第81話 三歩進んで二歩下がる

 試験飛行を再開して六日。

 風魔法の省エネの仕方については、地道に訓練を繰り返すことで僅かずつ効果が上がりつつあった。


「よーし、ついに合格ラインの八割まで来たよ!」

 着水した実験機からクラエスフィーナを拾い上げたラルフが、興奮して岸辺の目印を指さした。

 課題審査を二週間先に控え、すでに会場づくりは始まっている。その中でもキャロル湖の岸辺に飛行距離の目印を設置するのは、なによりも最優先で進められていた。

 実験機からボートに乗り移ったクラエスフィーナは、への字口で「むー……」と唸った。

「あと十日もない段階でまだ二割も残ってる……これって、幸先良いのかなあ?」

「いいんじゃないかな。少なくとも僕ら、推力の強弱をコントロールする訓練を始めてから三割くらい到達距離が伸びたよ。この六日でそこまで進めば、かなりの物じゃない?」

「そう言えば、そうだねえ」

「そうだよ!」

 ラルフがニコッと笑ってクラエスフィーナにタオルをかぶせた。

「これで書類審査敗退レベルから、本選出場レベルへランクアップさ!」

「それってつまり、そもそも安全圏に全然入ってないじゃない!」

   


   ◆



 どれだけの距離を飛べたか。

 今までは各研究チームがそれぞれ、目分量でだいたいこれぐらいだろうと計測していた。

 それが今回審査会場設営の一環で標識が設置されたので、公式な物差しで誰にでも分かるように可視化された。

 ……その結果、甘い予測で実績を積み上げていたいくつものチームが、心が折られる事態が起きていた。


「ある種残酷ではあるがな」

 昼食休憩で茶を飲みながら、ホッブが湖畔の標識を見やる。

「今頃全然足りねえよと言われたってなあ……方針転換したり画期的に技術を伸ばす方策があるチームなんてありゃしねえ。せめてひと月前に設置してくれりゃ、何か手を打てた連中もあると思うんだけどな」

「それはそうなんだけどよ」

 設置作業に工造学科として駆り出されていたダニエラも振り返った。

「あんまり早すぎると改ざんされる心配もあるんよ。んで、設置の時期を見計らっていたらしいぞ」

「あー、そういう問題もあるのか」

「試験を受ける方も必死だからねえ」

「アレ設置すんのに、あたしらメチャクチャ大変だったからな……自棄になった連中にこっそり動かされたりしちゃ、苦労して打込んだあたしらが堪んねえよ。また測量し直しとか、勘弁して欲しいぜ」

「そうか、ダニエラも坑道設計学専攻だものな。動員されたクチか」

「おうよ。一昨日と昨日は授業全潰しでさ。測量のできる奴らが五十人ぐらい集められて、炎天下に測量と設置作業よ。湖の形は当然綺麗に直線じゃねえからな……地獄のような作業だったよ」

「技術的にも大変だったんだ」

「しかも講義の一環だから、あんだけの重労働を二日もやって賃金バイト代出ねえんだよ! 冗談じゃねえよ!? それを一日やってから、午後もいい時間から今度はクラエスを空に飛ばす手伝い! そして夜はおっさんども相手に「おじちゃん、アリガト!」だぞ!? やってられるか!」

「後半は学院のせいじゃねえだろ」

「つらい労働を賃金に換算するあたり、ダニエラも給仕仕事よるのおしごとが板について来たよね」



   ◆



 もう追い込みにかかっているので、クラエスフィーナも朝から夕方まで練習だ。とても課題審査に関係ない一般教養科目の講義なんか受けている暇は無い。


 クラエスフィーナは機体のガタが出て無いかを確認しながら、ふと気になったことをラルフに尋ねた。

「ねえ、私はもうそれどころじゃないから講義出てないけど……ラルフやホッブは私と一緒にコレやってて大丈夫なの? 静学系の学生は課題審査の手伝いやっていてもお目こぼしは無いでしょ?」

「ハハッ、心配するなよ。僕たちだってちゃんと計算したうえでやってるんだから。なあホッブ?」

「おうよ。クラエスはそんな心配しなくていいんだ」

「そう?」

 クラエスフィーナはホントに大丈夫かな? とは思ったものの……ラルフとホッブがあまりに自然に流すので、ちゃんと単位計算しているんだろうと思うことにした。


 エルフが“翼”の上にゴソゴソ乗り込み始めたのを見て、あちらに聞こえないようにドワーフが男二人の後ろからボソッと尋ねる。

(んで? どういう目途が立ってるんだよ)

(麗しい友情で単位を落としたとなれば、もう一年学院でぶらぶら遊べる大義名分が立つじゃない)

(お涙頂戴のクラエス努力の物語で、導師も親も留年に怒りにくいだろ?)

(そんなことじゃねえかと思ったぜ)

(おまえはどうなんだよ?)

(あったりめえじゃねえか。そもそも図面描けなくて必修落とすの確実だったからな)

「こっちは準備オッケーだよ!」

 友人たちの黒い思惑でダシに使われているとも知らず、無邪気なエルフは三人に手を振って見せた。




 幼年学校が終わった少年たちが来ると、その日のこれまでにやった飛行試験のデータ解析が始まる。

 これはあくまで(模型)飛空機のノウハウに長けた彼らマニアがアテになるからであって、決して学院生が役立たずというわけではない……という事にしている。


 アベルリーダーが今までの計測結果を見て唸った。

「効率化は効いてますが……それでもまだ、あと一歩が足りませんね」

「やっぱそう思う? 飛距離は結構伸びたと思うんだけど、まだまだ合格ラインまで到達しないんだよね」

「あと、ほんの少しと言えば少しなんですけどね。これは効率化をもうちょっと頑張ればって話じゃないなあ……」

 コーリン設計担当が実験機の状態を見ながら口を挟んだ。

「機体の構造は本当にベストなんでしょうか。もっと突き詰めれば、もっと飛びやすい物ができないかな?」

「それも考えねえでもないんだが……」

 ホッブが頭をかいた。

「画期的な改善点が見つかったとしてだ。エンジェルじじいの工房に今から送って、あいつら間に合わせられると思うか? クラエスの試験飛行だって時間が足りてねえんだぞ」

「……無理ですねえ」

「絶対余計な所にも手を入れて長引かせるよな」

「今から改造に出したら、帰ってくるのが下手すりゃ試験当日になるかも」

「全く使わない変形合体のギミックとか突っ込みかねないよね」

 幼年学校生からも絶大な信頼を置かれるエンジェル工房。


 根本的な機体の改造が今からできない以上、ここから先の伸びしろはクラエスフィーナ自身の持久力の向上と工夫にかかっている。

 自然注目が集まる中、エルフは情けない顔でもそもそジャーキーを噛んでいた。

「……ねえラルフ」

「なに?」

「お腹空いたよう……」

「普通には食べているじゃない」

 クラエスフィーナは工夫の一環で、食事量を制限されていた。理由は簡単、搭乗者が軽ければその分“翼”の負担が軽くなって飛距離が伸びるんじゃないかという理屈である。

「あんなの子供が食べるような量だよ! お腹減っちゃってどうしようもないよ!」

「その分はジャーキーを噛んで口を紛らわせているじゃない」

「紛らわしているだけだよ! お肉食べたいよう……」

 食卓にまったく肉が出ないわけではない。

 だけど昼食に鶏を一羽丸焼きで食べちゃうエルフなので、二、三口で終わってしまう量では栄養的にはともかく精神的には全く足りないのだ。

「しかも毎晩『黄金のイモリ亭』でお客さんがモリモリお肉とお酒を好きなだけ飲み食いしているのを何時間も見てるんだよ⁉ 堪らないよ!」

 今さら説明の必要もないけど、「黄金のイモリ亭」は安くて大盛りの肉料理が売りである。そこで看板娘として接客に勤しんでいれば、当然そんな物ばかり目にするわけで……。

 しかもクラエスフィーナ、減量を始めた頃に客に一口もらっているのが見つかり叱られている。今は仕事中、「この豚エルフめにエサを与えないでください」というプラカードを首から下げさせられる罰を執行中だ。

 ダニエラがクラエスフィーナの安産型の尻をひっぱたいた。

「いいじゃねえか、そんな環境で我慢をするってのは精神的にも強くなれるぜ?」

「じゃあせめて、みんなも私の努力に協力してくれない!? 私が満足に食べられない横で、思いっきり暴飲暴食しないでよ!」

 仲間がダイエット中でも、かまわずいつもの調子でガバガバ飲む。それがダニエラたちのジャスティス。

 彼らの行動はいつだって自分本位ブレない

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