19.

「そうだ。アノちゃんが住んでいる場所を当ててあげるよ」


 サユリは何を思ったのか、突然、僕の居住地を当ててみせると言った。腹を満たして本調子にでもなったのだろうか。


「う……うん」

「アノちゃん、月島あたりに住んでるでしょ」

「どうして分かったの!?」

「お姉さんには何でもお見通しなのです〜」


 月島とは東京都中央区にある地名のことである。でもどうしてまた僕の住んでいる場所なんかを。


 サユリは両手をぱんっと軽く叩いた。何やら思いついたらしい。


「そうだ、アノちゃん。の世界でもお姉さんとお話しない?もっと色々な事を教えてあげるよ」


 彼女は上目遣いに姿勢を低くして言った。の世界、用は僕達が暮らす現実世界の事を指しているのだろう。


 彼女は揶揄からかい半分、現実への帰還を本気で実行しようとしているようだった。


 僕は小さく首肯する。


「……うん、わかったよ。今は元の場所に帰りたいという思いが強いのかもしれない」


 現実世界で話をする。であれば自然と、この世界からあちらの世界に戻る方法が存在するという事になる。


 僕の返答を聞き得えたサユリは調子のよい格好を引っ込めると、急に神妙な面持ちをした。


「帰りたい……か。それは無理な願いかもしれないね」

「……?」

「ごめん。変なこと言っちゃったね。さ、そろそろ時間かなぁ――」


 サユリは冗談めかして話題を切り上げ、例の水流式時計を見た。頂点には数字の七を逆さにしたような文字が刻まれている。ゴンドラがまもなくその位置に停止した。


 様子を眺めていると、突然視界がぐにゃりと折れ曲がってきた。なんだ、何が起きているというんだ。僕は猛烈な眠気に襲われた。


「あれ……おかしいな……あんなに寝た筈なのに……」

「きっと身体がまだ慣れていないんだよ。焦らなくても大丈夫」


 彼女はさも当然のように言う。


 水無月小百合みなづきさゆり。彼女は僕と同じ現代人であるという事は概ねわかった。しかし、彼女はこの世界について何処まで知っているのだろう。


 寝ぼけ眼になりながら、僕は一つ質問をした。


「これは……夢の中なのかな……」


 意識が朦朧とする。あの時と同じだ。机に倒れ込んで先生の声だけが耳の中で反芻はんすうしたあの時と。


「……君自身の目で確かめてみるといいよ。全ては現実……そう、現実だよ……」


 サユリは少し寂しそうな素振りを見せて僕にそう告げた。


 ──現実。あの少年もそう言っていたような気がする。受け入れ難いこと。覚悟する間もなく起こり得ること。信じられないこと。全てを飲み込むのが現実。


 それが今なのだろう。


 意識が途切れた。僕は深く白い狭間の中で小さく決心した。

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