第三九話 自意識と他意識(1)
「人間の身体、体質ってのは、ほんのちょっとずつでも毎日変わっていってるもんなんだと。外見みたいに見てわかる部分だけじゃなくて、見てもわからないよーな、身体の中でもな。成長期のこの時期は特に」
成長による変化はもちろん、それは衰えやちょっとした体調の違いなんかでも変わってくるという。
「だから、何年も前に試した方法がダメでも、今試せば何らかの影響が出るっていう可能性は十分に考えられる。受け売りだし、悪影響の可能性もあるけど、どーせこれ以上悪化しても同じだろ」
「……あれ? なんか最後、ちょっとヒドイこと言われたような」
人それぞれで効果の出るダイエット法が異なるのと似たようなものか。
とはいえ、日和沢がこれまで試してきた方法を、もう一度すべて試し直している時間はさすがにない。来週頭の説明会まで継続するとして、並行して試すことができるのはせいぜい二つか三つといったところか。
それも実際に効果が出るかどうか、ほとんど賭けになる。
少しでも高い効果の出そうな方法をある程度絞り込んで試行していかないと。
おれは手始めに、ネットからいくつか候補を絞り出し、併せて限りなく難易度の低い曲を選んで入力していった。最大限音程に注意して発声するよう、日和沢に指示する。比較的音程の合わせやすい簡単な曲を利用してしっかりと音程を発音させることで、音感と発音能力を鍛える狙いだ。
藍沢は音を聞き取る能力に問題がある可能性を示唆していたが、日和沢の日常会話にはそれほど気になるイントネーションの違和感はない。であれば問題は耳ではなく、やはり発声能力のほうにあると見ていいと思う。
「いやでも『かえるの歌』って! カラオケにそんな曲入ってるの初めて知ったよ!」
「まずは初心に立ち返ることだな。それがちゃんと歌えるよーになったら、次は『ドレミの歌』歌わせてやるよ」
「ひどいっ! 普通のJポップ歌いたい!」
「音痴がなに言ってんだ。百年早ぇーわ。ちなみにドレミをクリアしたら次は『翼をください』な」
「あ、それならいいかも」
いいのかよ。
ま、良い曲ではあるよな。
日和沢は一抹の緊張感が窺える面持ちで、一音一音に細心の注意を払いながらも調子っ
もちろん結果は変わらない。
正面ディスプレイに表示された採点モードの音程バーは遠慮容赦なく悲惨な結果を告げている。
藍沢も言ってたけど、そんなにすぐ効果が出てたまるか。
日和沢には、小学校の音楽でも習いそうな簡単な曲を延々と歌わせ続け、篠崎たちには日和沢が歌い終わったタイミングで極端に音程を外していた部分を指摘して改めさせるように頼んだ。
その間におれは、以前のカラオケの時と比較して、なぜあの時は多少なりともマシに聞こえたのか、なぜ今日になってリバウンドしてしまったのか、分析を始める。
「やっぱ、こないだのカラオケの時はマシに聴こえたよな?」
隣の篠崎に再三の確認を向けると、返ってくるのはやっぱり変わらない答え。
「あぁ、いつもよりは、まぁ……音程外してないように聴こえたな」
その面持ちは非常に様々な感情がない交ぜになったような複雑な形を作っていた。
理由は自ずと察せられる。
こいつは反対だったからな。日和沢が軽音部を再建することに。
そこに来て説明会への参加などという、どう考えても日和沢の身に余るイベント発生となれば、胸中穏やかじゃあないだろう。
「なぁ、マジで出るのか? 説明会」
篠崎はその声に不安と心配を滲ませて問い掛けてきた。
「本人はその気だな」
「他人事みてぇに言ってんじゃねぇよ。お前が
その口調はいつもと大して変わらないが、その奥にある本心は明らかに怒気に包まれていて、おれは居住まいを正す。
「そーだな、悪い。でもおれは選択肢を提示しただけで、選んだのはあいつだ」
断ることはできた。それをしなかったのは、あいつがそれを望んだからだ。
「そりゃそうだけど!」
篠崎は声を荒げかけて、しかし苦虫を噛み潰したような顔になって押し殺した。
「あいつが断ったのなら、おれだって強要する気はなかった。だから、それをおれに訊くのはお門違いだろ。本人に訊けよ」
「訊いたよ! でも、それでもやるって、あいつは……」
最後まで口にすることなく、篠崎は頭を抱えた。
……だろーな。
日和沢は根っからの、筋金入りの夢追い人だと思う。
こうと目標を定めれば、自身の核に確固とした芯を据えてしまえば、それに心を燃やし始めてしまえば――。
並大抵のリスクでは突き進むことをやめない。
その夢、目標を実現するまで。
あるいは、完全に打つ手がなくなって、その意志が折れるまで。
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