溺愛していて、それは誰が見ても一目瞭然で。
その息子を否定していた私に、凄い剣幕で怒ってきた。
……健太郎が、私に告白してきただなんて言えなかった。
もちろん、健太郎は自分がいけなかったと否定してくれた。
だけど、奈都子さんは聞く耳持たずだった……。
「由樹さん、私の健太郎を誘惑したのね!?あなたのせいで、健太郎が私に冷たい態度を取るようになったのよ?どうしてくれるの?優しい私の健太郎を返して!」
……否定出来なかった。
誘惑した覚えはなかったけど、健太郎が告白してきた相手は私。
間違いではないと思ったから。
健太郎と話したいと言っても、会うことは禁じられて……家にいるのも辛くなっていた。
だから、逃げるように伯父さんの家に行ったの。
「ずっと俺の家に居てもいいが、俺を手伝う事」
「はい」
アルバイトという形で、伯父さんの家に居候することが出来た私。
学校は通える距離ではなかったし、健太郎に会う可能性もあったから、転校した。
ちょっと大変だったけど。
手伝いをさせてもらっていた時は、家での辛かった事を忘れられた。
それに、伯父さんの店に来たから……蓮斗さんとも出会えた。
当時の蓮斗さんは、とても恐かったけれどね。
それに私さえいなければ、家族の皆が幸せになると信じていたから。
だから、今まで家に戻ろうとはしなかったの。
……本当は戻りたかった。
心の奥底にしまっていただけだった……。
それを気付かせてくれたのは、蓮斗さん。
「父親と過ごしてこい。もし、由樹がここに残りたいと決めたならそうするといい。由樹と俺の道がここで別れたとしても、何処かで繋がるさ」
蓮斗さんは、私の気持ちを軽くしてくれた。
きっと、私が悩んでいる事に気付いて……そう言ってくれたのだと思う。
「ここでいいから。由樹、またな」
「はい、蓮斗さん。また」
店先で私達は別れた。
駅まで送らなくてもいいと言われたから。
去り際、蓮斗さんは決して振り返ることはしなかった……。
もし、蓮斗さんの顔を見てしまったら……追い掛けてしまったかもしれない。
次はいつ会えるのか、わからない。
『また』というその言葉だけが、別れではなく再会しようという私達の約束であり、見えない絆が繋がれた瞬間に思えた。
……私はそう思えた。
だから、また会いに行きます。
しばらくの間だけ離れ離れでも……私を忘れないでください。
そう心の中で呟いて、私は父の元へ戻っていった。
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