第41話 イングリドと初めての海
沿岸都市の名は、ミーゾイ。
この大陸において、キングバイ王国が有する唯一の領土だ。
ここを窓口として、周囲の国々と交易を行っている。
隣国であるマールイ王国と不和の関係になったことは、彼らとしても頭の痛い問題だろう。
ミーゾイの入り口は広く開放されている。
武器などのチェックが行われ、街中では抜かないように封印がされるだけだ。
俺たちが乗っている馬車は、アキンドー商会のものなので、ほぼフリーパス。
商会は、キングバイ王国といい関係を築いているらしい。
「不思議な匂いがする……。これが海の匂いなのか……」
イングリドがきょろきょろしている。
ミーゾイに入ってすぐ、俺たちは馬車を降りたから、彼女が感じる海独特の香りはより強まっていることだろう。
「オーギュスト! ギスカ! 海を見よう! 海がいっぱいに見えるところに行こう!」
「まあ待つんだイングリド。俺たちは一応、仕事で来てるんだ。こちらの依頼人に顔を通しておかなければな」
「あ、そ、そうだった」
「あっはっは! 慌てなくても、海は逃げやしないよ! ちなみにあたいは海は見ても、一定以上海には近づかないからね。あたいらドワーフは水に沈むんだ」
「ギスカはギスカで、基本的に水が多い場所は嫌いなのだな」
「いや、そうでもないさね? 水が多いってことは、いい水が取れて、いい酒が造れるってことさ。それに港町はあちこちの国の酒が飲める! いいところだよー」
ギスカの顔が緩んだ。
なるほど、流通の拠点となる場所だから、各地の名産品が集まる。
物には色々な見方があって、面白いものだ。
俺たちは、依頼書を持って目的地へ向かった。
そこは沿岸都市の中心。
背の高い建物がないこの街では珍しい、二階建ての屋敷だった。
そして、屋敷の主は俺の顔見知りだった。
「おお!! マールイ王国にゆかりのある冒険者が引き受けたと聞いていたが、あなただったか、道化師オーギュスト!!」
鮮やかな赤毛を巻毛にしてキチッと固めた、鼻の高い男だった。
身につけている衣服は、海獣の皮を用いたジャケットである。
海をイメージしているのか、青い色に染められている。
「お久しぶりだ。そしてお嬢さんがたははじめまして。私はキングバイ王国、オルカ騎士団の団長キルステン。こちらの偉大なる道化師、オーギュスト殿の、剣の弟子でもある」
「そうか。私はイングリド。えっ、オーギュストの弟子……!?」
「ギスカだよ。いやあ、道化師は顔が広いねえ……。呆れるほど広い」
長い間生きているからね。
キルステンと出会ったのは、まだ彼が子どもの頃。
キングバイ王国まで、交易交渉のために出た俺は、ひょんなことから彼に剣を教えることになった。
とは言っても、陸上の剣と船上の剣は違う。
彼には、船の上で振るう剣を教えたわけだ。
あくまで、基礎の基礎だがね。
それを覚えていてくれるとは、嬉しいものだ。
ほんの二週間ほどだったが、彼の中に俺の教えは根付いているようだ。
「どうです、オーギュスト師。久々に私の腕を見てはもらえませんか?」
「ああ、構わないが……。あれは君がまだ子どものころだったじゃないか」
「初めに習い覚えた剣こそ、私の剣全ての基本となっています。ぜひ、あなたに見ていただきたい」
強く請われると、断りづらいというものだ。
こうして、俺とキルステンは、余興の試合をすることになった。
そこは、海が全面に望める船着き場。
キングバイ王国の騎士たちが詰めかけ、港で働く人々も集まり、さらには噂を聞きつけてか、ミーゾイの住人も大勢やってきた。
まるで見世物ではないか。
テンションが上ってくるな……!!
「嬉しそうですよ、オーギュスト師」
「それはそうさ。俺は道化師だからね」
「なるほど! ではこれは、あなたの本気を引き出して、それを上回って見せる格好の舞台ということになるな! 行くぞ!」
「来たまえ! 諸君! その目を開いてよくご覧あれ! 諸君の街を守り、あるいは諸君を率いる偉大なる騎士団長キルステン! かの者の実力を!」
キルステンが目を丸くした。
まさか自分が持ち上げられるとは思ってもいなかったのだろう。
道化師とは、道化になることも仕事の一つ。
この場の主役は君だぞ、キルステン。
俺とキルステンの試合が始まる。
手にしたのは、海上で使うサーベル。
オルカ騎士団の正式装備だ。
刃と刃がぶつかり合い、剣閃の中を俺と彼が華麗に舞う。
俺は跳ねたり、欄干に飛び乗ったり、右手から左手にサーベルを移し替えたりしながら変幻自在に剣を振るう。
迎え撃つキルステンは、実直な剣だ。俺がかつて教えた基礎を、そのまま昇華した素晴らしい技の切れ。
「やるようになりましたな、キルステン閣下!」
「なに、受けた教えは決して忘れず、一日たりと訓練を欠かさぬのが私の主義ですから!」
鋭い一撃が放たれて、これを受けようとした俺のサーベルが弾き飛ばされる。
ピタリ、と剣先が俺に突きつけられた。
俺は両手を小さく挙げて、ニヤリと笑った。
「参りました」
今まで固唾を呑んで試合を見守っていた騎士団が、うわーっと盛り上がった。
観衆は大盛りあがり。
我らが騎士団長は凄い、さすがだと、褒め称える声が響き渡る。
「いやいや、あの冒険者も凄いぞ。キルステン団長と渡り合ったんだ」
「あれだけの腕を持った奴が、今回の仕事を請け負ってくれるのか。団長と二人なら、無敵じゃないか」
心に余裕ができれば、相手を認める気持ちにもなるものだ。
好意的な声が多い。
これを聞いて、ギスカが首を傾げた。
「なんだって、負けたあんたが褒められてるんだい?」
「それは人の心理というものだよ。自分たちの指導者が、本当に頼れる大したやつだと知れれば、みんなポジティブな気持ちになるものさ。そうなれば、相手もよくやったと褒めることだってできる。これが、俺がキルステンをこっぴどく叩きのめしたらどうなる? 俺は恨まれ、キルステンの立場はなくなる。誰も幸せにならない」
「……まさかあんた、これを狙って……?」
「いやいや、キルステンの実力は本物だ。平らな地面の上で細工なしに戦えば、俺だって危ない。だからこれは真剣勝負。この舞台の上では、種も仕掛けもございません! そういうことさ。それに……この方がみんな笑えるだろ?」
「食えない男だね……!!」
ギスカがにやりと笑うのだった。
ちなみに。
勝負の最中、イングリドはずっと、夢見心地で海を見つめていたという。
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