三章

第二二話 新しい部活の設立(1)

 個性を育むためという名目の部活動入部日必須制、その入部先を決める期限が今月、四月末と迫っていた。しかしその前――来週末には、未だ入部先を決めることができていない生徒の選択に大きな影響を与えると思われる部活説明会が予定されている。


「はい、ミコト、あーん」


 例外的に、委員会や生徒会に入るなら入部は免除されるとウチのクラスの担任が説明していたけれど、どっちにしてもこの制度に困惑や迷惑している生徒は多いだろーな。

 何しろ、生徒全員に何かやりたいことがあるわけでもない。あったとしても自分の趣味嗜好に沿った部活動が存在するとも限らない。幽霊部員が量産される未来しか見えねーな。

 篠崎のように最初から決まっている生徒ばかりじゃないし、日和沢のように新設を狙う強者なんてさらに少数だろう。つーか、アレ本気なのかな、軽音部作るみたいなことを匂わせてたけど。


「ミコト、口開けて。じゃないとご飯が食べられない」


 唯一の救いは部活動の数が多いことくらいか。日和沢が狙うような新設が可能か否かにもよるが、選択の幅は広いし、さらに広がる可能性もあるということだ。

 つーか、個性を育むため、とかさ。

 それって部活を通さないと身に付かないものなのかねー。

 大人が生徒に育ませたいのは個性じゃなくて能力なんじゃねーの?

 社会に出てから何らかの形でわかりやすく発揮できたりアピールしたりするための、実質的な能力。スキル。

 身体能力、根性、器用さ、事務能力、あとはまぁ……宴会芸とか?

 そういったものを持たない無能者はイコールで無個性、とでも言いたげだ。


「……なるほど、ミコトはまだ小さいから固形物が喉を通らない。これはおねえちゃんの失態。待っててミコト。今わたしが噛み砕いて……」

「だからそれはもう乳幼児だって言ってんだろーがよ! 頼むから限度を知ってくんねーかな! 子ども扱いの限度をむぐっ!」


 たまらずおれが心底からの懇願を響かせたところで昼飯のおかずを突きつけられ、おれは慌てて口を閉じた。

 ……あぶねーあぶねー、もう少しで実姉からの『あーん』を受け入れるところだった……。

 周囲にいた日和沢や篠崎たち他数名の視線を集めるハメになったが、取り繕っている余裕なんてなく、おれは空へと視線を逃避させた。

 昼休みに差し掛かった学校の屋上。

 その上空に広がる四月の空は今日も晴れやかだった。視界に収まる限りの範囲は隅から隅まで澄み渡っていて、ここまで雲が見られないのも珍しいほど。さすがに春も過ぎ行く頃合いで、徐々に気温が上がってきているのをひしひしと感じる気候だった。

 ……あぁ、今日も天気がいーな……。

 ショッピングセンターでの一件から明けた週の憂鬱な月曜、その昼休みの光景がどうしてこんなことになっているかというと。

 午前の授業が終わった後、おれは屋上で一人、青空弁当にでも興じよーかとここに足を向けた。そして弁当箱の蓋を開けたら、まるでそのタイミングを見計らったかのように日和沢たちがぞろぞろと屋上に入ってきたのだった。

 日和沢はおれを見つけると何の断りもなくおれの近くに腰を落ち着け、自然と篠崎や他の奴らもその周辺に陣取り始めた。

 さらにはそこになぜか美夜まで現れ、おれの弁当箱と箸を強奪、箸で掬い上げたおかずをつきつけてくるという横暴に出た。そしておれがそれを防御したり避けたりするという攻防が始まったわけだ。

 これが歴史の表舞台に明るみになることのない戦いだったならいい。

 しかし、屋上には日和沢や篠崎などのクラスメイトの他にも何組かのグループがいて、チラチラと嫉妬や侮蔑ぶべつがないぜになったような何とも言えない視線を感じる。ここであったこの戦いも、今日の放課後には最低でも学年中に広まっているだろう。

 だったら逃げればいいと思うかもしれないが、おれの隣にぴったりと腰を下ろしている美夜はがっちりとおれの右腕を拘束し、逃亡を謀ることができないようにしている。ならそうなる前に逃げれば良かっただろという話でもない。鬼ごっこでおれが誰かに勝てるはずがないのだから。

 ……くそっ、武器はしさえあれば、武器はしさえあれば!

 自分で食べられるのに! 

 ちなみにこの場には生徒との交流を重んじているらしいナギもいるが、こいつだけはおれたちのこんなやり取りなんて見慣れたものなので、淡々と自分の昼食を進めている。憎たらしい。

 そんな攻防の傍らに、おれは入部先を含めた今後三年間の身の振り方について頭を悩ませていたわけだが。

 もう……、今日の昼飯は抜きかな……。

 そう思い始めていた。


「つーかさ、生徒会って今からでも入れんの? 選挙とかで決めるんじゃなくて?」


 おれは現実逃避のついでに、自分のすぐ隣に陣取って山のように動こうとしない生徒会長に疑問を向けた。もちろん、攻撃の隙を狙ってだ。


「選挙で任命されるのは会長だけ。残りの役職は会長に一任されるし、雑務はいつでもいくらでも引き入れていい。ミコトならすぐにナンバー2」

「いや、入らねーよ? 訊いただけだよ? んぐ」


 おれが口を開いた隙を狙って美夜の攻撃が繰り出される。慌てて逸らした横顔の頬に卵焼きが突き刺さった。

 遠回しに生徒会に入れと言われているのが明白だったが、そんなことをしたらこの攻防が常態化しそうなのでおれは頑として断る。

 つか言い方……。

 副会長とか他にねーのか。なんか職権濫用しょっけんらんようの気配を感じるし。


「ミコトくんは軽音部に入るんだもんね」


 そんな身に覚えのない同意を求めてきたのは日和沢だった。

 おれは、はてそんなこと言ったかと記憶を漁るが――。


「いや、んなこと一言も言った覚えねーよ。つーか設立してから言え」

「設立したら入ってくれるの!?」

「やだな、目立ちたくねーし」

「……え? 今さら?」


 一欠片ひとかけらの他意もなさそうな無垢な丸い眼で首を傾げた日和沢に、パコーン! とおれのピコハンが飛んだ。

 折よく持ち上げていた日和沢の唐揚げが箸から落ちた。


「あたしの唐揚げー!」


 ちらとこいつの弁当に視線を遣ると、女子にしては比較的大きいと言えそうな弁当箱にはどうにも赤茶色が多い。隅っこのほうにちょこんと申し訳程度に緑も見られるが、どうも鶏、豚、牛の三種は揃っていそうだった。肉食だなー。


「あぶなー……、ギリギリセーフ」


 どうやら落ちた唐揚げは寸でのところで弁当箱を包んでいた布の上にとどまったらしく、一命を取り止めたようだった。

 まぁ確かに、渡り廊下でのことや今現在繰り広げられている実姉との攻防を考えれば、目立ちたくないなんて今さらではあるんだが。


「つか、おま……ミコトくん、いつもそれどこに持ってんの?」


 その渡り廊下でおれと一緒に目立った篠崎がその疑問をおれに向けた。生徒会長兼実姉の前だからか途中で口調を改めたようだが、おれが日和沢の唐揚げに手を出したからか、その雰囲気には僅かに怒気が滲んでいる。

 一番有名な所だと“叩いて被ってじゃんけんぽん”で知られるピコハンだが、どう考えても隠し持てるような代物じゃあない。

 普段から持ち歩いている様子のないおれにその疑問を持つのも当然と言えた。


「ん? ポケットだよ」


 篠崎の怒気をスルーしてしれっと答えたおれは、スラックスのポケットから新しいそれを取り出す。そして折り畳み式のガラケーを開くような動作で手を振ると、パカッとそのピコハンも本来の形を形成した。


「折り畳みピコハン!?」

「そんなのあんのかよ!」

「ってか何で二つ持ってんの!?」

「予備だよ、予備」

「何のためだよ!?」


 日和沢と篠崎が繰り出す怒濤のツッコミの最中さなか、代わりに答えたのはこの面々の担任だった。


「俺が没取した時のためだな。……おら、二つとも没収だ! まだ持ってんなら出せ!」

「いや、それだけだよ。さすがに一つのポケットに二つ以上は入らねー」

 

 スラックスのポケットは左右に一つずつ。ケツの後ろにも二つあるが、ここに入れると座った時に痛い。

 

「ってか何でそんなの持ち歩いてんの……」

「このほうがキャラが立つだろ?」

「自分から目立とうとしてんじゃん! だったら軽音部入ってくれてもよくない!?」

「ただキャラが立ってんのと表舞台に立つのはちげーんだよ」

 

 ステージになんて立ちたくねーぞ、おれは。

 ……せめて、おれの見てくれが標準的な高校生だったなら、一考の余地はあったけど。

 何でこんな成長不足のルックスで人前に立たなきゃいけないのか。

 悪い見世物だ。


「あと、設立が叶ってから言えと何度言えば……」

「軽音部なんてダメ、ゼッタイ。身体に障る」


 と、ささやかで他愛のないやり取りをしていた一年生組の傍らで変わらずおれに昼飯を食わせようと奮闘していた美夜がついに口を挟んできた。

 ドクターストップならぬシスターストップ。そう言われると逆にやってやろーかという反骨精神も湧いてきちまうな。我ながら天の邪鬼にも程がある。


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