第26話 神護景雲三年九月 豊前国京都郡 大領の屋敷

 広い敷地だ。やぐらの付いた門を潜り、馬は更にまっすぐ進む。真っ直ぐな道の両脇には、木が植えられ、溝が切られ、田畑と使用人らの家が点在する。斜め前方、高い塀越しには幾つもの屋根が並ぶ。恐らくは倉庫群だろう。

 道の先には更に門が見えて来る。この先が主の楉田しもとだ氏の住まいだ。私の父祖の家もこのような様子なので、少しばかり懐かしくなる。

「先ほどの輩に見覚えはありますか」馬首を寄せて来た楉田宅守やかもりが問う。

「いいや。しかし、ただの不逞の輩ではないだろう。衛府とは言わぬが、ある程度の訓練を受けているように見えた」

「案外、衛士えじとして都に上った者やも知れませぬよ。さもなくば、宇佐宮と癒着した何処いずこかの兵力やも」意味深な様子で楉田の若主わかあるじは言う。

 宇佐八幡宮からは離れているが、この京都郡みやこのこおりも勢力圏内になる。更には国境を越えて、太宰府との結びつきもあり問題視されている。太宰そちは在京とはいえ弓削御浄ゆげのみきよの浄人きよひとで、腰巾着の中臣習宣なかとみのすげの阿曾麻呂あそまろ主神かむつかさの役職にある。おまけに阿曾麻呂は、少し前まで豊前介ぶぜんのすけだったので、国府にも宇佐宮にも顔が利く。

 宇佐宮と国府、大宰府も癒着し、更には平城ならとの繋がりもできたとなっては、権力は嫌でも増大する。古くから土地に根付いた楉田しもとだ氏のような一族には、たいそう煙たい存在だろう。


 雨は既に上がっている。若主の到着に気付いた門番が、急いで開門する。

 中心となる大きなむねは、四面にひさしを巡らせ、正面には広いえんも備える。少し古びた佇まいだが、都の上位者の屋敷にも匹敵する大きさだ。脇にも背後にも、一族の者の住まいと思しき棟が並ぶ。

 裏手の少し小さな棟の一つに案内され、体を拭いて着替えも用意してもらう。更には、多少とも医術の心得のあるらしい老女が、傷の具合まで見てくれた。

「怪我の方は、それ程の深手でもないようですね」使用人らの片付けを横目に、宅守が言う。

「刀傷はかすり傷の範疇だ。むしろ、捻った足の方が痛い。まあ、動かしてみて、歩くには然程さほど、支障もない。一日二日もすれば、痛みも引くだろう」

 私とて武官だ。怪我の具合くらいは自分で掌握できる。

「少し腫れているようです。冷やした方が良いやも知れませぬ」

 使用人らの言葉は、土地の訛りが強く、時々何を言っているのか分からない。しかし、この若主はしっかりとした中央の言葉を話す。もしかしたら、少し前まで都にいたのかもしれない。

「時に、ここは大領たいりょうの御屋敷か」

「はい。私の祖父おおじ楉田勝しもとだのすぐり愛比えひの屋敷です」

 土地の名士ともなれば、何人かの子弟を都に送り出してもいるだろう。宅守も私のように、父親の赴任について、都に上ったとも考えられる。

「先ほど、藤原式家の者より、私の事を依頼されたと言われたが」

「はい。式家の宿奈麻呂すくなまろ様より急ぎの知らせが届き、もしも御身様がこの京都郡みやこのこおりに立ち寄られる事があるならば、力になって欲しいと」宅守はようやく笑い顔を見せる。

 我々が因幡国にいる間に、都での動きを察知した式家の面々が、ここまで使いを走らせたのだろう。かつて大宰帥だざいのそちを務めていた宿奈麻呂には、筑紫にも情報網があると見える。

「そうか。幾重にもかたじけない」

「我々は式家様に、先代より御恩に与っておりますゆえ、当然の事です」

「ああ。先代の宇合うまかい公も、筑紫には縁があったのだな」

「そして誰よりも、広嗣ひろつぐ公には返しきれぬほどの恩義と、負い目をも賜っております」

 使用人らが遠慮するように、黙って部屋を出て行く。それを目の端で見送りながら、私は少し戸惑い宅守の顔を見る。

「負い目とは」

「広嗣公が少弐しょうに₍大宰府の次官)であられた時、大宰府管内で反乱が起きたのは御存知でしょう」

「それは、少弐が起こしたのではないのか」

 確か天平十二年の出来事だ。私が八歳の時だから、宅守は生まれてもいない。

「最初は都に反発する者らの、小規模な騒動から始まったと聞いています。それに各地の大領や少領しょうりょうが呼応し、瞬く間に拡大した。少弐は大領らを集めて言われた。このまま、在郷の者が朝廷に叛くのであれば、大宰府の兵が鎮圧に動かねばならぬ。しかし、大宰府として、朝廷への意見を述べる形をとれば、謀叛とされる事は避けられるやも知れぬ」

 父祖から聞かされている話だろう。しかし、私の知っている状況とはかなり違う。

「都では、その様な経緯は聞いた事がない。あくまでも、大宰少弐が兵を起こしたゆえ、討伐の軍が向けられたと」

 子供だった私は、大人たちから聞かされたままに信じていた。それ以前に、あまりに遠い地での出来事を物語のように思っていた。

「そうでしょう。平城ならの都では、その様に捉えたのです。陳情ではなく威嚇、それどころか最後通牒だと。そして長門ながとに大軍を配備させた。反発を強めた板櫃いたびつの兵士らはこれを迎え撃ち、登美とみ京都みやこの兵士らも呼応して立ちました。そうなれば大宰府も、地元の兵士らが殲滅させられるのを黙って見ていられない。まずは朝廷軍を押し返し、勅使との話し合いを持とうと焦ったのです」

「それが巧く行かず、かえって裏目に出た。挙句に少弐は謀反人とされた……」

 大宰府の参戦を見て、蜂起をした勢力もあっただろう。

平城ならで終息した疫病も、筑紫ではまだ猛威を振るっていた。その実情を知ろうともせず、朝廷は様々に難問を突き付ける。そう訴える少弐らの言葉を聞き入れれば、都の御偉方が過ちを認め、兵を起こした者らにも許しを与えねばならない。むしろ、謀叛として鎮圧した方が、体面を保てる。そして筑紫の者らにも、甘い餌を撒き散らした。謀反人を捕らえた者には、官位と恩賞を与えると」

 よくある手だ。元来、地元にある派閥争いという火種に、報酬という油を注いで燃え上がらせる。

「それを知った少弐は、皆に官軍に下れと命じ、自ら進んで謀反人の汚名を着たのです。我が先代もその言葉に従い、五位の位を得た。領民らは安堵された。しかし、我々を理解しようと奔走された少弐を見捨てた。その罪悪感は、生涯、付きまとうていたと聞いています」

「恩義と負い目か……」

「今は疫病や軍隊は、この地を去りました。しかしまた、別の脅威を受けようとしています」

 宅守の表情が、先程よりも引き締まり険しくなる。

「神仏の教えを笠に着て横車を押す、その様な者らの横暴です」

「宇佐八幡宮か」

「御身様はそこで、大宰府から送り込まれた者らに会われたのでしょう。あの者らは、本来の神人じにんを追い出して、乗っ取りを諮ろうとしているのです。宇佐宮で新たな権力を得ようとする者が、大宰府の高官と通じて、その様な事を進めている」

 かつての挙兵は、あくまでも父祖に聞いた昔話だ。しかし、宇佐宮と大宰府の癒着による騒動は、大領の家に生まれた宅守にも関わりが出て来るだろう。

「俺が会うた中臣習宣なかとみのすげの阿曾麻呂あそまろとかいう男も、その一派という訳だ」

「あの者は大宰帥だざいのそちの子飼いで、かなりたちが悪い。御身様を狙うたのも、その者の配下でしょう。更に何を仕掛けて来るともしれませぬ。ここから大隅国おおすみのくにまでは、楉田勝しもとだのすぐりの手勢が守護致します」

「重ね重ね、かたじけない。初めて会うたというに、何故、ここまで私に」

「礼を言うべきはこちらです。これ以上、あの者らを大宰府と結託させてはならない。先の神託騒ぎで、帥一派の都での信頼は、多少とも失墜しました。幸いにして今の少弐は、帥や宇佐の神人との結びつきはない。そちらの派閥が力をつけて行けば、我々も抵抗する余裕ができます」

 女帝や法王の前で演じたはったりが、宇佐宮の膝元では意外な効果をもたらしているようだ。もしも馬鹿正直に、阿曾麻呂が寄こした文言を奏上などしていたら、どの様な結果になっていただろうか。宇佐宮も大宰府も、都や弓削氏からの多大な見返りを受け、さらに増上していたかもしれない。この期待を反古にしたのは、私の奏上だろう。

「私のした事が役になったのなら、こちらとしても報われた気分だ。ともあれ今は、御身らに命を救われ世話にもなっている。やはり例を言うべきは私の方だ。重ね重ね、有り難く思う」

 私が頭を下げれば、宅守も戸惑い気味に低頭する。言葉も態度も頼もしい若者だが、年相応の可愛げもある。


 この後、屋敷の主からも歓待を受ける。やはりこの楉田氏も、一族から何人も衛士や采女うねめを都に送り出して来た。任期が明けた後も都に残り、衛府や後宮で出世した者いれば、藤原式家に仕えている者もいるという。そして、この者らのもたらす情報は、筑紫の地にも有益なものとなっているのだろう。

 現在の所、宅守の父親も衛府で官職を得ている一人だという。宅守も二十一歳になれば、都に上るかもしれない。

 地元に根を張る大豪族が重視するのは、中央との関係だけではない。殊に港を押さえる一族は、筑紫周辺のみに留まらず、西国や東国、大声では言えないが異国との取引も私的に行う。これらの繋がりで得た財力が、中央との関係をより深いものにして行く。私の一族も規模は違え、同様の事を昔からしている。地域に根ざした者は、その地の特権を大いに生かす。こうして我々は長きに渡り生きて来た。


 そして翌日、私たちは再び船上にいる。

 豊前国からの船路は、別の波乱に見舞われる。筑紫の東岸は、とにかく波が荒い。海流の変化も目まぐるしい。速吸瀬戸はやすいのせと(豊予海峡)の辺りなど、吉備穴海きびのあなうみよりも流れが速いのではないのか。

 今まで、船酔いらしき状況に陥った事のない私でも、吐き気で言葉すら出ない。畿内育ちで海になれていない家人などは、腹の中身を全部、海にぶちまけて伸びている。草野津かやのつでの経験がなくとも、停泊した港で船を下りる気力は喪失する。

 それでも船は無事に日向国の津に入る。ここから陸路を行く方が、目的地には近いと、案内に立つ楉田氏の者は言う。その者に従い、川沿いに敷かれた道を行く。やがて天孫の下り立ったという高千穂の峰々が遠くに見えて来る。

 私の行く先は大隅国府だという。流刑だか左遷だかは知らないが、建前では員外のじょう(判官)に任命されている。だから国府に呼べば良かろうと、守も介も言っているらしい。

 国府の役人の大半は、豊前や豊後の辺りから移り住んだ秦氏の人々だと聞いている。機内では蛮勇と言われる隼人の人達も、付き合ってみれば陽気で豪快な働き者が多い。決して悪い土地ではなかろう。

 国府は高千穂の山脈を望む盆地にある。南に目を向ければ、海に浮かぶ煙を吹く山も見える。猛々しくも美しい山々だ。大和とも吉備とも違う風景に、我ながら感動を覚えている事に気づく。

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