第七話 病院から始まる? 偽装交際(1)

 暇な時にはあの場所に足を運び、ノートPCに向かう茅野から少し離れたところで読書か勉強に興じる。

 そんな余暇の使い方が始まった。

 茅野はパソコンに向かって難しい顔をしたり吹っ切れたような顔をしていたり、かと思えば時折こちらに満面の笑みを向けてきたりして、その度におれの背筋には悪寒が走った。


 絶対にまたおれにあのラヴノベルを読ませる気満々の晴々しい笑顔。

 果たしてそれまでにおれの退院は間に合うのか!?


 ちなみに、当の小説の内容が事実か否かに関しては、既に詮索する気はなかった。

 仮にあの内容がノンフィクションだとしても、それはこいつが抱えるこの上ないプライベートな事情で、断じておれが土足で踏み入るべきじゃあない。


 おれはこのまま茅野が執筆するかたわらで読書なり勉強なりをして退院までを過ごし、こいつの小説がそれまでに間に合えば目を通して感想も言うし、間に合わなければそのまま退院する。

 その後は顔を合わせることもないだろう。

 こんなものだ。

 入院患者同士の出会いと別れなんて。

 そう思っていた時期がおれにもありました。


「あぁ、いたいた。彩夏あやか。どうしてこんなところにいるんだ。探したじゃないか」


 人の寄り付かないこの休憩スペースに、踏み入ってくる姿があった。

 おれの隣の少女に声を掛け目を向けるその様子からして茅野の知人のようだが、年齢層や様相からして兄……いや弟かな?


 見知らぬ同年代の人間が数を増やしたこの場で、コミュ障のおれとしては気が気ではなる。

 部屋びょうしつ戻ろっかな。


 茅野の兄弟(仮)は、おれに不審そうな一瞥いちべつだけくれてから茅野の元へと歩み寄っていって、その傍らに立った。

 直前、茅野がさりげなさをよそおってノートPCを閉じたのをおれは見逃さなかった。

 まるでその画面を見られるのを忌避するかのように。

 さらに言えば、忌避しているのはそれだけではないようだった。


「どうしてここがわかったの……?」


 せっかく足を運んでくれた自分への見舞い客を前に、しかし茅野の声は重かった。

 その表情もテーブルに伏せられ、実際に沈んでいるかのようにさえ感じられる。


「おばさんに聞いて……。まさか入院してたなんて思わなかったよ。身体は大丈夫なのか?」


 はたで聞く限り、どうやらこの男、茅野の兄弟ではないようだった。

 ……するとやっぱり、幼馴染みかなー。

 そうなると最近まで付き合っていたっていうのも家族公認か。

 幼馴染みっていうのはいいねー。

 二人の会話をBGMにしながら勉学に勤しむおれを他所よそに、すぐ隣で生じたピリピリ感はその密度を増していく。


遊飛ゆうひには会いたくないから教えないでって言っておいたのに! ……どこまで聞いたの?」


 茅野はそう声を荒げるも顔を伏せたまま、見舞いに足を運んだ幼馴染みくんと目を合わせようともしない。

 ……あぁ、何か頭がいてーな。おれも昔、そんな態度を周囲の人間に対して取ったことがあるよーな気がする。要因は微妙に違ってた気がするが。


「どこまで……って?」

「私の……病気のこととか」

「いや、それも訊いたんだけど、そこまでは教えてくれなかった。まだ詳しくわかってないからって」


 沈黙。

 おれのお気に入りの暇潰しスポットには、極めて修羅場のような神妙な空気が満ち始めていた。


「だからって……遊飛とはもう別れたでしょ。どうして来たの?」

「確かに別れるって彩夏には言われたけど、でも心配だったから。そこに互いの関係性なんて関係ないだろ?」


 おぉ、至言だな。

 確かに、既知の間柄でさえあれば、相手を心配する気持ちを抑え込む必要なんてない。

 入院した当人の容態に問題さえなければ、見舞いも我慢する必要はない。


「だったらもういいでしょ? 私は大丈夫だから早く帰って」


 しかし見舞われる側にはにべもなかった。

 そこにいつものあの背伸びをしたような笑みは微塵も見られない。

 そんな茅野に困り果てた様子の幼馴染み君だったが、ややあって躊躇いがちに、


「俺、まだ納得してないんだ。一方的に別れるって言われても理由も教えてもらえないんじゃさ」


 と、困り顔を元カノに注ぐ幼馴染み君。

 おれは思わずそんなやり取りが交わされている隣に視線を遣った。

 ……別れた理由?

 わざわざ言わなきゃわかんねーのかなー。

 茅野の入院理由が重いものである可能性くらい見当がついてるだろーに、自分からそれを口にして確認するとか、してみたらどーだよ。


 ……ま、それも難しーか。

 急に親しい人間が重い病気に掛かっちまったりしたら、気の遣い方もわかんねーわな。

 脳裏に母親の――永久の傍若無人な奇行が浮かぶ。

 あいつにも気遣いというのを学んでほしいものだ。


「俺もさ、彩夏とはずっと昔から一緒にいたし、急に何の理由も告げられずに別れるって言われてもすんなり受け入れられないっていうか……。ずっと一緒にいようねって言ったじゃん……」


 なんというか、ここには一応、第三者おれの目があるというのに、この幼馴染み君にはどうにもそんなものはアウトオブ眼中のようだった。

 熱い!

 熱すぎる!

 とてもじゃないがおれには耐えられん!

 つーわけでホント、もう部屋に戻ろーかな。

 おれのそんな至極私的な感情を無視して考えても、こんな込み入った会話をしている場に無関係の第三者がいるべきではないだろう。


 そう思って私物を片付け、そろりそろりとその場から退散しようとすると、なんとおれの腕は横合いから延びてきた手にぐいっと引き寄せられた。


「私、今この子と付き合ってるから!」

「!?」


 はぁ!?

 こいつ、いきなり何を血迷い始めやがった!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る