38.

 その言葉を聞いた瞬間、僕は無意識に扉を開けていた。数年前に姉は謎の失踪を遂げている。その姉さんに関わる話だと。警察が捜査しても解らなかったのに。手掛かりが存在するとでもいうのか。


「顔色が悪いな。寝てないのか?」

「寝たら、半強制的にあの世界に行ってしまうから……それよりも、姉さんって……あの姉さんに関わる事をなにか知っているの!」


 僕は食い入るように、ユウトの前に駆け寄った。姉さんの存在。それは僕にとって生きる意味であり、希望だった。


「落ち着け。正直言うと、俺にも詳しい事は分からない。だが、“あっちの世界“でお前と逢いたいと言っている人物がいる。サユリによると、そいつが何が事情を知っているらしい」


 僕は足元を見た。細く華奢な脚が小刻みに震えている。あの世界。僕は今、残酷で現実的な痛みの世界に、再び足を踏み入れようとしていた。姉さんの失踪との関係──どうすれば。


「あの世界が怖いか。アノ」


 僕は俯きながら首肯した。


「そうか。でもそれは当たり前の感覚なんだ。臆病なわけじゃない。考えてみろ。現実世界だって潰れる時は潰れる。社会に喰われるか、怪物に喰われるかの違いだ。結局は人間である以上、運命という苦しみからは逃れられないんだ。それを分かった上で……後はお前が決めろ」

「僕は……」


 少年は身を翻し、背中を向けると歩き出して言った。


「……俺だって本当は怖いんだ」


 その姿。痛みを感じずにはいられない。やはりそうか。この少年、ユウトも僕と同じ境遇の上に立たされているのだ。


「やっと追いついた!……ア、アノちゃん。ユウトから聞いていると思うけど……無理はしなくていいから」


 息を切らして現れたのは僕を導き救ってくれた少女、サユリだ。きっと彼女もそうなのだろう。僕はあの時、意識を朦朧とさせながら、二人の会話を聞いていた。二人は昔からの知り合いらしく、噛み合わない所を見せつつも、どこか信頼し合っていた。


「僕は」


 そうだ。この二人なら、信じられる。僕の痛みを分かってくれる。ずっとそんな人達に憧れていた。


「……行くよ。僕に何が出来るか分からないけど、一歩を踏み出してみる」


 夕陽に照らされて、三人の影が映し出された。背格好も性格もみんな違うけれど互いを高め合うように、影は陽が沈むまで伸び続けている。

 僕は前に進まなければならない。小さくてもいい。その一歩を確実に踏み出すことが出来れば、何かが変わる筈なのだ。

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