第28話 宝亀元年 親王たちの立場
懐かしい島影を見つつ、難波津に着いた時、畿内は紅葉が終わりかけていた。そして年の改まる前に都に入り、妻子に
屋敷に戻った翌日、兵部省と近衛府の者が訪ねて来た。近い内に
それにしても、天皇の名代とは何とも大袈裟だ。大隅国でもらった帰国の命令は、
私のいない間の家は、決して侘しい状態ではなかったようだ。一年程度の不在で済んだので、貯えを食いつぶすような事はなかった。なにしろ
更には、警戒を兼ねて
そして天皇の名代は、翌日にやって来た。思いがけない人の名前を聞いて、自ら家の門に出迎える。
「そうか、種継でも船守でもなく、私が最初か」何故なのか満悦気味に、侍従の
この人は十一月六日、
賜り物は家人らに任せ、自ら主殿へと案内して庭へと回る。
「本当に
女部屋の方向から大袈裟な声が聞こえ、室が息子や
「御内室にあられますか」親王は
室はといえば取って付けたように
「申し訳ありませぬ、落ち着きのない者らで」取り繕うように言ってしまって後悔する。絶対に後で室に怒られる。
「一年ぶりの
相変わらず、平気で頭を下げる。親王になったとはいえ、内舎人からの官人生活が長かったため、年長者や目上の者にへりくだる事に違和感を持たないのだろう。社交辞令など、日常会話のように造作ない。
「このような庭先で御引止めしては、何の持て成しも出来ませぬ。室も後ほどに改めて挨拶に参ります。どうぞ、奥へと御通り下さい」
こう言っておけば、室も恨みがましい事は言うまい。
「ああ、そうさせて頂こう」
私などが相手なので気が楽なのか、この人の立ち居振る舞いは、近衛少将の頃と変わらない。
私に対して、今はまだ具体的な沙汰はない。身分や官職への復帰は、遠からず必ず行うと約束し、ねぎらいの言葉を置いて山部親王は帰って行った。
更に同じ日の夕刻、
酌み交わしながら留守中の様子を二人から聞き、適当に上機嫌になったところで、私の奇妙な遠流譚となる。
「しかし知らなんだ、御身の伯父上という御方は、筑紫では英雄なのだな」
「そのように思うてくれる者は、少数派やもしれぬ。むしろ、悪人極まりないという者の方が多かろう。楉田氏と式家は持ちつ持たれつの関係だ。むしろ筑紫では世話になっている。何らかの形で恩を返したいと、叔父上らも思うているのだよ」少しばかり複雑そうな表情で種継は言う。相変わらず、酒が顔に出ない男だ。
「御身ならば、
「豊前守か。俺もいずれは望めそうな役職やもしれぬな」私は横から言う。
「地位が回復すれば、そう遠い話でもなかろう。御代も替わり、我々にも日の当たる時が来る」種継は大真面目な顔で言う。
「そうだな。
二人とも中央の権門出なので気軽そうに言うが、地方出身の私にはそれほど容易い事には思えない。
ところで近衛府の者らは、山部親王を若翁とあだ名で呼ぶ。親王が近衛府に着任した時、乳母子でもある種継が、人前でその呼び名を連呼した事に起因すると聞く。
「しかし、難波に着いた時に多少とも詳しい状況を聞いたが、驚く事ばかりだ。本当に
私の能天気な苦労話は途中だが、酒も回って語るのも面倒になった。平然と話の腰を折って、現在の状況を聞く方に戻す。
「遺勅なのは間違いない。左右の
今、高御座に即いているのは、山部親王でも
「
種継の言う御方とは女帝、大殿は白壁王、尚蔵とは右大臣の娘の吉備朝臣
「これはもしかして、
「済まぬが、俺の口からは言えぬ事だ」しかつめらしく私は答える。
「まあ、そうだな」常識のある友人はうなずく。
「
「
「それが最も確実だろう。だが、他戸親王が十五歳になった時点で、あちらこちらの家が息女を妹御をと、名乗りを上げて来ような」
他戸親王を皇太子に選び、粟生江女王を妃とし、行く行くは皇后にまでしよう。かつて女帝が、山部親王にした口約束だと聞いた。この事も遺勅に含まれているのだろうか。
「実を言えば、我が式家もその内に入る。叔父の
「藤氏に限った事ではない。我が
「そうなると山部親王の立場は、権門にとってはかなり微妙なのだな」
「ああ。いずれは親王との外戚争いが起きても不思議ではない。しかし、叔父御にしても俺にしても、それは避けたい」
種継の言う叔父御とは、
式家の家長、伯父の
「だが、他戸親王が成人するのは四年後だ。それ以前に別の争いが起きぬとも限らぬ」種継は独り言のように言う。
「左右大臣らは、他戸親王以外の立太子は視野に入れておるまい。紀氏としても、この後の皇統の安定を願うているゆえ、争い事は望まぬ。とは申せ、俺個人としては
そして二人は、揃えたように私に顔を向ける。やはり二人とも、宇佐八幡神の神託の内容を知りたいのだろう。大方の高官は、神託が皇嗣に関わる事だと気付いているはずだ。
「御身らが誰を推したいのか、天皇が実は誰を望んでおられるのか。俺も分かっているつもりだ。ここだけの話で済ませるのなら、俺としても十一歳の親王よりも、遥かにふさわしい年齢の親王を望んでおるよ」
船守はうなずいて苦笑し、種継も小さく笑ってあらぬ方を向く。我ながら、つまらぬ誤魔化し方をしたと思う。
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