第278話 回り巡る
お父様とじいやの怒鳴り合う声を聞きながら、特に誰もそれを止めることなく皆で蛇籠を積み上げる。お母様だけは怒鳴るお父様をまるで恋する乙女のように眺めてはいたけれど。
スイレンは途中で足腰の弱い者たちに水路から出るように伝え、そして私たち子どもも水路から陸へと上がった。
岸からスイレンは作業をしている大人たちに指示を飛ばし、私には住居の方へ行くように言う。
「どうだ!?」
スイレンが珍しく声を張り上げた。当の本人は水車を見上げている。つられるようにお父様とじいや、それにお母様以外の全員が水車を見る。
──ゴトン……──
思わず息を飲んだ。水車がゆっくりとだが動き出したのだ。
平らだった水路の底に蛇籠で段差を作り、その上にまた蛇籠を積んで水をせき止めるようにして、水の流れを変えたのだ。その水の勢いで水車が回る。
「よし!」
回り始めた水路の縁には水を汲むための柄杓が取り付けられており、水を汲み上げながら頂点近くまで行くと、軸受けに備え付けられたミニ水路に水が落ちる。
「姫様、こちらへ」
どこからともなくハマスゲが現れ、私がタデやヒイラギ一家と泊まった水路側の住居にはしごをかけ、しっかりと支えてくれている。
「ありがとう!」
私は礼を言いながらはしごを駆け上がり、ほぼフラットな屋根の上に登る。一応二階建てではあるが、明確な建築基準などないのと、フラットな屋根のおかげで日本の家よりも低い。
汲み上げられた水は、皆の頭上に設置されたミニ水路を通ってこの屋根に流れ込んで来る。
「姫様、一度蓋を開けます」
いつの間にかイチビたちも私の側に来ており、ゴミが入らないようにと取り付けられたミニ水路の蓋を開けて行く。
「来てるわよー!」
流れてくる水を見て叫ぶと、スイレンは両手で大きな丸を作って笑っている。そして口喧嘩をしていたお父様たちもようやく気付いたのか水車の脇に集まっている。
水車が集めた水は、一度住居の中心部にある給水装置へと入る。装置と言っても機械など使っておらず、砂利や小石、炭を入れた大型浄水器となっているのだ。各家庭でそれなりに綺麗な飲み水を飲めるように工夫したのだ。
一軒目の住宅の給水装置が満タンになると、オーバーフローした水は別のミニ水路を通って隣の家へと向かう。家と家は屋根がミニ水路で繋がっているのだ。そして同じように給水装置を満たすと、また隣の家へと水が流れる仕組みだ。
「待って、先に私を降ろして」
お父様とじいやがはしごを登って来ようとしていたので、それを止めて先に地面へと降り立つ。私の行動を先読みしていたタデとヒイラギがそこへ迎えに来てくれた。
「行くぞ」
「行こう」
二人はそう言って笑い、私たちは五軒目の家へと走った。この並びには五軒の家が建てられている。
水路建設の終わった者や、農作業を終えた者が総出で手伝ってくれたおかげで、とてつもないスピードで住宅が完成していったらしい。もちろんブルーノさんとスイレンの的確な現場監督の指示があったおかげでもあるだろう。
五軒目の家の給水装置からオーバーフローした分は、雨樋のようなものを通って地下に流れ込む。私たちは台所付近にある地下への扉を開け、各家庭に備え付けてもらっているナーの油を使ったランプ、要するに災害時に作れる簡易ランプに火をつけ地下へと向かった。
「大丈夫かしら……」
不安げに声を漏らすと、タデとヒイラギは「絶対に大丈夫だ」と笑っている。遠くから民たちの歓声が聞こえて来るが、私たちはしばらく無言のまま地下室の床を見つめていた。
「ほら、来たよ」
そう言ってヒイラギは私の肩を揺らす。ランプの灯りが水に反射し、水が流れて来たのが分かった。
「これで皆が快適に……」
少し涙が出て来て鼻声でそう漏らすと、二人は私の頭をクシャクシャと撫でた。
もう体が慣れつつあるが、この土地の昼間は暑い。特に夏の日中は湿気が少ないとは言えかなり高温になる。
日中はこの地下室の扉を開けると、屋根にピョコンと顔を出している採風塔から暑い風が入って来て、地下よりも下を流れる水で気化熱を奪われた冷たい空気が家の中を満たすのだ。この人工的な地下水は一軒目の家へと向かって流れている。
これはたまたま本で読んで知っていた、海外のバードギールというものを真似たのだ。もちろんこの地下室も冷えるので、冷蔵庫代わりにも使える。
私は半べそをかきながら地下室から出て、そして外へと向かう。住居と住居の間には、もちろん蓋はされているが地下水路への空気穴が空いており、このおかげで地下室が冷えるのだ。
「ジェイソンさんがね、なぜか私たちではなく『先生のために!』と必死で掘ったんだよ」
ヒイラギがジェイソンさんの真似をしながら教えてくれた。もはやじいやに褒められたいがために作業をしていたのかもしれない。それを想像し、思わず噴き出した。
もう埋められてしまっているが、地下を流れる水は住居前を通って畑の横の用水路へと流れ込む。もう見えない水路を見つめながら、ここまでを作ってくれた皆のことを考えると、感動からついに泣いてしまった。
「私の娘はそんなに泣き虫だったのか?」
「姫、喜んで笑ってよ」
この国での『お父さん』と『お兄ちゃん』はそう言って笑い、私の手をとって水車の方へと歩き出した。
グスグスと鼻をすすりながら歩いていると、なぜか辺りが静かなことに気付いた。ふと顔を上げると私は凍りついた。
「はははは! 負けん! 負けんぞ!」
「私もまだまだやれますぞ!」
なぜかお父様とじいやは水車と張り合い、水車の横でそれぞれが前方宙返りと後方宙返りをしている。あまりの光景に、さすがのお母様も民たち全員もドン引きをしているようだ。
感動の場面をぶち壊された私は涙も止まり真顔となり、タデとヒイラギは私の横で深い深い溜め息を吐いたのだった。
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