13

 キーラ・グラストーナは持っていた扇をへし折りそうになった。

 キーラは、最新の流行のドレスを身にまとい、自慢の金髪を高く結い上げて真珠で飾って、会場の視線を独占して有頂天だった。

 誰もがキーラを美しいとほめそやし、彼女が頬を染めれば天使のようだとまた褒められる。キーラは自分の容姿が皆にどのような印象を与えるかを知っていたし、どのような表情を浮かべれば皆の心を虜にするのかも心得ていた。

 今宵の主役は自分である。キーラやそう信じて疑わなかったし、実際、彼女の前にはダンスを申し込みたいたくさんの男性たちが列をなした。


 だが――


「ソフィア様がパーティーにいらっしゃるのははじめてね」

「結婚式のときは遠目からしか見ることがかなわなかったけど、なんてお美しい方」

「まるで飛んでいるよ見たいに軽やかに踊られるのね」

「ヴォルティオ公爵様と並ぶと一枚の絵画のようだわ」


 近くでご婦人方が噂する声が聞こえて、キーラは首を巡らせて息を呑んだ。ダンスホールで楽しそうに踊っているのは、なんとソフィアである。

 ソフィアが今日、ランドールとともにパーティーに出席することは知っていたが、庶民育ちの彼女はパーティーに来たところで悪目立ちをして笑いものになると思っていた。

 実際、キーラと年の近い令嬢たちの中には、ソフィアを「庶民」と蔑むものも少なくない。だから、キーラはソフィアが注目を集めるなんて思いもよらなかった。


(ソフィアのくせに……!)


 ソフィアがランドールと結婚すると聞いた時も腹が立った。背が高く、見目も麗しいランドールはキーラの自慢の従兄だ。ソフィアのものになるなんて許せない。キーラはすぐに母である王妃に苦情を言いに行ったが、この件ばかりはどれだけ王妃が怒っても国王は折れなかったらしい。

 キーラはソフィアがこのままもう一曲踊ろうとしているのを見て、きゅっと唇をかんだ。


(見てなさいよ……!)


 ソフィアが城で生活していた時、キーラは母に頼んで、彼女の教育係を何度も解任させた。ダンスの教育もほとんど受けていない。どんな魔法を使って踊れるようになったのかは知らないが、すぐにボロが出るはず――

 キーラは彼女にダンスを申し込もうと並んでいる男性たちをよけて、音楽を奏でている楽団の方へ近づいた。


(恥をかけばいいわ!)


 キーラは楽団の指揮を執る男を捕まえて、小さな指示を出した。






 急に曲調が変わって、ソフィアは軽い焦りを覚えた。

 先ほどまでローテンポのワルツが流れていたはずなのに、突然テンポが上がったのだ。

 ランドールも急に曲調が変わったことに違和感を覚えたようだが、さすがに慌てはしなかった。曲に合わせるようにステップを変えて――、困ったのはソフィアである。

 ソフィアはローテンポのワルツしか練習していないのだ!

 調子に乗って二曲連続で踊ろうとしたのが悪かった。ランドールとくっついていられるのが嬉しくて、一曲目が終わってダンスホールから下がろうとする彼の手を掴んで強引に二曲目に突入したのである。


(どうしようどうしよう! 足がもつれる……!)


 必死になって何とかランドールについていこうとするが、ドレスの裾に隠れている足が踏むステップはだんだん乱れてきている。

 泣きそうになってランドールを見上げれば、ソフィアの違和感に気がついたらしい彼が、ぐっと彼女の腰を引き寄せた。


「転ぶなよ。体重をこちらに預けて、それっぽく足を動かせ。何とかしてやる」


 さすがのランドールも、この場で妻を転ばせるつもりはないようだ。

 ソフィアは息もかかりそうなほどの距離に悶える心の余裕もなく、ただただ必死にランドールにしがみついて彼の言う通りにした。

 ソフィアが転びそうになるとランドールが両手で彼女の腰を持ち上げてくるりとターンして誤魔化して、何とか曲が終わるまで踊りきると、ソフィアはがくがくと震える足を動かして壁際まで移動する。


「大丈夫か?」


 ランドールが給仕から軽めのアルコールを取って差し出してくれた。


「だ、だいじょぶじゃないかも……」


 まだ足は震えているし、ドクドクと心臓が大きな音を立てている。焦った。怖かった。転ぶかと思った。


(ダンス、怖い……!)


 ランドールのおかげで事なきを得たが、調子に乗ってしまった自分に自己嫌悪だ。

 ぷるぷると震えていると、ランドールが小さく笑って、ソフィアは驚いて顔を上げた。


「さっきのお前の必死な顔は面白かったな」

(笑った!)


 ランドールが笑った。ソフィアの前ではじめて笑った!

 ソフィアは手に持ったグラスを取り落としそうになった。

 急に曲調が変わって、ステップが早くなったダンスには冷や汗をかいたが、ランドールの笑顔が手に入ったのあらば苦労した甲斐があったってものだ。


(もう、なんでこの世界にカメラがないのよ!)


 ソフィアは地団太を踏みそうになった。カメラがあったらこの瞬間を永久に保存するのに。ああ、尊い。

 ソフィアがじーんと感動していると、ランドールは誰かに呼ばれて離れて行ってしまった。

 そばにいてくれないのは淋しいが、笑顔がゲットできたのだ。今日はもう大満足である。


(あとでオリオンに自慢しよっと!)


 ランドールが去り際に「大人しくしていろよ」と言ったから、ソフィアが素直に壁にもたれるようにしてカクテルを飲んでいると、突然誰かに声をかけられた。

 顔を上げれば、焦げ茶色の髪のピンク色のドレスを着た令嬢が一人、近くに立っていた。

 誰だろう?

 自慢ではないが、ソフィアは貴族たちの顔と名前はわからない。

 この場にいるのだからどこかの貴族令嬢だろうが、見る限りソフィアと年の近い令嬢だ。この年代の令嬢はキーラの取り巻きが多い。ソフィアは小さく警戒した。オリオンが、何が起こるかわからないから気をつけろと言っていたことを思い出したのだ。


(油断しちゃだめよね)


 悪役令嬢であるソフィアは常に警戒していなくてはならないのだ。この世界はゲームの世界であるがゲームではない。やり直しはきかない。選択肢は間違えてはだめなのである。

 令嬢は、アリーナと名乗った。アリーナ・レガート。レガート伯爵令嬢らしい。年はソフィアを同じ十六だそうだ。

 伯爵令嬢がソフィアにいったい何の用だろう。ソフィアは内心首をかしげるが、アリーナは隣に立つと、ただの世間話をはじめた。


「遅ればせながら、結婚おめでとうございます、ソフィア様」

「あ、ご丁寧にどうも。ありがとうございます」

「新婚生活はいかがですか?」

「えっと、皆さん親切で、つつがなくすごしております」

「そうですか。ヴォルティオ公爵もお優しくて?」

「ええ、まあ」


 ランドールはちっとも優しくないが、正直に答えるわけにもいかず、ソフィアは頷いたが、アリーナには意外だったようだ。


「そうですか……、公爵様はお優しいの」

「……夫が、なにか?」


 ソフィアは記憶をたどって、アリーナという令嬢が「グラストーナの雪」に登場するキャラクターであったかどうかを思い出そうとしたが、彼女がゲームの中に登場した記憶はない。


(……これ、何かのフラグじゃないよね?)


 ゲームの世界は、まだはじまっていない。それに、すでにゲームとは違うストーリーを描きはじめている。ここでの彼女との出会いが、やり取りが落とし穴でないとは限らない。

 アリーナは近くを通った給仕からシャンパングラスを受け取って、それを傾けながら穏やかに微笑んだ。


「いいえ、何でも」

(……何か引っかかるわね)


 ソフィアと同じ年代の令嬢は、キーラの目があるからソフィアには近寄ってこない。不思議に思っていると、アリーナが驚いたような表情を浮かべて顔を上げた。

 何事だろうとソフィアは彼女の視線を追って、ランドールが怒りの形相でこちらへ向かってきているのを見つけて、びくっとする。


(え? なに? わたし言われた通り大人しくしていたのに……)


 ここでしたことと言えば、ただアリーナとお喋りしただけだ。喋ったらだめだとは言われていない。

 ランドールはずんずんとソフィアの目の前まで歩いてくると、低く押し殺した声でこう言った。


「どうしてキーラのドレスに赤ワインをかけた!?」


 ソフィアには、寝耳に水だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る