第29話 宝亀二年 姉の憂さ晴らしと摂津行幸の事
年が明けたが、官人としては身分回復していない。おかげで正月早々の朝賀には参列せず、うんざりするほど続く
地方でも
正月節会は先帝の
節会の後に顔を見せに来た、元同僚らの話によると、左大臣らの強い賛同により、
当然ながら無位無官の私は参列出来ない。式の後にやって来た
家にいると日の経つのが遅い。ようやく二月になった日、姉の
私が大隅国に流罪になった時、還俗を命じられた姉も備後国へと配流先が告げられた。だが、手前の備前で病気だと称し、
そして、昨年の九月には帰京命令が出て、戻って来るが早いか、従五位下の位を賜った。
このようにして
ところで姉が何をしに来たと思いきや、やはり愚痴が目的だった。
何でも来る二月十二日、
古記録によれば、
大方の支度が進んでいる、今更、変更する訳にも行かない。北家左大臣が意見を退けようとする。しかし右大臣も折れようとしない。いい年をした最上臈二人の喧嘩が始まる。対応に苦慮した太政官は、次第を天皇に上申した。
「既に神祇官は、住吉の神に祭りを行う旨を報告している。行わぬ方が不吉ではないか」
このように一喝されたと、姉は我が事のように誇らしげに言う。さすがは太政官出身の御方だけある。一同、安堵した。
「御存知かしら、
何やらうんざりした様に姉は話を続ける。
「いいや、知りませぬ。理由は、先帝崩御に伴ってですか」
私も内心、辟易しながら話に付き合う。
「表立っては、そうでしょう。既に骸骨を乞う御歳も過ぎておられるし」
「では、本心は別にある。もしかして、今の天皇に何か含む事でも」
「あったとしても、声高に言うべき事ではないと御思いなのでしょう。その類の節度には厳しい方ですからね」
先帝の遺勅の枕辺には、右大臣もいたと聞いている。即位も決まった今更に、
「でも、その後が傑作というか、然もありなんというか」勿体ぶった視線を寄こす。
「傑作、ですか」
「天皇が直々に、引き留める旨の書状を賜ったそうです。
「まあ、確かに……」気の利いた返答が思いつかず、曖昧にうなずく。
確かあの父娘は、昔から仲が悪いと聞く。父親は家族に無関心で、娘が一方的に父親を嫌っているらしい。
「内心は嬉しくて仕方がないのに、口では既に引退したも同然だとか何とか。太政官でも、四六時中零しているそうです。傍から見ると、かなり滑稽に見えるからやめて欲しい。由利様、頭を抱えておられましたわ」
姉が世間話や愚痴をこぼすのは、別に珍しい事ではない。だからと言って、職務上で知り得た重要事項などを不用意に漏らす事は殆どない。それは身内ながら、大したものだと思う。
「宮中も忙しそうですね。皇后も内裏に入られて、後宮の規模も再び拡大したのでしょう」私は何となく、話の方向を変える。
「ええ。
女帝の時代が長かった弊害の一つだ。坊主はいなくなったが、有能な
「人手が足りないのは、衛府も同じでしょう。衛府を牛耳っていた
「船守らも同じ事を言うていました。衛府は勿論だが、兵部省や
「御身も遠からず、嫌でも復帰させられますよ。
そうなってくれる事を願ってはいるが、もう少しゆっくりしていたい気もする。筑紫の南の端で、責任も負わない暢気な仕事の補佐をしていたせいか、変な怠け癖がついてしまったのかもしれない。
私としては大きな出来事もないまま、難波宮への行幸の日がやって来る。近衛府にいたなら、家に替える間も惜しんで、準備に奔走しているだろう。近衛将監の
姉も
留守官には左大臣の
行幸の先は比較的近いが、天皇即位に伴う行事なので規模は大きい。多くの者が出払い、平城宮内は静かだろう。
何にせよ、未だに自宅で蟄居の私には、少しばかり遠い世界の話に聞こえる。
行幸の列が出かけた三日後の十五日夕方、家の手入れにも飽きたので、
「あの急使は、難波宮に行くのか」
「宮内で何かあったのでしょうか」宅司はやや警戒気味に言う。
難波までなら早馬は一日かからない。案の定、翌日の午後、家の者が朱雀大路を北上する早馬を見たという。この時には、私の元にも左大臣危篤の一報は届いている。
そして二十二日の早朝、またも早馬は都を出て行った。午前中、私の元にも左大臣薨去の一報が届く。
後に聞いた話では、早馬の使者は生駒の峠を越えた辺りで、都へ戻る行幸の列と落ち合った。行幸に付き従う者らの言うには、帰路の途中にある
藤原朝臣永手という人は、藤原氏の最上臈であり、官界での最高権力者だった。白壁天皇とは年も近く、若い頃から懇意にしていたと聞く。この人の薨去が官界に落とす影は、決して小さくはなかろう。
これより太政官の新たな人事が動き出し、藤原氏の内でも次の上臈を巡っての争いが表面化するだろう。上が動けは下も大きく影響を受ける。この騒動で、私の復帰がどうなる事か、少なからずの不安が頭をもたげて来る。
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