6.記憶の世界

20.

「あ──れ──?」


 見慣れた天井が見える。


「寝落ちでもしちゃったかな……」


 頭を掻きながら一つぼやいた。なにか大切な事を忘れている気がする。


 現実──そう、全て現実だよ──


 ふと脳裏をよぎるのは、ある少女の声。


「──そうだ、思い出した。僕はどこか別の世界に飛ばされて追い出されて……」


 雨の中、孤独な通りを彷徨った。素性の知れない人影を目撃した。親切な人達の温もりを感じた。


「サユリさん……エストお婆さん……」


 僕は胸の中で小さく叫んだ。部屋を見渡すと、ベッドの脇に姉の写真立てが置かれていた。続いてソファに机、テーブルとテレビが視界に映し出される。


「まさか……」


 僕はカーテンを勢いよく開けた。どうかあの出来事が現実のものであって欲しいという願いを込めながら。


「嘘……でしょ」


 カーテンを開けた先に広がっていたのはごくごく一般的な住宅街。お隣もそのお隣も。どこを探しても重厚なレンガ調の建物は存在しなかった。


「そんな……あれが全部夢だったなんて……」


 辛い思いをした。元の世界に戻りたいと懇願する事もあった。それでもあの世界には助けてくれる人がいた。確かな温かさがあった。


 目覚めて気付くことがある。現実で色のない生活をしているよりも、あの世界で暮らした方が余程、幸福を感じられるのではないかと。


 姉さんを失って僕は長いこと愛情というものを見失っていた。特に秀でた才能がない僕は家族の中で補欠という存在だった。全ての期待は姉さんに注がれていて、姉が行方不明になってからは、母も父も完全に愛想を尽かし、抜け殻のようになってしまった。


 短い間だったけれど、あの世界で感じた人情の熱はそんな冷たい感情を補完してくれたのだ。


「そうだ……カフェの名前──」


 僕が意識を途絶えさせる直後、サユリさんは"現実に存在する店"に来るよう告げ口をしていた。夢の中で出会った少女と現実で会う──信じ難くはあるけれど、行ってみるしかない。


 僕はコンタクト型マルチデバイスeyeで指定されたカフェを検索し、目的地へと向かった。

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