最終話 駄作と傑作(3)

 目の前に見慣れた車が滑り込んで来たのはそのときだった。

 おれはおもむろに腰を上げる。

 どうやら時間のようだったが、しかしふと忘れていたことを思い出して訊ねる。


「そうそう、あんたが書いてたあの恋愛モノ、あれどーなったんだ?」


 ま、ただの確認だ。

 正直に言えばまったく興味はない。

 茅野はほんの僅かに視線を泳がせ、とぼけたような素振りを交えながら言った。

 

「あー、あれね。ちょっと大幅に修正しなきゃいけなくなったから完成は遠退いちゃったかな。……もしかしたら全ボツにするかも」


 それを聞いたおれの口から出たのは、取り繕うことも忘れた思いのままの反応。


「そーか、そりゃ良かった」


 それをどう受け取ったのか、茅野は一瞬だけ憮然とした面持ちでおれを睨んできたが、それも束の間、すぐに破顔する。


「色々ありがとね」

「俺からも。色々ありがとう」


 茅野と幼馴染み君が二人揃ってそんな言葉を向けてくるが、対しておれは首を振った。

 

「礼を言われるよーなことは何もしてねーよ。おれのストレスを未然防止するためにやっただけだしな」


 自己満足。

 そのために他人の事情に首を突っ込むという、ある種傲慢な行い。

 ぶっちゃけ、少し後悔しているくらいだ。

 そんなおれの胸の内とは関係ないだろうが、茅野の口元が揶揄するように歪む。


「ミコトクンはあの休憩スペースに暗い雰囲気を持ち込まれたくなかったからみたいに言ってたけど、おれからすぐにお互い退院だったんだから、そんなの関係なかったよね」


 うるせーな。自分のハンデを理由にいろんなことを諦めちまうよーなヤツを見ると、どーしても首を突っ込みたくなっちまうんだよ。

 それに、茅野の病は決して軽いものじゃない。

 

「もしかしたらお互いにまた入院することになって、そのタイミングがかぶるってこともあるかもしれねーだろ」

 

 そのときになってもあんなツラをされていたらたまったもんじゃない――という理由を付けることもできる。

 おれが言い訳がましくそんな戯れ言を垂れると、茅野が険のある疑問顔を作る。


「……ねぇ、答えたくなかったら答えてくれなくていいんだけどさ、ミコトクンって何で入院してたの?」


 そーいえば言ってなかったか。基本的におれは自分からは明かさないスタイルを取っているしな。

 だとすれば口を滑らせたことは否めない。

 おれのほうももう一度入院する可能性があることを示唆なんてしてしまえば、そんな疑問を持つのも当然の流れというものだ。

 でもま、ここで今さらそれを打ち明けるのもどこかズレた話でもある。


「ただの胃腸風邪だよ」

 

 茅野は見るからに釈然としない面持ちをしていたが、やっぱり諦観気味の息をついて微笑を浮かべた。


「じゃあね」

「ん、あんたも息災でな」


 それを最後に車へと足を向けかけた際、ふと四階の病室の窓からこちらを見下ろしているマキナと目が合った。

 不機嫌も露にすぐにぷいっと逸らされてしまったが、そんな感情丸出しの仕種を微笑ましく感じられて思わず吹き出す。

 なぜか妙に執着されていたようだが、退院して日常に戻ってしまえばおれのことなんてすぐ忘れるだろう。そもそもからしてあいつの生活におれが不可欠なんてこと、あるわけがないのだから。


 車に乗り込む。おれはほとんど毎回後部座席を定位置としている。

 なかなか発進しないので不審に思って運転席を見ると、どうやら永久は一向に乗り込んでこなかったおれに業を煮やしてスマホを弄り始めていたようだった。その薄い鉄の板から、妙にくすぐったくなるようなアニメ調の女声が聞こえてくる。

 後ろからその画面を覗き込む。

 馬の耳と尻尾を生やした愛らしい少女たちが、我先にと足の早さを競うレース模様が繰り広げられていた。


「……なぁ、永久よ」

「ん? なんだ、いつの間に乗り込んでやがったんだ。用が済んだなら済んだって言えよ」


 息子が乗車してきたことにもお気づきでいらっしゃいませんでしたか。

 しかしなかなか目と手が離せない局面なのか、その手がスマホから離れることはなく、車のギアがDに入れられる気配はない。

 そんな永久に、おれはつい今しがた抱いた疑問を口にした。


「昨日、競馬行くから迎えに来れないっつってたのは……」

「あぁ、まぁよくよく考えりゃおまえを迎えにご足労掛けたところでレースには影響ねーしな。……おら、行け! そこだ刺せ! あたしのアグネスデジタル!!」

「昨日言ってた競馬ってスマゲーかよ!」

 

 あと自分で〝ご足労〟とは言わねーんだよ!





―― Past Season 1 了 ――

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