第202話 カレンの冒険〜岩場〜
先へ進めば進むほど足場は悪くなり、足場は地面というよりは岩場だ。そして川は普段見慣れた川も透明度が高いと思っていたが、この辺の水質は桁違いに透明だ。あまりにも綺麗な水にそっと手を入れる。
「冷た〜い!」
私の言葉を聞いた大人たちも、わくわくしながら手を入れたり足を入れたりしている。あのお父様やじいやまでも「冷たい!」と騒ぐのだ。まるで雪解け水のようだと思った。ほんの少し川遊びをしたが、冷たすぎて寒さを感じたくらいだ。
冷水に触れたせいか、はたまた標高が高くなってきているせいか体が冷える。体を温めるためにも私たちは進んだ。その途中、落差十数メートルの滝があったが、生まれて初めて見る滝にお父様たちは大興奮であった。お父様は「これを作れないか!?」と騒ぐが、皆が楽しめるようであればいずれ人工の滝を作っても良いのかもしれない。
滝の横はほぼ垂直の一枚岩であったが、滝から離れると少し緩やかな崖となっており、迂回しながら滝の上を目指した。その辺りから皆口には出さないが、普段は見かけない、でも知っているものが落ちている。骨だ。
何の骨かは分からないが、それを横目にさらに上を目指す。なんとか道具を使わずに岩を登っているが、これはもう完全にロッククライミングだ。私たちは高い身体能力のおかげで登れているが、スイレンであれば確実にここまで来ることは出来ないだろう。
何個目か分からない大岩を登りきると、目の前には動物の亡骸があった。
「……森の一部になることも出来んのだな……」
お父様は鹿のような動物の亡骸に話しかける。草木の生えない岩場には微生物がいないのか、この動物は死んでしまってから時間が経っているようだが、分解されることもなくカラカラに乾いた皮が一部白骨化した骨にくっついている。
野生動物の亡骸を見るのには抵抗がないが、土に還ることも出来ないその有り様を見ていると何とも言えない気持ちになる。
「姫様、これを」
近くを捜索していたじいやに呼ばれる。お父様とタデもその場に行くと、岩と岩の間には小さな切り株のようなものがあった。とは言っても人が切り倒したものではなく、自然に折れてしまったもののようだ。
「あったのだな。木が」
タデはしゃがみ込んでそう呟く。もう少し付近を探ることにし、そのまま川沿いを進むとお父様が立ち止まる。
「……何かいるぞ」
咄嗟にお父様の後ろに回り込み、その背中にしがみつく。お父様の背中越しに前方を見ると、川岸に見たこともないような生き物がおり、虚ろな目をしてこちらを見ていた。最初は恐怖心で動けなかったが、よく見れば見覚えのある毛皮だった。
「……まさか……ベーア……?」
ガリガリに痩せ、もうほとんど骨と皮だけのベーアは私たちを見るとゆっくりと立ち去った。
「もう私たちに立ち向かう力もないのだろう」
「仕留めなくても良いの?」
私が聞くとお父様は首を横に振り、静かにベーアがいた場所まで進む。ビクビクしながらついて行くと、そこにはカニなのかエビなのか分からないが、甲殻類の脚のようなものが落ちていた。
「なんとか食い繋いでいるようですな」
じいやはそれを見て感心しているようだ。
「待って……。私たちは川の近くにカッシなどを植えたわよね? この国では植物の成長速度が早いわ。もしここまで森が広がったら……あのベーアが来てしまうかも……」
そこまで言うとお父様はその場に座り、私にも座るように言う。そして優しげな表情で、諭すようにゆっくりと話し始めた。
「カレンよ。勘違いしてはいけない。森とは生き物がいて当然なのだ。人だけのものではない。今の状態が不自然なのだ」
快適に過ごせていると思っていた私は驚く。
「森の生き物であるベーアにも森の恵みは必要だ。私たちはなにも食べるためだけにベーアを狩っていたわけではない。祝い事などがあればもちろん積極的に狩って食べてはいたが、人に悪さをしなければ無闇に命を奪ったりしない。森が広ければ広いほど、実は出会うことも少ないのだ」
森の民は採取できる植物が少ない時なども、生きるために動物を狩っていたと言う。この国に来て、あまりにも食べるものがなく動物を狩ったが、狩り尽くしたと思っていた大人たちは自責の念にとらわれていたと言う。だからこそ、この地でベーアに出会えたことに感謝したいと言う。
「動物たちも生きる権利はあるのだ。場合によっては食うか食われるかだが、人も動物も森で暮らす運命共同体のようなものだ」
タデもそう話す。
「しかしながら、ガイターの奴は動くものであれば何にでも反応してしまうので、あ奴らは見つけ次第狩るのですよ」
じいやが苦笑いで「少々矛盾しておりますが」と語ると、お父様もタデも「ガイターは仕方ない」とこちらもバツが悪そうな顔をしている。
「動物たちを恐れる必要はない。悪さをすれば私たちがなんとかする」
お父様の表情はいつもの頼りがいのある顔に戻っている。
「カレンは気付いてないようだが、ベーア以外の糞も落ちていたぞ。きっとこの上には、まだ食べるものが多少あるのだろう。ハーンの木もきっとそこから来たのだ。……帰るか」
まだそのハーンの木も川の源流も見つけてはいないが、ベーアをまだ少し恐れる私と、そのベーアを狩りたくはない気持ちからなのだろう。名残惜しそうにお父様は上流側を見つめながら帰ろうと言う。
お父様の気持ちも理解できた私は「えぇ、帰りましょう」と同意し、来た道を戻ることにした。
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