第三一話 それでも(6)

 気づけば空は完全に日が落ちていた。

 付近にある商業施設の放つ明かりだけで何とかそこに篠崎と日和沢がいるのがわかるというほどの暗がりがおれたちを包んでいる。

 嵐が去ってそんなふうに気持ちに余裕が生まれた途端――。

 ズキンッ、と、左胸の奥に僅かながら疼痛とうつうを感じた。

 呼吸は僅かに胸が上下する程度に上がっていて、全身には軽い倦怠感けんたいかん。身体全体の血液と酸素の巡りが悪くなっている。

 おかしーな。あまり無茶したって実感がないわりには結構キテる。

 そーいやショッピングモールの一件からまだそんなに経ってないっけか。

 それを考えると、こうなるのもむべなるかなというところではあったが、病院に行くほどのことでもない。被害は軽微だ。


「ミコトくん?」


 おれがむっつりと押し黙って自分の胸部を見下ろしていたからか、わざわざ腰を折って自分より低い位置にあるおれの顔を覗き込んでくる日和沢。

 遠慮なく近付けられたその顔は心配そうに眉が潜められていた。


「何でもない」

「ホントに? なんかちょっと苦しそうにしてたけど……」

「一瞬だけな。でも今回は前みてーにぶっ倒れたりしてねーだろ? 何の問題もねーよ」

「そう? ……ならいいけど」


 そう言って日和沢は折っていた腰を戻したが、その顔は釈然としないものを抱えたように曇ったまま地面に向いている。


「那由? どうしたんだ?」


 篠崎が心配げに問うが、日和沢は答えない。

 途方に暮れた篠崎がおれの顔を見たが、おれだってわからない。

 とりあえず、いつまでもこんなエアスポットにいるのもアレだし、話をするにも場所を変えようと思い始めたところで、日和沢の曇ったままの顔はひびが入ったかのようにくしゃりと歪んだ。


「やっぱりムリなのかなぁ、軽音部作るの」

 

 悔しげに歯噛みし、伏せられた視線は睨み付けるように地面に突き立てられている。


「音痴だしバカだし、こんなことになっちゃうし、耀くんのこともミコトくんのことも巻き込んじゃうし……、こんなあたしが! 音楽やるなんてっ!!」

「那由……」

 

 気遣わしげに声を掛けた篠崎が、日和沢の肩に手を置いて優しく微笑んだ。


「軽音部を作ってやっていくことだけがすべてじゃないだろ? まだ俺たちは高校に入ったばっかりなんだし、楽しいこともやりがいのあることも他にいくらでも見つけられる」

「でも……」

「もっと色んなことを経験して、それを見つければいいじゃないか。な?」


 不意に、日和沢の視線がおれに向いた。

 その瞳はこの暗がりにあっても濡れて光っているように見えた。


「星名」


 おれの名を呼んだ篠崎の声はぴしゃりと厳しく、含みを持たせられているのは明らか。

 そんな篠崎のスタンスは既にわかりきっている。言外に向けられている要求なんてもはや確認するまでもない。

 でも……そんなことは知ったこっちゃねーんだよ。


「そりゃフェアじゃねーだろ、篠崎」

「星名?」


 肯定でも否定でもない、脈絡のない言葉を返したおれに、二人は唖然としていた。


「日和沢から自分が望む答えを引き出すよーな言い回ししやがって。裁判で言う『被告人の証言を誘導するような尋問』ってヤツだろ、それは」


 篠崎の視線が睨み付けるような鋭い眼光へと変じた。

 おれはそれを軽く受け流して日和沢へと向き直る。


「日和沢、おまえは確かにバカだ」

「星名!」


 篠崎が咎めるように口角泡を飛ばして怒号を上げる。が、取り合うつもりはない。こいつがそっちに天秤を傾けようとするのなら、おれはこっち側から力を加えないとな。


「音痴であることとおれたちを巻き込んだことは関係がない。一つ一つ解決できたり、対策を練ったりすることができる問題だ。何も複雑に絡み合ったりしてねーんだよ」

「ミコトくん……」

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