第119話 カレンの水泳教室

 プールどころか全く水に入ったことのない人がいきなり川で泳げるかと心配になりつつも、クレソンの生えている浅瀬にイチビを連れてきた。


「あ……私は脱ぐわけにいかないけれど、服が濡れると重くなるし泳ぎ辛くなるわ……」


 気付いたことを独りごちるとイチビは上半身裸になる。川の水温は雪解け水のような冷たさではないが、やはり外気温よりは冷たい。だけどイチビは「気持ちいいですね」と笑顔で水に入ってくれた。


「まずは水に顔をつける練習よ」


 イチビが着ていた服から腰紐を借りて髪をまとめ、ザブッと水に顔を入れた後すぐに顔を上げる。泳げない人は顔に水が触れるのも怖いと聞くがイチビはどうだろうか?


「プハッ!気持ちいい!」


 爽やかな笑顔でイチビは水から顔を上げた。次の段階に進むことにする。


「じゃあ同じように顔を水につけて、五を数えましょう」


 すると手持ち無沙汰になっているシャガとハマスゲもやると川に入って来た。大丈夫かと聞くと「これくらいは問題ありません」と二人が答えたので続行する。そしてみんなで同時に顔を水に入れ五まで数えて顔を上げる。イチビたち三人は少年のように笑いはしゃいでいる。あまり見ることが出来ない笑顔はレアだ。


「次は十まで数えましょう。その間に目を開けて」


 時間との勝負なので少々ペースが早いかと心配になったが、三人はやる気に満ち溢れている。私が顔をつける前に三人とも川に顔を突っ込んだ。驚きつつも見守ると十を数えたあたりで三人は顔を上げ、最初から目を開けていたとか途中で目を開けたと盛り上がっている。水中で目を開けることは全員がクリアしたようだ。


「本当はもっとゆっくり教えるべきなんでしょうけど、みんなごめんなさい。次は同じように水に顔を入れて目を開け、息を吐き続けてちょうだい。苦しくなったら顔を上げて息を吸うの。私が先にやるわね」


 大きく息を吸ってから水面に顔をつけて目を開く。そしてブクブクと口から気泡を出しながら川底に何か生き物はいないかと目だけ動かす。クレソンの根元には小魚やエビが見え隠れし、顔の真下を小さなカニが慌てて走り去って行く。名前の知らない貝の殻も見つけることが出来た。ここで息を吸うために顔を上げる。


「プハッ!……生き物がたくさんいたわ……じゃなくて、これが息継ぎの時の呼吸法でもあるの」


 それを聞くと三人はすぐに実行する。それぞれのタイミングで顔を上げ息を吸う。


「みんな上手よ。本当に急で申し訳ないのだけれど、次に浮く為の話をするわ。水に入ったらとにかく力を抜くの。それだけで普通は浮くわ。変に力を入れると沈むし、驚いて手足をバタつかせると溺れるわ。溺れた時こそ冷静に力を抜いて」


 少しだけ上流に向かい仰向けで水面に浮き、水の流れに任せてみんなの前に流されてくる。イチビも同じ所に移動し恐る恐る水面に体を浮かせようとする。


「うわっ!」


「大丈夫よ!力を抜いて!」


 そう叫ぶとイチビは力を抜き、見事に浮くことが出来た。私のいる場所まで流されて来たタイミングで腕を掴み起き上がらせる。


「シャガたちも試したい気持ちは分かるけど、今度ゆっくりやりましょう。その応用で一番簡単な泳ぎ方を教えるわね」


 水に浮こうとしていたシャガたちを止めつつそちらに向かい川辺に座る。


「さっきは仰向けだったけど今度はうつ伏せよ。水に浮いたら力を抜きつつ足を真っ直ぐに伸ばして交互に動かすの。こんな感じよ」


 深さがない場所でやるのでやり難くはあったが、足と足を離さず膝ではなく足の付け根を使って動かす。そして「見てて」と川に入る。バタ足で泳いでいるだけで遠い昔の記憶を思い出すが、今は懐かしんでいる暇はない。あっという間にじいやの前に泳ぎ着き顔を上げると、ポニーとロバはじいやに慣れたのか隣に座ってくつろいでいる。


「イチビ、やってみて」


 そう声をかけるとイチビはバタ足で泳いで来た。だがまだ足の動きに力が入り過ぎている。


「もっと細かく動かす感じで」


 そう伝えるとまたシャガたちの所へ戻り、必死にバタ足をして泳いで来る。何回か繰り返してもらい、イチビ自身もコツを掴んだ所で川の向こうに向かって進むことにした。


「イチビ、もしかしたら川底に足が届かない場所もあるかもしれないわ。そうなったらとにかく冷静に力を抜いて浮くことを考えて。そして落ち着いたら斜めに川岸に向かって泳ぐのよ?いざとなったら助けるから安心して」


 とは言ったものの、この子どもの体で上手くいくか心配ではある。イチビも気合いを入れ直している。


「そろそろ行きましょうか。足元に気を付けてね」


 水泳教室を開いているうちにもタッケは伸びていたが、他のタッケと同様麻袋に入れたものを体にくくりつけた。私の頭上を超えている分はイチビが抑えているというシュールな図になっている。だけど私は危険があろうとも、まだ誰も行ったことのない場所に行くのが楽しみなのだ。

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