第二九話 虎穴に入らずんば(2)
立ち居振る舞いからして気品の良さが窺えて、ともすれば美夜よりもよほど地位ある人間に相応しいという気がする。
「あら、そこの小さくて可愛い君は美夜の弟君じゃない。もしかしてお姉ちゃんに会いに来たとか?」
悪意ある言い種ではなかったものの、からかうように向けられたそれに頭の隅のほうでプチッと何かが切れる音がした。
「ミコトくん抑えて! 相手センパイ! 冷静に! ちょっと一回落ち着こう!」
ちょっと一言もの申してやろうと一歩踏み出したおれを、日和沢が後ろから羽交い締めにした。その柔らかさとか暖かみとか匂いなんかがおれの背面を刺激し、気勢を削がれて仕方なく深呼吸一つ、おれは温度の上がった頭を冷ましつける。
「もしかして気にしてた? ゴメンね」
こちらのやり取りから色々と察したか、苦笑を浮かべながらも一応は向けてきたそんな謝意に、おれは矛を納めた。
ま、謝るだけマシだからな。弄るだけ弄って笑い者にするだけのヤツとかいくらでもいるし。
「いや、いーよもう。それより……」
「美夜なら今ちょっと生徒会室に行ってるわよ」
どうしておれがあいつに会いに来たと決めつけているんだこの女子は。家でも顔会わせたくないくらいなのに。
とはいえそれは朗報だった。あいつがいない内にさっさと用事を片付けて戻ろう。
「違う。ここに用事があんのはおれじゃなくて……」
「あの! あたし!」
と、おれが説明しようとしたのを、日和沢が遮って前に進み出た。
ところが口を開きかけたところで、ふと生徒会役員女子の目がおれたちの後ろへと向けられ、嫌な予感がおれの胸中を埋め尽くす。
「あ、美夜」
瞬間、ビクンッとおれの身体が跳ねた。
数秒の間を置いて、動作不良を起こした首に懸命に仕事をさせて背後を振り返ると、確かにおれの姉がそこにいた。
「ミコトが、おねえちゃんに会いに来た……!」
「違う!」
恐れていた事態。
一番現実になってほしくなかった事態。
おれがここに来ると絶対にこういう勘違いを爆走させられるから来たくなかったんだ!
「おまえ生徒会室にいるんじゃなかったのか!」
「もうミコト、わたしのことは『おまえ』じゃなくて『おねえちゃん』。ミコトが来てるような気がして急いで戻ってきた」
なんという無駄な第六感。そんなもの働かせなくていいのに!
「もしかしておねえちゃんとお弁当を? ……ごめんミコト。おねえちゃんはもうお昼を食べ終えた。でも明日は必ずミコトと一緒に……」
「だから違うって言ってんだろーが! 自分の都合の良いように勘違いすんのやめろ! 用事があんのはおれじゃなくて!」
おれの否定の言葉なんてやっぱり右から左に抜けたようで、美夜は構わず自分勝手に解釈し続ける。
いやもうホント、ウチの愚姉が話の腰を追って申し訳ないと思いつつ、おれが向けた水に反応し、日和沢が仕切り直した。
「ビラ配りがダメだとのことなので、直接勧誘に来ました!」
上級生二人の視線が改めて日和沢へと向けられる。
いや、美夜は今初めておれ以外の人間がそこにいることに気づいたっっかのようだったが、しかし何も聞かなかったかのようにその視線はすぐにおれのほうへと戻って来た。
「それで、ミコトはどうしてここにいるの? やっぱりおねえちゃんとお弁当を……」
「だーかーら! 違うって言ってんだろ!」
聞けよ、人の話を。
そんな美夜の反応に呆れつつも日和沢に応じてくれたのは、生徒会役員女子のほうだった。
「もしかしてあなた? 軽音部を設立しようとしてる一年生っていうのは」
「はい!」
中天の太陽顔負けの元気さで返事をした日和沢とは対称的に、女子役員の顔が目に見えて
美夜が登場したときとは別種の嫌な予感が胸中に生まれる。
「は、はい。えと、何か問題が……」
今朝の一件もある。またもや自分の何らかの行動が何らかの校則に抵触したかなどと心配したのか、日和沢の反応にも戸惑いが混じる。
「えっとね、問題があるというかないというか……美夜、彼女に何も言ってないの?」
「言ってない」
美夜はおれを後ろから抱き締めて――もとい、おれの首に両手を巻き付けて身動きを封じながら、端的に返した。
「えと、何をですか? 言ってないって一体何の……」
日和沢にそう問われ、しかし沈思黙考する女子役員の顔には困惑と躊躇の色が浮かび、なかなかその疑問に答えようしない。
しかしやがて、腹を括ったような表情をこちらに向け、言いにくそうに口を開いた。
「去年、軽音部が一度廃部になってるのは知ってる?」
日和沢が頷く。
おれの頭にも、いつかのランチタイムで日和沢がそう言っていた記憶がある。
「その原因については?」
「受験勉強に集中したいからって」
女子役員は額に手を当てて溜め息を落とした。
それを見た日和沢の顔がますます曇る。
再びいくらかの間を置いて女子役員の口から出てきたのは、驚くべきというか驚くべからずというか、そんな事実だった。
「私はこの分野のことには詳しくないんだけれど、その原因っていうのがね、ライブハウス? っていうところで、ウチの軽音部が外のバンドのメンバーと暴行事件を起こしたことなの」
……なんだそれ? 聞いてた話と違うじゃねーか。受験勉強はどこ行った。
そんな疑問を向けて日和沢を見ると、ふるふるサイドテールを揺らして首を振る反応が返ってきて、こいつにとっても初耳であることが窺える。
「結構ひどい有り様だったらしくてね。警察沙汰にもなったし、病院に運ばれる人も出る始末で……。ウチの軽音部員もあまり素行は良くなくて良い噂もほとんど聞かなかったし、今、軽音部って言ってもみんな印象最悪な状態だと思うの。だから……」
暴行事件とやらの詳細を明かしていた女子役員はそこで言いにくそうに口をつぐんだが、自ずとその続きは察せられた。
誰も入部したいとは思っていないだろう、と。
おれの視線がひとりでに日和沢に向く。
篠崎も掛けるべき言葉を失ってただ気遣わしげに日和沢を見ている。
誰もが言葉を失っていた。
雲行きが怪しくなってきた海原で船が暗礁に乗り上げたような状況。
それを理解しているのかいないのか、この案件の発起人である日和沢は、ポカンと口を開けて放心したように呆け続けていた。
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