《禍犬》

 はじめは、どこかで小爆発が。

 それは例えば子どもが誤って魔導調理器具でも使って茹でた卵を温めてしまった時のような。そんな爆発が起きたのかと思った。


「あ……?」


 突然視界からヴィクターの姿が消える。いや、ヴィクターだけではない。周りの部下も。建物も。地面も。空も。ぜんぶ。消えた。

 一瞬、アルフは自分の身になにが起きたのかを理解することができなかった。

 彼がようやく理解することができるようになったのは、どこからか聞こえてきた部下たちの声が耳に届くようになってからで。


「アルフさん!?」


「た、た、隊長!」


 まず襲いかかったのは焼けるような目の痛み。

 今まで感じたことのなかったような壮絶な痛みは、流血をともないながら自分の目が潰されたのだということを語っていて。


「あ、ァァ、アアァァァ!?」


 気がつけばアルフは、握っていた剣すら放りだして両手で両目を押さえて地面をのたうち回っていた。


「お、おれ、俺の目になにをしたァ!」


「んん? 邪魔な予知能力を無効化するために両目ごと潰しただけだが? 魔法でプチッとね。ほら、おかげでなにもえなくなっただろう?」


 アルフの隣にふわりと降り立ったヴィクターは、指で自分の目元をトントンとノックする。もちろん相手の目には見えていないと分かっていながら。


「そもそもおかしいのだよ。キミはこの中で一番実力も経験もありそうなのに、部下が戦っているのをただ見ているだけで指示をだすこともない。それなのにあの連携のとれた動き……念話のたぐいで命令をしていただろう」


「くっ……!」


 すべてはヴィクターの言った通りであった。

 念話――つまりはアルフは声にださずとも、それぞれの兵士たちの脳内に直接命令をくだしていたのだ。

 あらかじめ予知した未来から、次にヴィクターのとる行動を一番相手に近い部下に伝えて行動を起こさせる。

 戦闘経験の多くはない若人わこうどばかりの部隊。ヴィクター相手になんとか犠牲を最小限に保ちつつ、作戦を決行するにはこうでもしなければならなかった。


「やはり当たりか。未来視をしている者命令者あぶりだすために、視える未来を少しばかりいじって挑発してやったんだが……無様に引っかかってくれたみたいで助かったよ。?」


「ぐ……おの、れ……《禍犬まがいぬ》……!」


「Hmm。もう呼び方には突っこまないさ。好きに呼べばいい。……それよりもキミ、魔法使いではなくただの人間だろう。その未来視と念話の力は誰から借りたんだい。ワタシの推測では、キミたちの言う魔導師サマで間違いないと思うのだが……一応確認のためにも名前を聞いておきたくてね」


「ダレ、が言うもの、か……」


「それは困ったな。相手の名前が分からなければ呪詛じゅそのひとつも飛ばせない。大方の予想はついているが、手違いで赤の他人を呪ってしまっては可哀想だからね。無理やりキミの口を割らせることもできるが――」


「う、うおおおおおお!」


 その時であった。

 指揮官が崩れ、頼りにしていた指示がなくなり、アルフの変わり果てた姿に呆気あっけにとられていた兵士たち。

 その中の一人が突然雄叫おたけびをあげたかと思えば、手にしていた剣を構えてヴィクターの元へと走りはじめたのである。

 助けようとしているのだ。魔法使いによって、今にも殺されかねない一人の男を助けるために。


「おや。いくら上官がいないと役に立たないぽんこつ兵士でも、威勢だけは一人前か」


 勢いだけで突っこんでくるとは、なんともまずしい発想である。あぁ! なんと憐れで健気けなげで――弱いのだろうか。

 ヴィクターはステッキの先端を迫る兵士へと向ける。そして一言。


「Bang!」


 ステッキについた拳サイズの宝石から紫色の光の線が伸びる。

 キラキラと妖精の鱗粉りんぷんのような光の粒をまとった美しい光線は、兵士の甲冑の隙間へと入りこみ、ヴィクターの陽気なかけ声とともに――その内側でなにかが爆発した。


「ロニー!」


 誰かが名を。ロニー崩れ落ちる銀色の甲冑に向けて呼びかける。

 ガラガラと音を立てて転がった甲冑の隙間からは止まることなくドロリとした紅い液体が広がり、その中がどのような状態になっているかなど、容易に想像がつきすぎて誰も想像したくはない。


「ひ、ひぃ……アルフさんだけじゃなくロニーまで一瞬で……」


「馬鹿野郎! こ、ここで怖気おじけづいてどうする! 今我々が逃げだしてコイツを野放しにすれば、民衆を危険にさらすことになるのだぞ! それに果敢かかんに立ち向かったロニーはどうする! 隊長のことも、絶対に助けるんだろう!」


「そうだ。まだ数はこちらの方が上。皆でいっせいに立ち向かえば、きっと誰かは奴までこの剣を貫かせることができるはずだ」


 誰かは。つまりは死人がでるということは承知の上。

 今にも逃げだそうとする兵士を叱咤しったする仲間たち。

 逃げ腰になっていた当の兵士も、彼らの言葉を聞いてゆっくりと、震える両手足をなんとか奮い立たせる。


「うぅ……そう、ですね。俺たちで、止めないと……。死んだ仲間も、アルフさんの怪我も、もしかしたら魔導師様ならなんとかしてくれるかもしれない。そのためにも……!」


 兵士は剣を構えた。

 それを合図にヴィクターを取り囲む三百六十度から同じく剣を構える音が響く。


「素晴らしい心意気だ。だが、キミたちが愛する国や家族の笑顔を守りたいように、ワタシにも守りたいものはある」


 歯車の軋みあう音。どこからともなく鼻につく獣の臭い。

 穏やかな口調で語りかけるヴィクターは、一人の人間の顔を思い浮かべてはふにゃりと破顔する。


「クラリスがお腹を空かせてワタシの帰りを待っているんだ。そろそろ終わりにしよう」


「いくぞ! マモナ国の戦士である底力を見せるんだ!」


「うおおおお!」


 先ほどまで逃げ腰であったはずの兵士の勇気あるかけ声によって、ヴィクターを囲む兵士たちが雄叫びをあげる。それに混ざったかすかな獣の唸り声に気がついた者はいただうか。

 そして彼らは国や愛する人のため、捨て身の覚悟でヴィクターの元へ走りだした――はずだった。


 誰も。その場を動く者はいなかった。


「な、んだ……?」


 彼らは動かないのではなく、動けなかったのだ。

 たしかに一歩を踏みだそうとした足はいつけられたように上がらず、甲冑の上から何者かに押さえつけられている感触がある。しかし視線を向けたとしても、そこにはなにも存在はしていない。

 その押さえつけはどんどんと力を強めていき、なにが起こっているのか兵士たちが戸惑っているうちに、今度はミシリと甲冑が歪んだ音を立てはじめる。


 ミシリと硬い金属にヒビがはいり。

 ミシリミシリと亀裂がはいる。

 ミシリミシリ、ミシリ。三回目に音が聞こえた時には、もう身を守るはずの鎧は機能を果たしてはいなかった。


「う、わあぁぁ! あし、が、足がぁぁ!」


 最初に叫びはじめたのは誰だっただろうか。

 ヴィクターの前の兵士が地面に倒れ、周りの兵士たちも真似たかのように次々と倒れていく。

 すでに国を守るための剣など放りだして。そのほとんど全員が同じように両足をかかしている姿はなんと滑稽こっけいなのだろう。


 そこにはもう、足なんて無いはずなのに。


「たまには使い魔にもえさくらいはやらないとね」


 ヴィクターがぷかりと宙に浮かぶ。

 その姿をとがめる者はもういなかった。


 地上へと目を凝らせば、うずくまる兵士たちの脇では胴体から鎧ごと脚部がなにもない空間へと引きずりこまれていく様子が見えた。

 引きずりこまれた先からは、間もなくバリバリと硬いものでも食べているかのような咀嚼音そしゃくおんが鳴り響く。

 音の出どころに最初は姿形こそ見えなかったが、兵士たちの血に染まった今ならよく分かる。――彼らの足を食いちぎったものの正体は、地面から生えた巨大な獣のであった。


「いやぁ、ありがたい。クラリスがいっしょにいる時はろくなづけもできないからね。のこのことワタシが一人の時を狙ってきてくれて助かったよ」


 ヴィクターがステッキの先を地上へと向ける。

 宝石が再び怪しく輝きはじめるのと同時に、十数人の兵士たちが転がる地上へと現れる魔法陣。その大きさはこの空間いっぱいへと広がっており、彼の瞳と同じ紫檀色したんいろをした陣から溢れる光に、その場にいたほとんどの人間は絶望の表情を浮かべる。

 ただ一人、状況を理解できていない者を除いて。


「ど、どうした! なんだ。なにがあった。《禍犬まがいぬ》、貴様俺の部下たちにな、にを……!」


 目の見えていないアルフは周囲から聞こえる悲鳴、嗚咽おえつ、泣き声、うめき声、助けをう声を耳にしながら疑問符を浮かべることしかできない。

 彼の血に濡れた両手は――伸ばせども、なにひとつ触れることすらできはしない。


「あはは、可哀想。でもワタシは気が使えて偉いってクラリスに褒められたオトコだ。最期くらいはいっしょにしてあげようか」


 その時。

 ヴィクターの展開した魔法陣の縁からゆっくりと、二本の灰色の柱が姿を現した。

 柱のそれぞれ魔法陣の内側にあたる部分には鋭利えいりな刃が等間隔に何本も生えそろっている。その柱の正体がなにであるのかは、さらに強くなった獣臭と生暖かい風が物語っていた。


「あ……これ、が……これが、世界の中から、大陸一つを消したと言われて、いる、《禍犬まがいぬ》……」


 ヴィクターにすら届かないような小さな声で、誰かがそう呟いた。

 兵士たちの足元にいたはずの獣の顎はまるで自分たちのボスに獲物を譲ろうとするかのごとく忽然こつぜんと姿を消し、灰色のがゆっくりと動きはじめる。


「恨むならば、キミたちをここに差し向けたその魔導師サマって奴を恨むんだね。……まぁ、恨まれたとしてもアレはどこ吹く風かもしれないが」


 そして。


「いただきます」


 ヴィクターの元へと届いたのは、一瞬しか聞くことのできなかった粗末な断末魔と巻きあげるような風。なびくステッキに巻かれた青いリボン。

 硬い牙同士がぶつかりあう音を最後に、彼の眼下にいた十数人の兵士たちは姿を消した。そこに生きていた痕跡こんせきさえ、残すことなく。

 ヴィクターがステッキを下げるとともに魔法陣や灰色の大顎も、そもそも存在すらしえない夢幻だったのではないかと疑うほどに跡形もなく、ふわりと消失する。


「はい、お粗末さま」


 地面に着地したヴィクターは、 自分が最初にここに訪れた時と同じように静寂せいじゃくに包まれた空間でステッキをしまった。


「さて。お腹も膨れたし、あとは目星をつけたものでも買ってクラリスの元へ帰ろう。さすがに様子見レベルで連続して襲ってくるようなこともないだろうし」


 と、ヴィクターが路地へと振り返った時。

 大きな二つの瞳と彼の紫檀色したんいろの瞳がぱちりと合った。


「あ、あ……」


 そこにいたのは年端としはもいかぬ小さな少女であった。

 騒ぎを聞いてしまったのか、それともたまたまここまで来てしまったのか。どちらにしろ、彼女があの凄惨せいさんな現場を見てしまったのは事実のようで。


「ば、ば、ばけもの!」


 少女は短く叫び声をあげたかと思えば、全速力で大通りの方へと駆けだしていってしまった。

 はなんだったのか。そんなもの彼女に分かるはずはない。

 ただ確実に分かったことは――アレが少女を認識した時に、「悪い子だね」と。そう唇を動かしたことだけ。きっと自分はなにか余計なものを見てしまったのだ。

 自分も消されてしまうのではないかという恐怖だけが、彼女をつき動かしていた。


 大通りまでは道は入り組んではいるが一本道。このまま走っていればいずれは人通りの多い空間へとでるはずである。助けならばそこで求めればいい。

 後ろを振り返りながら走っていてもアレが追ってくる様子はない。

 少し安心した彼女は視線を前方へと戻し――その身体が誰かにぶつかった。


「わぷっ! ご、ごめんなさい。今とっても急いでいて前を――」


「Haha、なぁにかまわないさ。ただワタシみたいに気にしない人間ばかりではないからね。次から走る時は前をしっかり見て走った方がいい」


「ひっ!」


 少女がぶつかったのは、いつの間にか先回りをしていたヴィクター本人であった。

 進路をふさぐように壁に片手をついて立つ彼は、自分の姿を見て怯える少女の頭に右手を乗せると、赤子をあやす時と同じように優しく語りかける。


「Ah……可哀想に。よほど怖いものでも見てしまったようだね。大丈夫。すべて忘れるといい。余計な記憶はぜんぶ忘れて、つまらない日常の中へと戻っていきなさい」


「あ、やめ、やめ……て――」


 ヴィクターの手が触れたところから淡い光があふれだし、少女の身体から力が抜けて崩れ落ちる。

 彼は片腕で少女を抱きとめると、ゆっくりと地面におろして壁にもたれさせる。

 静かに聞こえる寝息はこの短い追いかけっこの終わりを告げていた。


「――よしよし、今度こそ帰ろう。どうせならクラリスの好きなプディングも買っていこうかな。彼女の喜ぶ顔が目に浮かぶぞぉ。ふふふっ」


 そう言ってヴィクターは賑やかな喧騒けんそう向けて歩きはじめる。彼は切り替えの早い男なのだ。

 こうして一匹の災厄さいやくは、今日もありふれた日常の中へと溶けこんでいくのであった。

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