第17話 別れの冷たい涙と、珈琲の香り。その4

「由樹、ごめん……さっきは嘘をついて」

「いいえ、気にしないでください。宗助さん、私を呼びに来てくれてありがとうございました。きっとニーナさんも真くんも、蓮斗さんと幸せになってくれます」


私達は珈琲を飲みながら、ホテルの一室で窓の外を眺めていた。

未だに天気は荒れていて、豪雨は続いていたのです……。

嘘をついたのは……宗助さんの優しさだって知っている。

ニーナさんと真くんを前にして、私のこの気持ちを諦めなくてはいけないって自分の理性が少しだけ勝っていただけ。

あの場に長くいたら、私は……蓮斗さんと離れたくないって泣きつき、幸せを壊してしまいそうだったから……。

それだけ……私の心の中には、蓮斗さんがとても大きな存在になっていた。


「俺ね、由樹が来てくれないんじゃないかって、心配だったんだ。だけど、こうして来てくれた……それだけで、嬉しいんだ」

「……宗助さん」


こんなに心配させてしまったんだ。

私が……揺れていたからだよね。


「……でもさ、本当に俺とで良いの?後悔しない?」

「えっ?」


何故、そんな事を聞くの?


「だってさ、俺……仕事で東京に住んでるんだよ。由樹は地元に帰りたいと思うけど、東京に来て俺と一緒に住んでもらいたいんだ。あと、親の許可が貰えたらさ、結婚したいし……」

「宗助さん、結婚って……私達まだ再会したばかりですよ?」


それに、両親から絶縁されたって言ってましたよね?


「大丈夫だよ。孫が出来たら……許してもらえるだろ。後継者が出来たって、大喜びだよ」


「そんな……子供を両親に渡すんですか?私は嫌です。離れたく無いです!」


宗助さん……何故、そんな事を。

悲しいこと言わないで!


「俺は、由樹さえ居れば良いんだ。だから……その為だったら、子供を犠牲にしても良いだろう?俺は、モデルの仕事を辞めるつもりも無いしね」


酷い……宗助さんがこんな酷い人だったなんて。

自分の為だったら、子供を犠牲にしても良いなんて……間違っている!

私が知っている宗助さんは、思いやりのある優しい人だったのに。

この数年間で、まるで別人のようになってしまっていたんだ……。


「宗助さん、ごめんなさい。私は……貴方と行けません。だから、一人で帰ってください」


私はコーヒーカップをテーブルに置くと、宗助さんを真っ直ぐ見て意思を伝えた。

この答えは、全く揺るぎないものだと知ってもらいたかったから……。


「由樹、酷いな。俺と帰るって言ったよね?アパートを引き払ったのに、何処に帰るの?」


宗助さんは腕を組み、ムッとした表情をしていた。


「……わかりません。でも、宗助さんとは帰りません。お願いですから、私の事は忘れてください」


酷い女だって、罵っても良いです。

宗助さんに相応しい女性と、幸せになってください。

「そうだね、そうするよ。実はさ、東京に彼女がいるんだよ。良かった……これで由樹と別れられた。スッキリしたよ」


えっ?

それなら、私を迎えに来なければ良かったのに。

……何故、ここまで来たの?


「宗助さん、それは……本当ですか?」

「あぁ、本当だよ。だから、由樹もこの田舎に居たら良い。あっ、マネージャーから迎えに来たってメールが来た。それじゃ、由樹……元気でね」


宗助さんは私の顔を見ずに無表情でスーツケースを持つと、部屋を出ていってしまった。



「宗助さん!」


何か違和感がある……。

でも、一体……何だろう?

私は疑問を抱きながら部屋を飛び出し、ホテルの入口で佇む宗助さんを見付けた。

でもホテルを出ていく事をしていなし、それ以前に全く微動だにしていなかった。

宗助さん、マネージャーが待っている筈よね?

私は気になって側に駆け寄り、彼の腕を掴んだ。



「……由樹」

「宗助さん、マネージャーさんは何処に居るんですか?」


辺りには見当たらないし、こんな雨の中待たせるなんて……。

それに、こんな所に立っていたら目立っちゃうよね?

大丈夫なのかな……。


「あぁ、今は……駐車場じゃないかな」


そう言った宗助さんの目には、涙が見えた気がした。


「宗助さん……」

「じゃ、俺は行くよ。由樹、これでお別れだ」


宗助さんは私の手を振りほどき、激しく降る雨の中、行ってしまった。


「宗助さん!」

「由樹、来るな!俺も幸せになるから!だから、幸せにならないと、今度は強引に連れ帰るからな!」


宗助さんは、雨に打たれながら笑顔で私の前から立ち去っていった。

宗助さん……。

やっぱり、あれは……嘘だったんだ。

私をわざと突き放した。

もしかして、私の気持ちに気付いていたの?


宗助さん……ごめんなさい。

やっぱり宗助さんは、あの頃と変わらず優しくて良い人だった。

ずっと探してくれて、こんな遠い地まで来てくれたのに。

私は……なんて酷い女なんだろう。



「……宗助さん、ごめんなさい!そして、ありがとうございました!」


私は、雨の中遠く離れていく宗助さんに、謝罪と感謝の気持ちを叫んだ。

宗助さんは一度も振り返らず、あっという間に見えなくなってしまった。

でも、ここにはまだ珈琲の香りが微かに残っている……。

さっき……宗助さんと一緒に飲んだ珈琲の香りだ。


「うっ、ぐすっ……」


香りを感じた瞬間宗助さんの優しい笑顔が浮かび、我慢していた感情が一気に溢れてきた。

そして、一気に涙腺が崩壊した……。

泣いても許されない事だって分かってる。

私は……結局最後まで自分の本心を言えず、苦しめていたんだから。

私は、この時の香りを忘れない。

宗助さんと約束した事も……絶対に。

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